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183系189系電車の思い出及び保存車両の画像アップ用掲示板です。


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ほくほく十日町雪まつり 2008年 NCC183 投稿日: 2021年02月21日 17:10:38 No.71 【返信】

おばんです

この時期の定番といえば、運転は年1日でしたがこの列車もそうでした。
2007年に初設定されたものの485系に変更されたため、
183系での運転はこの年が最初でした。

183系が北越急行に乗り入れる貴重な列車でしたし、
上越線を走る特急としても貴重でした。
2008年はOM103が使用され、2007年同様特設ヘッドマークでありがたいことでした。

183系での運転はその後2009, 2011, 2012年で
そのうち特設マークは2011年のみでしたが、
雪の上越線を走る姿は183系1000番台によく似合う光景でした。

画像は水上、十日町での撮影です。


青葉 投稿日: 2021年02月23日 19:58:30 No.72
こんばんは。

1年に1回だけ(しかも復路は夜間の運転)のこの列車と私との相性は悪く、
行けたのは2010年だけで、しかも以前の投稿の通り、その年は485系T18の出番で、
とうとう撮影できずじまいでした。11年は特設幕だったんですね・・・残念無念。
でも、こうして拝見できてうれしいです。ありがとうございます。

183-1000は「とき」のために生まれた万全の耐寒耐雪車で、その時代は
その能力をフルに発揮し上越線の安定輸送に大きく貢献しました。
転出後、房総はもとより中央東線も余り雪は降りませんから、
やや宝の持ち腐れ的なところもあったでしょう。
こうして故郷に帰り雪の中を行く姿は、何となく生き生きと見えますね。
NCC183 投稿日: 2021年02月27日 18:13:44 No.73
どうもです

上越新幹線が開業間近(のはずだった)ということで、
上越線特急に新車が入るはずがなかったところ、大豪雪を受けて急遽登場し
その後は仰せのように万全の耐寒耐雪仕様ゆえに上越線の安定輸送に貢献しましたね。

新幹線開業後の転出先は中央東線では雪は降りますが、上越線と比較したら・・ですね。
大糸線白馬界隈は雪が多いものの、仰せのように全般的には宝の持ち腐れと言ったところでしょうか。
ちなみに、当初はシュプール号に0番台が使用されたりしましたが、
後に1000番台限定になったので、その点では耐寒耐雪強化型の本領発揮でした。

こういった状況でしたから、波動用転用で上越線に復帰し、
冬の雪との組み合わせはまさに生き生きとしていますね。

画像は2011年の特設マーク付きOM102で、北越急行に入っていくところです。





シーハイル上越 青葉 投稿日: 2021年02月05日 20:27:07 No.65 【返信】

こんばんは。

画像を見ただけではどんな列車かわかりにくいですが、
実は「シーハイル上越」です。2010年2月21日、津久田-岩本間の撮影です。

所定では大宮車ですが、H81の代走でした。このシーズンずっと
代走だったのかは忘れてしまいましたが、H81だと絵幕が見られない代わりに
長い編成で見ごたえがあり、痛しかゆしというところでした。

この日の復路には乗車しましたが、大混雑で自由席は確か4両でしたが
中里からは立ち客もでる状況で、それで代走なのかと思いました。

183系での運転は2013年まででしたが概して乗車率はよかったと思います。
14~15年は185系全車指定席となり、16年からは設定されなくなりました。
まさか185系になったから需要が減ったわけではないでしょうから、
それだけスキー人口が減ったということなのでしょうか??
これは8両で正解だな


青葉 投稿日: 2021年02月05日 20:30:50 No.66
すみません、最後の1行は無視してください。
NCC183 投稿日: 2021年02月06日 18:08:04 No.67
どうもです

この年の2月は大宮車の出番が減っていました。
「シーハイル上越」は1月は所定の大宮車でしたが、2月に入って田町車になり
当初はH61でしたが、この前日の20日からH81が使用されていました。
結果的に、この年は最後までH81での運転になりました。

この前日の20日に「ほくほく十日町雪まつり」の運転日で出かけたのですが
「シーハイル上越」のH81に始まり、田町車のはずの「花摘み南房総」が大宮車。
「ほくほく十日町雪まつり」は大宮で待っていたら
シンボル付き国鉄特急色編成がやってきて一安心たのですが、
よく見たら運転室上にライトが・・・・・
(T18でした)
その他、大宮車のはずの団臨がH61になり、波乱続きでした。

