この理由のひとつは「パドローネ」と呼ばれるボスの存在がある。英語に堪能でなく、又米の生活習慣に慣れていない伊人にとって通訳や雇用者との 仲介役を行ってくれるボスは無くてはならないない存在であり、生き残るには彼に頼るしか方法が無かったのである。彼の斡旋する仕事は「つるはしとシャベル」(pick and shovel)と呼ばれ、低賃金重労働であり、その上斡旋料をとられるため労働者には痛む腕と背中しか残らないといった状況だった。しかし1900年から1914年頃に州政府がパドローネを頼っての移民の入国に制限を加えたため、パドローネ制度は衰退していく事になる。移民の多くはこのような斡旋業者を通して渡米していたが仕事を実際に得る上で特に重要な役割を担っていたのは近縁、遠縁の親族、同じ村や地方出身の同郷人ネットワークであった。