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「口は達者、足腰は華奢」の丹波篠山同期会(その2) 砂岡茂明 投稿日: 2023年09月19日 17:47:33 No.874 【返信】

二日目 丹波篠山は盆地のため、朝晩は冷えるせいか早朝の朝靄が綺麗でした。
昨日から、泊まっていた幼稚園児150人位が、湖畔で朝のミーティングをしています。
前日の夕食時のレストランでもこの幼稚園児達と一緒で、ちょっと煩かったですが、チビちゃんパワーに力を貰いました。我々と入れ違いで引き上げた後はとても静かでちょっぴり寂しさもありました。
ゆっくり朝食を食べ、この日の福知山観光に出かけるため、昨日降り立った篠山口駅へタクシーで向かいました。
篠山口駅で大阪から駆けつけた、正勝兄と合流し、福知山へ向かう。正勝兄は、先週の「おわら風の盆」に続いての旅行のため、疲労が残っているのか、心持ち歩くのが遅く感じられる。でも皆の口は元気そのもので、福知山駅まで一時間余り、俊ちゃん持参の補聴器や近況の話題で喋りっぱなしでした。
駅から福知山城までは1.2㎞と歩ける距離だが、迷わずタクシー分乗で向かう。大手門から坂を昇って天守閣へ。福知山城は1579年頃、明智光秀が丹波を平定した際に築城したと伝えられています。天守台の石垣は、当時の姿を今に伝えている貴重なもので近隣の社寺から集められた五輪塔や宝篋印塔を転用した石材が多用されているのが特徴です。
福知山城の天守閣では、昨年秋の将棋「竜王戦」の第4局が行われました。藤井聡太が廣瀬8段に勝利しています。(画像は、「竜王戦」対局場での砂岡苦段と正勝冗段の対戦スナップです。)
城のボランティアに昼食にお薦めの処はないかと尋ねたところ、「竜王戦」で棋士達が食べた勝負飯を紹介された。お城の直ぐ近くで徒歩10分とのことだったが、20分以上歩いてやっとお目当ての店に辿り着いたが、満席で入れず。隣のの料亭のような造りの店に落ち着いた。この店は、京都銀行初代頭取の旧宅で、座敷は厳かで枯山水の庭も素晴らしい。正勝兄の曽孫が今年京都銀行に入行した話で仲居さんと盛り上がった。
時間が遅かったため、モリ蕎麦しか残っておらず、仲居さんお勧めの鳥の唐揚げを副品として付けて貰った。
蕎麦も美味しかったが、この唐揚げが絶品。お変わりの声もあがったが、今夜の夕食は、三田牛の焼肉なので追加は無し。
帰路は、また福知山線で1時間、篠山口駅へ。タクシーでホテルへ。
夕食は、三田肉の焼肉と地酒を堪能し、二次会は部屋に戻ってお酒なしで深夜までダべリング。鼾や寝ぐせの悪さに困った部屋があったのは翌朝聞いた。
以下三日目は、後日投稿します。


追加画像 砂岡茂明 投稿日: 2023年09月19日 17:51:17 No.875
竜王戦

久兵衛

三田牛


河口友彦 投稿日: 2023年09月20日 18:53:08 No.876
三田肉美味しかったでしょう‼
よだれが出そうになりますね。三田肉で有名な”三田屋本店”には2度行きました。能舞台の有るレストランでとにかく美味しかったのを覚えています。 河口


「口は達者、足腰は華奢」の丹波篠山同期会(その1) 砂岡茂明 投稿日: 2023年09月18日 16:36:16 No.868 【返信】


伝統ある12期の同期会は、コロナ禍前の2019年11月に神戸でファイナル同期会を実施してから約5年経って、今年9月に砂岡の希望で、丹波篠山で実施しました。
近内、俊ちゃん、関、正勝、砂岡の自称精鋭達が参加しました。神戸は16人の参加でしたが、今回は、5名と1/3以下でした。
今回の参加者の合計は405歳、観光スポットは、一日一か所に絞って、休憩をたっぷり取って、トイレに頻繁に寄って、ゆっくり温泉に入って、おしゃべりしながらの食事に懇談と贅沢な旅でした。