20日の帰りは「シーハイル上越」に乗車。
あくまで代走のためか、仰せの通り自由席は4両で、
1,2,7,8号車が自由席でした。
なので、通常は載ることがない7号車に乗ったのですが
H81が多客臨に使用されるのは稀だったので、貴重な体験でもありました。
(元新潟車で上越線を旅するのもいいですね)

仰せのように185系化後数年で消えてしまいましたね。
窓が開く185系は冬の上越線では寒いのではないかと思いますが
それ以外、185系が避けられる理由は思いつかないので、スキー人口の減少でしょうか、
乗客の大半が越後中里駅利用者でしたので、中里以南では賑わっていたのですが
それも減ってしまったのかもしれませんね。
ただ、この当時は利用状況を考えたら、8両でも過剰ではなくむしろよかったと思います。

H81が快速幕で走る機会も少なかったので、貴重でしたね。


NCC183 投稿日: 2021年02月06日 18:11:41 No.68
すみません訂正です

シンボル付き国鉄特急色編成がやってきて一安心たのですが、
⇒シンボル付き国鉄特急色編成がやってきて一安心したのですが、

なので、通常は載ることがない7号車に乗ったのですが
⇒なので、通常は乗ることがない7号車に乗ったのですが
青葉 投稿日: 2021年02月07日 09:40:19 No.69
おはようございます。

1月は大宮車だったんですね、ありがとうございます。
さて2/20~21は土日きっぷで上越線界隈を歩いていましたが、
仰る通り波乱の2日間でした。そんなわけで追加を3枚貼らさていただきます。

1枚目 2/20 十日町雪まつり 大沢付近 T18(これはこれで貴重ですが。)
2枚目 2/20 美里夢列車 石打駅 H61(このデコレーションのための運用変更?)
3枚目 2/21 何かの団体が「試運転」幕 H61(H81シーハイルの直前でした。)


NCC183 投稿日: 2021年02月07日 22:25:47 No.70
どうもです

ほくほく~は183系で運転となっていましたが、予告なしの変更になりました。
上越線を走る貴重な183系特急で、乗るのも撮るのも楽しみな列車でしたが
当日は485系に変更で気分は↓。
ただ、今思えば、この時の乗車が485系の最終乗車になり、
結果的に乗れてよかったと思います。

美里夢列車も183系大宮車の予定でしたが、こちらも変更。
この日のH61は房総方面に行くはずでしたが・・・・・。
仰せのように、デコレーションを考えたら大宮車は不向きですね。
比較的地味な運用が多かったH61にとって、華やかな列車でしょうか。
DJ誌に掲載された時刻は上野、大宮、十日町のみでしたので
途中の時刻を推測しての撮影でした。

翌日のH61は高210のようです。

この時期、大宮車の出番が少なかった理由は不明ですが
そのため、通常とは違う様々な光景が見られましたね。

画像は
十日町雪まつり:六日町
美里夢列車:越後湯沢
です。





1975年越後湯沢?の特急とき 千葉鉄保田駅改札係 投稿日: 2021年01月25日 21:06:43 No.62 【返信】

中高時代は六日町ユースホステルのスキー教室によく行っていました。
165系急行佐渡やよねやまで向かうことが多かったのですが、
ときの181や183にも乗った記憶があります。
写真は越後湯沢でいいのでしょうか?間違っていたらご教示ください。
35ミリハーフで出来栄えもよくないのですが、ご覧ください。


千葉鉄保田駅改札係 投稿日: 2021年01月25日 21:09:42 No.63
自分で書いておいてなんですが、六日町で通過のときを撮ったような気もします。はてさて?
NCC183 投稿日: 2021年01月25日 22:48:26 No.64
どうもです

183系1000番台デビューの頃ですね。
スキーシーズンのこの界隈は特に賑わっていたと思います。
上越線は駅の近くにスキー場が多いので、鉄道にとっては有利でしたね。

当時は急行があり特急もありで、特急より安い急行は重宝されていたと思います。
今は急行がなく特急だけですから、時代も変わりましたね。
(特急は特別急行ですから、特別でない急行が存在しないのに特別な急行だけ存在するのは変ですね)

光景を見た感じでは、仰せのように六日町のような感じがします。
当時は当たり前だった文字幕ですが、上越新幹線開業のはるか先の2000年代に
車両に常備されるようになるとは予想できないことでしたね。



1972夏の183系 千葉鉄保田駅改札係 投稿日: 2021年01月14日 18:31:33 No.58 【返信】

当時は保田小5年。父が撮影した夏休みの宿題です。
183系単独は保田駅東京よりで。72系との交換は保田駅。165系との交換は浜金谷駅です。交換は183系が添え物?ですいません。


