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無題
美ゆ
投稿日: 2020年03月21日 10:51:26
No.54
【返信】
『
処理』出来るんですね。
あの場外バトルの管理人がいかにいい加減な対応していたのか、これでよく分かりました。(  ̄▽ ̄)
総
投稿日: 2020年03月21日 10:59:45
No.56
出来ますよ(笑)
文字も変える事も出来ます!
デス公の馬鹿タレとかw
無題
美ゆ
投稿日: 2020年03月19日 23:18:28
No.45
【返信】
ようこそ姫さん。(∩´∀`)∩
国防最前線のS子さん
投稿日: 2020年03月20日 18:19:30
No.48
ありがとう御座います。
ちょっとNさんやKさんに付いて聞いてみたい事があります。
また後日、連絡致します。( `・∀・´)ノ
総
投稿日: 2020年03月20日 19:29:56
No.49
何なりとどうぞ
総
投稿日: 2020年03月21日 03:34:10
No.52
処理しました
接続環境詳細 接続環境: Windows 10 ブラウザ: InternetExplorer 11
発信元プロバイダー: Yahoo!BB
発信元都道府県: 不明
投稿回数: 5回目
識別ID:fc905e138c75fa882f1ae976c8f7f488d57cbe53
変なのが
美ゆ
投稿日: 2020年03月20日 22:39:12
No.51
【返信】
迷い込んで来ていますね。( ̄д ̄)
見るに耐えない
美ゆ
投稿日: 2020年03月12日 19:57:28
No.40
【返信】
マサルトピ。NとMで台無し
sou
投稿日: 2020年03月14日 20:37:11
No.41
前から皮肉っても通じない お馬鹿だったから(笑) KYjijii
国防最前線のS子さん
投稿日: 2020年03月18日 22:30:59
No.43
こんばん話、お邪魔します。
( `・∀・´)ノ
総
投稿日: 2020年03月19日 07:02:12
No.44
おはよう御座います^_^
思っておられる事は堂々とお書きください
変な輩は 退治退散させますので!
国防最前線のS子さん
投稿日: 2020年03月20日 18:13:48
No.47
了解しました。( `・∀・´)ノ ヨロシクー
保守 リベラル 革新
総
投稿日: 2020年03月06日 05:24:03
No.9
【返信】
まず、第一の潮流が「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミス(Adam Smith, 1723-1790)から始まる経済学派で、「古典派経済学(classical economics)」→「新古典派経済学(neoclassical economics)」と続く経済学の主流派であり、まさに本流というべき流れです。
新古典派経済学では、市場メカニズムを重視して、政府による経済への介入はなるべく少なくしよう考えます。
ですから、「小さな政府」を目指すのが正しいということになり、これに対応しているのが「新自由主義(neoliberalism)」と呼ばれる政治思想です。
第二の潮流がカール・マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818-1883)から始まる経済学派で、「マルクス経済学(Marxian economics)」と呼ばれています。
マルクス経済学では、そもそも市場メカニズムを採用していることが良くないと考えます。
ですから、「計画経済」を採用するのが正しいということになり、これに対応しているのが「共産主義(communism)」と呼ばれる政治思想です。
第三の潮流がジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes, 1883-1946)から始まる経済学派で、「ケインズ経済学(Keynesian economics)」と呼ばれています。
ケインズ経済学では、市場メカニズムを重視しつつ、政府が必要に応じて積極的に経済に介入するべきだと考えます。
ですから、「大きな政府」を目指すのが正しいということになり、これに対応しているのが「社会自由主義(social liberalism)」と呼ばれる政治思想です。
わが国では一般的に、新自由主義と社会自由主義の自由主義勢力が「保守」、社会民主主義と共産主義の社会主義勢力が「革新」と呼ばれています。
新自由主義と社会自由主義はどちらも自由主義なので、元々はどちらも「リベラル」です。
しかし、ややこしいことにアメリカでは、主に新自由主義に対応する考え方として「リバタリアニズム(自由至上主義、libertarianism)」、主に社会自由主義に対応する考え方として「リベラリズム(自由主義、liberalism)」という用語を用いています。
アメリカでは、新自由主義的な傾向を持つ共和党が「保守」、社会自由主義的な傾向を持つ民主党が「リベラル」と呼ばれているのですが、本来はどちらも「保守」でどちらも「リベラル」です。
アメリカは、共和党・民主党以外の政党が連邦議会にほぼ進出できないような極端な二大政党制を採用しているので、このような分け方でもよいのかもしれません。
しかし、日本は多党制を採用しているので、これをそのまま当てはめようとすると訳が分からなくなってしまいます。
自由民主党は 保守でありリベラルであると言うのが正しい