第一日目(9月8日(金曜))
 台風13号の余波で東京は大雨、東海道新幹線の計画運休も懸念されましたが、目的地の丹波篠山方面は晴ということで、近内さんと砂岡は予定通り9時半東京駅発の新幹線に乗車。11時半頃、名古屋から、俊ちゃんと合流、挨拶もそこそこに持ち込んだ弁当を食べる。(新大阪は食事を済ませての集合)東京名物は、箸でも切れるトンカツが有名な「まいせん」の玉手箱弁当、名古屋名物は、豪華な「幕ノ内弁当」(隣の芝は青く見えたな)
 新大阪駅では、在来線乗換口で、関兄が手を振って出迎えてくれる。正勝兄は、直前に行った八尾の風の盆ツアーで疲れが残って、明日からの参加となり、4人で、福知山線の快速で約1時間半、篠山口(丹波篠山の玄関口)へ。タクシーで20分、篠山城跡へ。東京を出る時は大雨だったが、篠山は快晴でちょっと歩くと汗がでる。城へ入る前に、まず休憩で、城跡近くの観光施設「大正ロマン館」へ。ここは、旧篠山町役場で1923年の建築当時は、篠山町で最もモダンな建物でした。
篠山と言えば名物は、黒豆、早速、黒豆ソフトを賞味する。
 その後、城跡へ。天守閣などは地割だけが表示してあるだけで、建物は大書院のみとなっている。この書院は、篠山藩の公式行事に使用されたもので京都二条城の二の丸御殿の一棟に類似している。(1944年に焼失し2000年再建)
 場内には、沢山の鎧兜が陳列してあり壮観であった。
 5時頃、宿の「ユニトピアささやま」に到着。
「ユニトピアささやま」は、27万㎡(甲子園球場7個分)の広大な敷地にある休暇村です。
1973年に当時の松下電器産業労働組合が「自らの手で自然を守り、大自然の中で人間性の回復や連帯感を高める憩いの場」として開村したもので、現在は、その考え方と貴重な財産をパナソニックグループ労働組合連合会が受け継ぎ運営しています。
 まず、ゆっくり入浴して、懐石料理の夕食を囲みながら、歓談、食事後は、一部屋に集まってアルコール抜きの二次会え話は尽きない。

 二日目、三日目は後日投稿予定です。


河口友彦 投稿日: 2023年09月18日 16:59:17 No.869
待ってました。
旅行に参加できなくて残念でしたのでレポートを楽しみにしていました。
篠山で思い出すのは、大阪時代良く飲んだお酒が”丹波篠山の小鼓”でした。

その2も楽しみにしていますよ!
志村弘昭 投稿日: 2023年09月19日 14:20:48 No.872
あんな大雨の中、ついに集まりましたね!実に羨ましい😭 

なーんちゃって! 

しばらく、ヒガミの時間でありました。又々な~んちゃって! 
でもルポを読ませてもらうと、皆さん本当に、元気いっぱいでひがみの僕も元気を頂きました🙌 よかった!良かった。
丹波杜氏 砂岡茂明 投稿日: 2023年09月19日 14:28:10 No.873
河口さん、コメントありがとうございます。
丹波杜氏は最盛期には、五千有余人が灘をはじめ全国各地、遠くは中国大陸や満州まで酒造りに出ていました。当然、丹波篠山にも銘酒があります。初日に関兄が一人で頑張って飲んでいた、「鳳鳴」、二日目は正勝君が来て安心した関兄が二人で飲んだ「秀月」や、河口兄が大阪勤務時代に夜な夜な飲んでいた「小鼓」などがあります。

画像1 丹波の銘酒
画像2 一人頑張る関兄
画像3 五人揃って乾杯(左の3人はジンジャエール、右の二人は生ビール)




「あれ」は、「優勝」でした。 砂岡茂明 投稿日: 2023年09月15日 14:39:18 No.866 【返信】


阪神タイガースの岡田監督が、優勝という言葉を封印して、「アレ」と呼んでいるうちに、ファンやスポーツ関係者の間で広まって、今や、関西では、アレが優勝の代名詞になっています。