NCC183 投稿日: 2021年01月14日 21:53:15 No.59
どうもです

1972年と言えばデビューの年、貴重な画像ですね。
当時は72系もいたんですね、知りませんでした。
今は通勤型車両の209系がいますから、「歴史は繰り返す」でしょうか。
当時は房総急行もあって、特急と急行の「差」があまりないことも
183系の評判を落としていましたね。

とはいえ、夏の繁忙期の輸送など大活躍でしたし、
車両や列車についても、後の時代の特急車両・特急列車の姿を先取りしていたことになり
ある意味「先進的」な車両でした。

国鉄特急色は貫禄十分な塗装であり、新しい時代の幕開けにふさわしい光景でしたね。
青葉 投稿日: 2021年01月17日 19:58:28 No.60
こんばんは。

1974年の夏、高校生だった私はクラスの仲間10数人と千倉へ1泊で海水浴へ。
高校生のこととて行きは鈍行旅行。しかも千葉からは72系で、古い、遅い、暑い、
うるさい、WCもないでは、いくら鉄チャンの私でもギブアップ気味。

で、帰りは「特急で帰ろう」と提案。自由席特急券が確か600円で高校生には贅沢でしたが、
ボロボロの72系とピカピカの183系では比較にならず、電車に興味のない連中も大喜び。
「何で行きもこれにしなかったんだ。」と幹事は責められていました(笑)
もっとも、海水浴の疲れと余りの快適さに全員東京までほぼ爆睡ではありましたが。

これが私の183系初乗車で、千葉鉄保田駅改札係さんの投稿で、思い出しました。
183系も、そして私も、若かったころの懐かしい思い出です。ありがとうございました。
千葉鉄保田駅改札係 投稿日: 2021年01月24日 19:40:41 No.61
ありがとうございます。
今ならスマホで沢山撮っていたのでしょうが
プリント1枚70円の時代。残っているだけでもいいのかなと。

NCC183様
72系は冬場の交換はドア開放で逃げ場なく凍えてました。
当時新聞記事にもなtっていました。
209系はトイレもあるし、ドアボタンあるはで時代の流れ感じます。

青葉様
貴重な想い出話多謝。もしかしたら保田駅で見ていたかも。
急行指定席料金は子どもも大人と同じ、
なので子どもは特急指定席が安いというのを思い出しました。
やがてはサハシもつけてビュッフェ!を妄想した時代でした。



謹賀新年 青葉 投稿日: 2021年01月02日 10:02:18 No.56 【返信】

あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくどうぞお願い申し上げます。

新年と言うと、どうしてもこれですね。2010年の北鎌倉駅、OM102+103の12連です。
登場時の貫通編成ではありませんが、やはり長い編成は見栄えがしますね。
ましてやこの微笑ましい絵幕ですからなおさらです。ありがたいことでした。

昨今は、こうした鎌倉臨や成田臨などは激減しましたね。今年はコロナで特にそうでしょうが、
そうでなくても団体臨時列車を仕立てるようなニーズがなくなってきているようです。
成田臨など、かつては客車列車も走っていたのですが、これも一つの時代の流れなのでしょうか。


NCC183 投稿日: 2021年01月02日 22:28:16 No.57
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

新春の風物詩である初詣臨ですが、昨今は減っているようでこれも時代の反映なのでしょうか。
仰せのようにかつては客車もあり、高崎支社の列車で12系だったでしょうか。
かなりの人気があったようです。

今は激減したようですが、183系が波動輸送を担っていたころは本数も多く
その中でこの12連は1番人気的な存在だったでしょうか。
絵幕で12連というのは183系の全盛期を思わせますね。

添付の画像は2007年のもので、前日の送り込みと違って悪天候でした。
12連鎌倉臨はこの年が初めてでしたが、往路先頭はOM102でしたので絵幕でした。
そして、これが初詣絵幕の初披露になりました。

165系が3両基本で、需要に応じて3~12連が組めたのに対し
183系はそうはいかず、田町車では4, 6, 8, 10連が用意されていました。
一方、新前橋車では6+6という驚きの手法がとられました。
理論的には、2編成併結は可能ですが、
そのような使い方は「とき」などで活躍していた全盛期には想像できませんでしたね。
当時、「将来は6+6の12連が登場して団体列車に・・・」なんて話をしても相手にされなかったと思います。

変則的とはいえ、生涯末期においても全盛期と同じ12両編成で活躍する機会があったのは
とてもありがたいことでした。





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