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ちょっとここをお借りします。(*^-^*)
美ゆ 投稿日:2020年03月06日 22:47 No.34
シオンの議定書が出る経緯を簡単に。
▲1860年 トルンに住むプロセイン生まれのラビ・カリーシャ宅におけるユダヤ教改革派の最高幹部による秘密集会が開かれる。
▲1861,1862年
1860年の秘密会合の成果として生まれたのが1861年に出たかリーシャ著作「シオンを求めて」とそれよりやや遅れて出たモーゼス・ヘスの「ローマとエルサレム―最後の国民的課題」であった。
この2冊の本がヨーロッパ在住ユダヤ人たちをして、シオニズム計画すなわちパレスチナをユダヤ人の手に奪還するという政治目標へ向かわせた元凶だといっていい。
▲1868年 サ―ジョン・レトクリフが『ビアリッツー歴史政治小説』刊行、同書の一章「プラハのユダヤ人墓地にて」が議定書の原型となる。

それから16年後の1884年、ユリアナグリンカ嬢がカトヴィッツ会議議事録をシャロピより入手
1895年、ステパーノフによる私家版「議定書」が印刷される。
1901年、セルゲイ・ニルス著「卑小なる者のうちの偉大」出版。その中にロシアにおける初めての試みとして『議定書』を収録した。

ロシア皇帝ニコライ1世(在位:1825年 - 1855年)
アレクサンドル2世の時代 (1855-1881
の時代はユダヤ人への圧政は相当なもののようです。
ロシア帝政時代にユダヤ人が迫害された理由として,ロシア正教の影響,ユダヤ教の「選 民思想」 ,ロシア人農民と労働者の憎悪,偏見,一種の嫉妬心,体制側の危機感などを挙げて いる。中産階級が多い西欧諸国のユダヤ人住民とちがって,ロシア・東欧のユダヤ人の大多数 は貧しい労働者,職人その他だった。しかし,人口の約8 割が文盲の 19 世紀のロシアでは, 男女とも大半が読み書きができて,宗教,生活習慣の異なるユダヤ人は敵対感情を持たれがち な民族だった。

ロシア革命が起きたのは1917年(大正6年)
シオン賢者による最初の秘密会合から57年、議定書の原型ができてから47年。
シオン議定書が預言書ではなく、指令書あるいは計画書という事であれば、ロシア革命は起こるべくして起きた革命とい言えるのではないしょうか。

※まだまだ調べなければいけない事だらけですが、今日はこのあたりで。








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