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南関東の奥なのか、秩父山地の東の端なのか
天上のワオギツネ 投稿日:2024年03月26日 17:46 No.952
No.951
青梅、多摩

ものごとによく精通している方のようだ。
自分の最も魂の通う土地について、よく語るあるいは黙秘するというのが真実、というのは慧眼だ。
私は黙秘する派だ。
なんか恥ずかしいからな。

青梅・多摩方面は、まったく足を踏み入れた経験がない。
臭いも分からない。
青梅や多摩がどんな臭いの土地なのか、まあ、機会があれば、行ってみるのも面白いだろう。

行田は、畿内からの入植者によって開かれた土地だ。
群馬、栃木などもよく似た経歴の土地だと思う。
一方、青梅・多摩地方から相模などにかけては、在地の勢力が割拠していたような印象がある。
5世紀から始まる河内王権の東国進出の前に、3世紀後半からの纏向王権とすでにつながりのある地方勢力が勢力を張って競い合っていたようだ。

だから、行田などでは整備された勢力関係が組まれたのに対し、青梅・多摩・相模などは在地の地方勢力が互角に張り合うその均衡の上に秩序が成立していたように見える。
その中で、青梅・多摩は西の山間の秩父の勢力とつながって後背地が広く、そのため他の在地勢力に対してかなり勢力を張ることができたのではないか。

そんな印象だ。


やまだ 投稿日:2024年03月26日 23:20 No.954
むめがゝにのつと日の出る山路かな


青梅の匂い上品にいえば香り。芭蕉の此の句は晩年の俳諧理念「かるみ」の代表作。
地域にもこの句の石碑は二つある。であるが、どんな評者も青梅で詠んだとは言わない。
青梅で散策して歩いた折、山路は梅の花の香りでいっぱい。と突然のつと日の出をみた。
こんな風に場所を特定するとかなり安っぽい句になる。
しかしながら、小生はこれは翁の青梅での嘱目句だとみる。

〇青梅はさほど梅の香りは印象に残らない。武蔵野の東の外れ下総の真間あたりなら、梅の香、梨の花、菊の香はとっても魅惑にかおる。

… 武蔵野台地を衛星画像でみると、青梅の位置は山間から平野にぬける処になる。ボトルネックという。


やまだ 投稿日:2024年03月27日 17:11 No.956
東経139度17分ライン

岩宿遺跡       N36度24分0.2  E139度17分15.0   ①
岩蔵住居跡遺跡    N35度49分24.80 E139度17分16.50  ②
青梅真浄寺      N35度48分18.64 E139度17分18.14 ③
あきる野瀬戸岡古墳群 N35度44分23.30 E139度17分15.54  ④
西秋留敷石住居跡遺跡 N35度43分11.42 E139度17分21.36  ⑤

… 先にヒスイの大珠が出土したのは、②岩蔵住居跡遺跡。
⑤西秋留敷石住居跡遺跡は、あきる野の秋川を望む段丘上にあり、敷石住居が五つまとまって発掘された。… すぐ前の畑は蜜柑がすずなりだった。

この遺跡とほぼ重なる位置に雨間地区旧石器遺跡があり、細石刃・石刃核のよいものが出土している。




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