昨日、阪神が優勝したので、今日のテレビではどの番組でも「アレ」が話題になっていました。

でも、我々高齢者は、随分前から「あれ」を連発していましたから、今更、優勝の代名詞と言われてもピンときませんが…

ところで、熱烈なジャイアンツファンとしては、阪神の優勝は手放しでは喜べません。ましてや、阪神の本拠地で、岡田監督の胴上げを許したのは残念でなりません。9回に坂本の本塁打で一点差に迫ったのがせめてもの救いでした。

昔は、熱烈なファンの間では巨人阪神戦は特別な試合でした。私は、小学生の頃、巨人の多摩川練習場のそばが遊び場だった関係で、それ以来、巨人ファンです。

しかし、阪神が弱くなって伝統の巨人阪神戦も人気が衰えて来ました。1985年に吉田義雄監督の時に、21年振りに阪神が優勝するまでは、阪神があまりにも弱いので、タイガースではなくキャッツと名前を変えた方が良いのではと揶揄していました。
でも、今は、巨人が弱すぎて、阪神ファンからジャイアンツではなくチルドレンと改名するよう揶揄されそうです。





我が家のはやり言葉 志村弘昭 投稿日: 2023年09月14日 21:22:35 No.865 【返信】

朝起きる!
僕、イテエ…イテエ
足が痛え!

女房、痛い、痛い、足が
痛い! そう言ってくれなきゃ 
何処が痛いのか分かりません。

僕、すいません、、、、  
以上、毎日です。
これは対象に為りませんね?


流行語 砂岡茂明 投稿日: 2023年09月14日 09:45:36 No.864 【返信】

そろそろ年末で流行語大賞が出る頃になりました。
(「まだ9月なのに早すぎる」って? 「いえいえ一カ月や二ヶ月は直ぐに経ちます。」)

ところで、今年の流行語大賞は「あれ」で決まりかな?

【昨年の流行語大賞】
/大]





先日砂岡兄の投稿した「頭の体操」では私はやっと8人を探すことができたが、一昨日、河口兄から電話をもらった時に、この話が話題になり、その時に彼からアドバイスをもらい、私もやっと9人目の顔を探し出すことができた。
まだまだ皆さんの域には達していないようだが、私の海馬はまだ、しばらくは元気に働いてもらえそうだ。


回想録「日本一周海岸線の旅、四国路」
      高知城から龍馬郵便局、久礼大正町市場、四万十川沈下橋まで

2013年10月30日(水)11時頃高知城を出てから車で10分程、南西に走り、龍馬の生家があった上町(江戸時代の地名は本町筋 ほんちょうすじ)にある龍馬郵便局に向かった。
壁面をアイボリーに塗られた局舎正面の窓は大きくとられ、左側の壁には貼り付け文字で龍馬郵便局と黒い字で書かれていた。
入り口には右手を懐に入れ、広大な紺碧の太平洋を見つめる、おなじみのポーズをとった高さが2.5m程の龍馬立像が四角い白い大理石の台座におかれていた。
このように訪れる客を楽しませてくれる郵便局の粋な計らいを目の当たりにすると、我々のように遠くから足を運んで局印や風景印をゲットする蒐集家にとっては大変うれしい限りである。
関兄は以前、龍馬郵便局を訪れていて、すでに局印は押印してもらっているとのことだったので、私だけ郵便窓口に行って、局印と風景印を押印してもらった。
実在した人物の名前を付けた“龍馬郵便局”とは珍しい局名だが、私もこれまでにいろいろな郵便局を回ってきたが、著名な人物名を付けていた局は、ほかにもあり、福島県猪苗代町の“野口英世の里郵便局”と大分県中津市の福沢諭吉の生家の近くにあった“福沢通り郵便局”があったことを今でもよく憶えている。

