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甲子園臨の思い出
NCC183 投稿日:2022年08月21日 22:20 No.166
おばんです

夏の甲子園も決勝戦を残すのみになりましたが、
かつては各地から応援団輸送の団体列車(甲子園臨)が数多く設定されていました。
長野地区からも設定があり、長野車6連あるいは11連が使用されていました。
(松本車9連が使用されたこともありましたが)

中央線ではM8が人気だったように、あずさ色より国鉄特急色の方が人気があった感じでしたが
大阪地区では国鉄特急色は「雷鳥」でおなじみであり
通常は見られないあさま色&あずさ色は熱烈歓迎だったようです。
また、長野からの列車は特設マークでの運転であり、
団体幕の列車も少なくない中で、人気を集めていたようでした。

画像は2005年夏の列車で長野駅での撮影です。


青葉 投稿日:2022年08月23日 21:40 No.167
こんばんは。

今年の甲子園は初の「白河越え」であったり、監督さんのインタビューであったり、なかなか感動的でした。

一方、甲子園臨という団体列車は昨今すっかり見なくなりましたね。しかし考えてみれば
雨天順延があったり、勝ち負けはもちろんわからないし、終了時刻もわからないし、
設定する鉄道側にとっても大変な苦労があったことだと思います。なくなっていくのは仕方ないかもしれませんね。

東京に住んでいると甲子園臨には接しにくく、私は撮影したことがありません。関西の方がうらやましくもありました。
関西地区だとあさま色やあずさ色は極めて珍しく、注目を集めたでしょうね。


NCC183 投稿日:2022年08月24日 22:39 No.168
どうもです

早くから設定できる通常の団臨と異なり、短期間で準備しなければならないので大変だったと思います。
初戦は確実でもその後は勝ち負けに依存しますし、天候次第で・・・ですし
試合終了が予定より遅くなることもありますから、帰路は特に大変ですね。
しかも、夏の甲子園はお盆輸送とも重なるので、車両の確保も大変だったようです。

近年は見かけなくなってきていますが、国鉄型車両の衰退の影響でしょうか。
JR型車両の場合、会社境界を越えて大阪まで来れる車両がどれだけあるのかと考えると
車両の点からも、消えゆく運命なのかもしれませんね。




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