83年卒中国語学科2組


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雛飾る床も破れいたれり
仲井 投稿日:2024年03月03日 15:38 No.624
1月1日の地震から早や2ヶ月が経ちました。このクラスの掲示板をお借りして、私なりに能登の状況をお話してきました。龍神様の怒りのような惨状は今も続いています。まだ避難所暮らしの人達もいますし、水がまだ来ていない地区もあります。復旧復興と言いますが、正直まだ何も進んでいません。仮設住宅も建設されては来ましたが、まだまだ足りません。地区によっては被害の判定がついていない為に、倒壊した家屋に手を付けられずにいます。輪島の焼け跡もあのままです。

いま、2ヶ月経って初期対応の検証が行われていますが、やはり半島地震は様々な障害をもたらすものだということを実感しています。半島過疎地域かつ超高齢化社会であり、アクセス道路も一本もしくは二本程度であれば、必ず孤立集落を産むように思えます。復旧作業においでも時間が掛かっているのが、この道の不具合にあります。例えばボランティアも金沢にホテル住まいし、四、五時間かけて被災地に移動し、現地二時間程度の作業をして、また金沢に戻ってくる。そんな感じです。だからなかなか瓦礫の処理が進まないようです。奥能登では、現地のお年寄りたちが細々と片付けついるようです。

アルピニストの野口健さんが寝袋を被災地に寄附されました。大好評だったようです。何故か。まだ車や避難所暮らしが続いている人が多いのでしょうか。避難所も2ヶ月経ったので縮小や統合がされてきています。また加賀で二次避難している人達が舞い戻っている話も来ます。知らない人ばかりではなかなか落ち着かないのでしょうか。

専門家によれば、まだ能登半島や富山県では地震の発生はありうるようです。それも今回と同規模のものが来るかもしれないということです。無論、それに触発されて他の地域でも起こる可能性もあります。南海トラフ地震、東海トラフ巨大地震、どれが起こるか分かりませんし、能登半島と同じ環境の所は多いと思いますね。

雛祭りの時期ですが、この二三日、冬に逆戻りしたかのように冷えます。皆さん、風邪など引かないようにしてください。


仲井 投稿日:2024年03月03日 16:20 No.625
輪島の無形文化財、御陣乗太鼓が加賀一の宮の白山比咩神社に奉納されました。これは戦国時代に能登に攻め込んできた上杉謙信軍を、奇抜な面や海藻の毛で化粧した地元民が鬼に扮して追い払ったという伝承からくる太鼓です。

私も和倉温泉に泊まった時にアトラクションでみたことがありますが、凄い迫力でした。この奉納で能登の疫病神を追い払って欲しいものです。


ユイ 投稿日:2024年03月04日 22:09 No.626
能登半島地震は被害が大きいだけになかなかすぐに復旧というわけにはいきませんよね。
仲井君が書いているように太古から、そして今後将来もまた大きな地震が起こる可能性があるとなると、余計に元通りになるのは正直難しいかもしれませんね。

ご陣所太鼓、本物は見たことはないですけれども子供のころにテレビで観て「なんと恐ろしい…」と感じたのを今でも覚えています。あの面と太鼓をたたく時の所作(しょさ)は、独特の迫力がありますよね。宴会のお座敷などでも見てみたいと思います。北陸の温泉地などでは出し物として人気があったでしょうね。ボクも泊まった「あえの風」というホテルも再開の見通しが立っていないとのこと。観光業者の方々の苦悩と苦労がしのばれます。


仲井 投稿日:2024年03月09日 18:11 No.627
由井君、レスありがとう。あえの風に泊まったことがあるんだね。加賀屋グループの姉妹旅館だから、素敵だったろう。私も一度だけ会社の慰安会で泊まりました。その時はアトラクションに御陣乗太鼓を入れなかったけど、別の和倉の温泉旅館に泊まった時に御陣乗太鼓を宴会アトラクションに入れました。迫力満点でしたよ。次にチャンスがあった時は、ぜひ見て下さいね。最後の全員での乱れ打ちは最高ですよ。

まだまだ和倉温泉の復旧復興には時間がかかると思います。でも、毎年日本一に選ばれ続けた加賀屋を筆頭に、必ず灯りを、もう一度灯すと思います。そうでないと能登は生き返らないように思います。

今日金沢は名残り雪の一日でした。




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