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[711] Re: 5.ここは何処 投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年10月 5日(火)21時15分29秒 通報 返信・引用 編集済 GET A 様 左に停留所が写っているのでもう少し鮮明なら判ったと思います。 当時の写真を見ると、住友銀行が写っているので本田(ほんでん)1丁目と思います。  よく分かりましたね。思い出しました。この電停の近くにアルバイト先のお得意がありました。住友銀行の前の食堂のエビフライ定食は格安で美味でした。55年前の話ですが。 西邑 宏 様  ご無沙汰しています。大阪駅の写真ありがとうございます。3枚の写真を調べているうちにいろいろな出来事が整理でき、新しい発見もありました。  1961年(昭和36年)10月に「サン・ロク・トオ」と呼ばれる大規模なダイヤ改正が行われ、全国各地で優等列車が大増発されました。このとき、山陽本線は三原駅まで電化されましたが、昼間の特急列車としては、「かもめ号」がキハ82系を用いて気動車化され、共通運用として大阪-広島間に「へいわ号」、大阪-博多間に「みどり号」が新設されました。  この時刻改正では山陽本線の他、全国にキハ82系を使用した非電化区間の特急ネットワークが張り巡らされました。「まつかぜ号」(京都-福知山線経由-松江)、「ひばり号」(上野-福島経由-仙台)、「つばさ号」(上野-山形経由-秋田)、「白鳥号」(大阪-直江津経由-上野・青森)、「おおぞら号」(函館-室蘭本線経由-旭川)などです。  翌1962年6月 広島駅まで電化が延伸され、東京-大阪間を運転していた特急「つばめ号」2往復のうち1往復が広島発着となり、代わりに同一時間帯を走っていた「へいわ号」が運転開始からわずか8カ月で廃止となりました。つまりこの写真は、8カ月の間に撮られた貴重なものです。このとき151系の「つばめ号」は、瀬野-八本松間の急勾配を出力不足のため自力で登ることができず、上り列車においてはEF59形などの補助機関車を連結して登坂していました。  11番ホームのない時代の大阪駅の写真を初めて見ました。11番ホームは、雷鳥が設定される2年前、北陸トンネルが開業したのと同じ時期の1962年10月1日より東海道本線上り方面の列車が増えるのを見越して供用が始まったようですね。それにしても2枚目の撮影場所によく入れましたね。今なら「列車非常停止警報装置」が作動し、近辺の列車は防護無線を受信して緊急停車し、周辺の信号機がすべて赤に変わり、翌日の新聞に中学3年生が大阪駅線路内に立ち入り身柄確保と大きく報道されますね。  撮影日が1961年(昭和36年)10月1日とありますが、この日は日曜日でまさに時刻改正当日であったのですね。私などは新聞や雑誌で知ったほどでまさに遠い世界の出来事でした。「はと号」もこの日から新設登場しましたが「つばめ号」を増発する形となったため、ホーム上に少し雰囲気がありますが、寂しい出発式ですね。たぶん「白鳥号」や「みどり号」は盛大に行われたと思います。  この先頭車は連結器の上にチャンピオンマークを付けたクハ151-3または4ですね。1959年7月27~31日に151系を使用して高速度試験を東海道本線金谷-藤枝間の上り線で行い、31日に202 km地点付近で163 km/hという当時の狭軌鉄道の世界最高速度を記録し、その功績を讃え本試験に充当されたクハ151-3・4の前頭部にチャンピオンマークが付けられ、181系に改造されてからも廃車直前まで残っていました。また、その記録達成場所の付近に後年開業した六合駅付近には、1995年に「狭軌最高速度記念碑」が立てられ、今も駅ホームの周辺案内にも出ていますが、一般の人は誰も意味が分からないと思います。  1962年の時刻表が手元にあったので調べてみました。大阪から発車する東海道本線の上り特急列車は臨時の2本の「ひびき号」を除き7本あり、発時刻順に07:00発2M「第1こだま号」、08:00発2006M「第1富士号」(神戸始発)、09:00発4M「第1つばめ号」、13:00発6M「はと号」、14:30発2004M「第2つばめ号」(広島始発)、15:30発2002M「第2富士号」(宇野始発)、16:30発8M「第2こだま号」となっていました。 *画像1.:大阪市電廃止記念乗車券4枚組。廃止時点の運賃は25円。 *写真1:1964年9月の東淀川-(新大阪)大阪間を走る「第2つばめ号」です。どうしてつばめ号のヘッドマークだけは、ローマ字部分がグレーになっていたのか今でも疑問です。向こう側の高架橋は1カ月後に開業する新幹線です。
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