美ゆ
投稿日: 2020年03月07日 16:17:29
No.36
いつでしたか、立憲民主党の枝野氏が「我々こそが真の保守だ」と言ったことがあります。
理由は「現憲法改正に反対、平和憲維持に立場」だから、ということでした。
「守る」ということだけを保守の定義とするなら、憲法改正を目指す安倍自民党は革新
護憲の立場の野党は保守、というへんてこりんなことになりますね。
そういえば、かつての安倍トピでトラなる人が共産党が保守 なんてぶっ飛んだことを言ってましたし。
定義をしっかり解釈していないとアタマ混乱してしまいます。
示してくれた図がとても分かりやすい。
小さな政府と大きな政府、その中間に政府はないのかしら。(*^-^*)
やり直しです。_(_^_)_
美ゆ
投稿日: 2020年03月06日 22:51:21
No.35
【返信】
シオンの議定書が出る経緯を簡単に。
▲1860年 トルンに住むプロセイン生まれのラビ・カリーシャ宅におけるユダヤ教改革派の最高幹部による秘密集会が開かれる。
▲1861,1862年
1860年の秘密会合の成果として生まれたのが1861年に出たかリーシャ著作「シオンを求めて」とそれよりやや遅れて出たモーゼス・ヘスの「ローマとエルサレム―最後の国民的課題」であった。
この2冊の本がヨーロッパ在住ユダヤ人たちをして、シオニズム計画すなわちパレスチナをユダヤ人の手に奪還するという政治目標へ向かわせた元凶だといっていい。
▲1868年 サ―ジョン・レトクリフが『ビアリッツー歴史政治小説』刊行、同書の一章「プラハのユダヤ人墓地にて」が議定書の原型となる。
それから16年後の1884年、ユリアナグリンカ嬢がカトヴィッツ会議議事録をシャロピより入手
1895年、ステパーノフによる私家版「議定書」が印刷される。
1901年、セルゲイ・ニルス著「卑小なる者のうちの偉大」出版。その中にロシアにおける初めての試みとして『議定書』を収録した。
ロシア皇帝ニコライ1世(在位:1825年 - 1855年)
アレクサンドル2世の時代 (1855-1881
の時代はユダヤ人への圧政は相当なもののようです。
ロシア帝政時代にユダヤ人が迫害された理由として,ロシア正教の影響,ユダヤ教の「選 民思想」 ,ロシア人農民と労働者の憎悪,偏見,一種の嫉妬心,体制側の危機感などを挙げて いる。中産階級が多い西欧諸国のユダヤ人住民とちがって,ロシア・東欧のユダヤ人の大多数 は貧しい労働者,職人その他だった。しかし,人口の約8 割が文盲の 19 世紀のロシアでは, 男女とも大半が読み書きができて,宗教,生活習慣の異なるユダヤ人は敵対感情を持たれがち な民族だった。
ロシア革命が起きたのは1917年(大正6年)
シオン賢者による最初の秘密会合から57年、議定書の原型ができてから47年。
シオン議定書が預言書ではなく、指令書あるいは計画書という事であれば、ロシア革命は起こるべくして起きた革命とい言えるのではないしょうか。
※まだまだ調べなければいけない事だらけですが、今日はこのあたりで。
ちょっとここをお借りします。(*^-^*)
美ゆ
投稿日: 2020年03月06日 22:47:32
No.34
【返信】
シオンの議定書が出る経緯を簡単に。
▲1860年 トルンに住むプロセイン生まれのラビ・カリーシャ宅におけるユダヤ教改革派の最高幹部による秘密集会が開かれる。
▲1861,1862年
1860年の秘密会合の成果として生まれたのが1861年に出たかリーシャ著作「シオンを求めて」とそれよりやや遅れて出たモーゼス・ヘスの「ローマとエルサレム―最後の国民的課題」であった。
この2冊の本がヨーロッパ在住ユダヤ人たちをして、シオニズム計画すなわちパレスチナをユダヤ人の手に奪還するという政治目標へ向かわせた元凶だといっていい。
▲1868年 サ―ジョン・レトクリフが『ビアリッツー歴史政治小説』刊行、同書の一章「プラハのユダヤ人墓地にて」が議定書の原型となる。
それから16年後の1884年、ユリアナグリンカ嬢がカトヴィッツ会議議事録をシャロピより入手
1895年、ステパーノフによる私家版「議定書」が印刷される。
1901年、セルゲイ・ニルス著「卑小なる者のうちの偉大」出版。その中にロシアにおける初めての試みとして『議定書』を収録した。
ロシア皇帝ニコライ1世(在位:1825年 - 1855年)
アレクサンドル2世の時代 (1855-1881
の時代はユダヤ人への圧政は相当なもののようです。
ロシア帝政時代にユダヤ人が迫害された理由として,ロシア正教の影響,ユダヤ教の「選 民思想」 ,ロシア人農民と労働者の憎悪,偏見,一種の嫉妬心,体制側の危機感などを挙げて いる。中産階級が多い西欧諸国のユダヤ人住民とちがって,ロシア・東欧のユダヤ人の大多数 は貧しい労働者,職人その他だった。しかし,人口の約8 割が文盲の 19 世紀のロシアでは, 男女とも大半が読み書きができて,宗教,生活習慣の異なるユダヤ人は敵対感情を持たれがち な民族だった。
ロシア革命が起きたのは1917年(大正6年)
シオン賢者による最初の秘密会合から57年、議定書の原型ができてから47年。
シオン議定書が預言書ではなく、指令書あるいは計画書という事であれば、ロシア革命は起こるべくして起きた革命とい言えるのではないしょうか。
※まだまだ調べなければいけない事だらけですが、今日はこのあたりで。
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