特別快速「せんり2号」関西大学鉄道研究会OB会掲示板


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

ここは何処シリーズ7
管理人 投稿日:2022年07月17日 14:59 No.122
[705] 5.ここは何処
投稿者: GET A 投稿日:2021年 9月29日(水)19時07分1秒 通報 返信・引用

快速つくばね様のご要望により投稿します。
いずれも大阪市電のもので懐かしいものばかりです。
写真1:停留所の手前で乗客は降りています、今では考えられない光景です。
写真2:人通りが多いですが、今では地下通路が一般的です。
写真3:この写真の左側に阪神北大阪線が来ていました。


管理人 投稿日:2022年07月17日 15:18 No.127
[706] Re: 5.ここは何処
投稿者: 増田純一 投稿日:2021年 9月30日(木)16時22分2秒 通報 返信・引用

GETA様

快速つくばね様の要望を取り入れての挑戦状に解答してみます。

写真1 大阪駅前 4号系統ですか?難しい!
写真2 阪急東口 阪急百貨店から阪急東商店街への横断歩道前です。         守口系統の市電の発着場所
写真3 天神橋六丁目(通称天六)後ろのビルは阪急共栄ビル、阪急千里山線が2階から発車していました。小生、大学1~2回生頃、地下鉄御堂筋線がまだ長居まで来ていなかったので国鉄(現JR)阪和線長居から天王寺経由天満まで乗車し、有名な商店街歩いて、阪急天神橋駅に、そこから大学前(現関大前)まで通っていました。

皆で、続編も作って行きましょう。


管理人 投稿日:2022年07月17日 15:15 No.126
[707] ここは何処
投稿者: 西邑 宏 投稿日:2021年10月 1日(金)10時48分58秒 通報 返信・引用

GETA様
私も回答させていただきます。
写真1 左に折れると大阪駅前 左端に見えるのは旧曽根崎警察署の立派な建物右下に見える手すりもヒントになりました。少し難しかったね。かなり考えました。

写真2 阪急東口 阪急百貨店と富国生命ビルの間。いずれも旧ビル    曽根崎警察署からの写真ですか。何か用事あったん?

写真3 天神橋六丁目(通称天六)。トロリーバスも、阪神北大阪線の停留所も見える懐かしい写真。それはそうと新京阪の駅ビルはじめ京都線の路線上の資産、デイ100はじめとする電車資産について、京阪は阪急からなにがしのお金をもらったのでしょうか?

私も、「ここは何処」に3枚投稿します。答えを先に言っておきます。誰でもわかる国鉄大阪駅です。その変貌ぶりに驚いてください。
1枚目は 大阪駅神戸方 特急へいわ こんな特急あったんや 1962年(昭和37年)1月14日
2枚目は 大阪駅京都方 特急はと 確か第XXと複数あったと思うが 1961年(昭和36年)10月1日
3枚目は 大阪駅神戸方 特急はと 横に居るのはEF14やねえ。1962年(昭和37年)1月14日


管理人 投稿日:2022年07月17日 15:11 No.125
[708] Re: 5.ここは何処
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年10月 1日(金)15時04分11秒 通報 返信・引用 編集済

GET A 様
 出題有難うございます。解答いたします。

写真1:難しいです。ヒントが無いと分かりません。大阪市営バスの塗色が懐かしいですね。

写真2:阪急東口だと思います。ヒントは右側ビルのシネラマと掲示されている「OS劇場」です。子供会の催し物で「砂漠は生きている」を観た記憶があります。確かこの辺りの地下にあった喫茶店「アメリカン」?で、何回か「持ち出し例会」をやった覚えがあります。

写真3:ここは「天神橋六丁目」交差点ですね。増田会長と同様に通学時にたまに気が向いたら京橋-天満…(天神橋筋商店街徒歩連絡)…天神橋(現、天神橋筋六丁目)-関大前で通学していました。京橋-大阪・梅田-関大前と所要時間はほとんど変わらなかったと思います。大阪万博に水を差した1970年4月8日夕刻に「天六ガス爆発事故」が起こったのもこの近くですね。トロリーバスも懐かしいです。

 私も、大阪市電の写真を一枚貼り付けます。車両は2201形、23系統(港車庫前-川口町-北浜二-京阪東口-東野田-都島本通-都島車庫前)のようです。撮影場所が分からないので教えてください。

 ついでに江若鉄道時代の関東鉄道譲渡車の車内の写真がありましたので貼り付けます。一枚はキハ5121の運転台です。二枚目はハ5010の車内です。いずれも1966年10月16日に三井寺下機関区で撮影したものです。


管理人 投稿日:2022年07月17日 15:08 No.124
[709] Re: 5.ここは何処
投稿者: GET A 投稿日:2021年10月 3日(日)15時47分57秒 通報 返信・引用 編集済

ご回答の皆様有難うございます。
昭和40年代の写真で60歳以下の方は見たことも無いと思います。

(写真1)は、大阪駅前(阪神前)、停留所に電車が入っていると、発車するまでポイントの手前で停車して乗客を降ろしていました、大阪市電は乗降場が殆ど設置され、百済等の終点他一部の停留所は阪神国道と同じく白線だけの所が有りましたが大阪駅前は立派な停留所が有りました。
4系統で阿部野橋~大阪駅前まで1時間ぐらいかかっていましたが、運賃は20円でした。
写真1:当時の大阪駅前停留所(阪神前から)
写真2:現在の風景

(写真2)は、阪急東口です、守口市まで走っていました、写真は当時の阪神百貨店屋上からのものです。

(写真3)は、天六(天満橋6丁目)、トロバスも走っていました。

快速つくばね様
左に停留所が写っているのでもう少し鮮明なら判ったと思います。
当時の写真を見ると、住友銀行が写っているので本田(ほんでん)1丁目と思います。
写真3:本田1丁目、港車庫行き


管理人 投稿日:2022年07月17日 15:04 No.123
[711] Re: 5.ここは何処
投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年10月 5日(火)21時15分29秒 通報 返信・引用 編集済

GET A 様
左に停留所が写っているのでもう少し鮮明なら判ったと思います。
当時の写真を見ると、住友銀行が写っているので本田(ほんでん)1丁目と思います。

 よく分かりましたね。思い出しました。この電停の近くにアルバイト先のお得意がありました。住友銀行の前の食堂のエビフライ定食は格安で美味でした。55年前の話ですが。

西邑 宏 様
 ご無沙汰しています。大阪駅の写真ありがとうございます。3枚の写真を調べているうちにいろいろな出来事が整理でき、新しい発見もありました。
 1961年(昭和36年)10月に「サン・ロク・トオ」と呼ばれる大規模なダイヤ改正が行われ、全国各地で優等列車が大増発されました。このとき、山陽本線は三原駅まで電化されましたが、昼間の特急列車としては、「かもめ号」がキハ82系を用いて気動車化され、共通運用として大阪-広島間に「へいわ号」、大阪-博多間に「みどり号」が新設されました。
 この時刻改正では山陽本線の他、全国にキハ82系を使用した非電化区間の特急ネットワークが張り巡らされました。「まつかぜ号」(京都-福知山線経由-松江)、「ひばり号」(上野-福島経由-仙台)、「つばさ号」(上野-山形経由-秋田)、「白鳥号」(大阪-直江津経由-上野・青森)、「おおぞら号」(函館-室蘭本線経由-旭川)などです。
 翌1962年6月 広島駅まで電化が延伸され、東京-大阪間を運転していた特急「つばめ号」2往復のうち1往復が広島発着となり、代わりに同一時間帯を走っていた「へいわ号」が運転開始からわずか8カ月で廃止となりました。つまりこの写真は、8カ月の間に撮られた貴重なものです。このとき151系の「つばめ号」は、瀬野-八本松間の急勾配を出力不足のため自力で登ることができず、上り列車においてはEF59形などの補助機関車を連結して登坂していました。
 11番ホームのない時代の大阪駅の写真を初めて見ました。11番ホームは、雷鳥が設定される2年前、北陸トンネルが開業したのと同じ時期の1962年10月1日より東海道本線上り方面の列車が増えるのを見越して供用が始まったようですね。それにしても2枚目の撮影場所によく入れましたね。今なら「列車非常停止警報装置」が作動し、近辺の列車は防護無線を受信して緊急停車し、周辺の信号機がすべて赤に変わり、翌日の新聞に中学3年生が大阪駅線路内に立ち入り身柄確保と大きく報道されますね。
 撮影日が1961年(昭和36年)10月1日とありますが、この日は日曜日でまさに時刻改正当日であったのですね。私などは新聞や雑誌で知ったほどでまさに遠い世界の出来事でした。「はと号」もこの日から新設登場しましたが「つばめ号」を増発する形となったため、ホーム上に少し雰囲気がありますが、寂しい出発式ですね。たぶん「白鳥号」や「みどり号」は盛大に行われたと思います。
 この先頭車は連結器の上にチャンピオンマークを付けたクハ151-3または4ですね。1959年7月27~31日に151系を使用して高速度試験を東海道本線金谷-藤枝間の上り線で行い、31日に202 km地点付近で163 km/hという当時の狭軌鉄道の世界最高速度を記録し、その功績を讃え本試験に充当されたクハ151-3・4の前頭部にチャンピオンマークが付けられ、181系に改造されてからも廃車直前まで残っていました。また、その記録達成場所の付近に後年開業した六合駅付近には、1995年に「狭軌最高速度記念碑」が立てられ、今も駅ホームの周辺案内にも出ていますが、一般の人は誰も意味が分からないと思います。
 1962年の時刻表が手元にあったので調べてみました。大阪から発車する東海道本線の上り特急列車は臨時の2本の「ひびき号」を除き7本あり、発時刻順に07:00発2M「第1こだま号」、08:00発2006M「第1富士号」(神戸始発)、09:00発4M「第1つばめ号」、13:00発6M「はと号」、14:30発2004M「第2つばめ号」(広島始発)、15:30発2002M「第2富士号」(宇野始発)、16:30発8M「第2こだま号」となっていました。

*画像1.:大阪市電廃止記念乗車券4枚組。廃止時点の運賃は25円。
*写真1:1964年9月の東淀川-(新大阪)大阪間を走る「第2つばめ号」です。どうしてつばめ号のヘッドマークだけは、ローマ字部分がグレーになっていたのか今でも疑問です。向こう側の高架橋は1カ月後に開業する新幹線です。




お名前
メール
タイトル
URL
画像添付


削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色