龍馬郵便局を出てからは北側にある国道33号線に明治37年(1904年)に敷設された花崗岩の石畳の上に敷かれた2本の鉄路を走る日本最古のレトロな路面電車、土佐電気鉄道、通称「とさでん」に沿ってJR土讃線、須崎駅に向かって車を西に走らせた。
道なりに10Km程走ると左手に巨大な二頭の親子クジラのモニュメントが見えてきた。左折して中に入ると「宇佐しおかぜ公園」と書かれていた。
高知県の海は日本有数のクジラの生息地で平安末期から鎌倉時代になると「突き取り式捕鯨」といわれる、小船を沖に漕ぎだして、銛(もり)で突いて獲る漁をしていたそうだ。
近年でも古式捕鯨の発祥地、和歌山県太地町では複数の漁船が沖合から小型鯨類のゴンドウクジラなどの追い込み漁が現在も続いているそうだ。
しおかぜ公園にある宇佐港からはベテラン漁師の船に乗って宇佐湾をクリージングしながらクジラを観察できる「ホエールウオッチング」の船が出て、観光客を喜ばせているそうだ。
公園を出てからは須崎駅そして市内にあった「安和簡易郵便局」に立ち寄ってスタンプを押印してもらった後、「久礼(くれ)大正町市場」に向かった。

市場に着いたのは3時半頃だった。近くにある駐車場に車を停め、早速、市場に向かった。
5分程歩くと「久礼大正町市場」の入り口に着いた。
市場の正面左手には赤い郵便ポストがあり、間口が4~5m位の大正、昭和時代の歴史を感じさせる頑丈そうに造られた木造二階建ての門があった。
二階部分(実際は木造の天井が高いガラス張りのアーケード街の屋根を支える壁)にあたる白い漆喰壁には1.5m幅ほどの大きなカツオの額があり、下には貼り付け文字で「久礼大正町市場」と書いてあった。
1階のアーケード街は奥行きが40mほどあるそうで、真ん中の通路をはさんで両側に山本鮮魚店、松澤青果店、田中鮮魚店など、出店業者の鮮魚や水産加工品を並べた冷蔵ケース、野菜や果物を山積みした販売台が置かれ、天井からは「祝 大漁 商売繁盛」「大 祝 漁」と派手な彩色で染め抜かれた絵や字で描かれた大漁旗や「市場のめし屋 浜ちゃん」などと書かれた大きな看板のれんが、にぎやかに吊り下げられていた。
私たちは昨日、高知市の「ひろめ市場」で食べた、旨い「藁焼きカツオたたき」の味が忘れられず、今日も又、是非食べたいと思い、田中鮮魚店に飛び込み、今朝一番に水揚げされたばかりのカツオを店頭でさばいて、藁焼きした「厚切りのカツオのたたき」を買い求め、店の前の通路を挟んだお向かいにある田中鮮魚店の食堂「漁師小屋」で、地元須崎で作られた刺身醤油と馬路村のゆずポン酢をブレンドした特製のタレにつけ、お好みで、刻んだ九条ネギ、スライスニンニク、おろし生姜をのせて、今が旬の戻りカツオを頬張って食べた。新鮮でとろけるような藁焼きカツオの何とも言えないほどのジューシーな味と香りが口いっぱいに広がり、ここでも至福の時を過ごすことができた。

久礼大正町市場の始まりは明治時代の中頃で、漁師のおかみさん達が旦那や息子達が獲ってきた小魚を道端で売り出すようになったのがきっかけだったそうだが、大正四年、市場周辺一帯の二百三十戸が焼失するという大火に見舞われ、その時、当時のお金にして三百五十円が復興費として大正天皇より届けられ、これに深く感激した町民は、その後、新しく市場を建て直し、それまでの町名、旧地蔵町通りを大正町と改めて「久礼大正町市場」として商いを再開させたそうだ。

遅い昼食を田中鮮魚店の「漁師小屋」で済ませた後、4時半頃市場を出て、JR土佐久礼駅前から土讃線に沿って走る国道56号線を南下してJR窪川駅まで走り、そこから右折して国道381号線に入り、高知県西部の長閑(のどか)な山間(やまあい)にある四万十市の四万十川に架かる上宮(じょうぐう)沈下橋に向かった。

沈下橋は増水時に水面下に沈んでしまう橋のことをいい、また、低い位置に架橋されることや架橋長が短くできることから、一般的な橋梁よりも、比較的安価な費用で速やかにできるメリットがある反面、増水時には橋として機能しなくなるという欠点があるそうだ。特徴としては橋の上に欄干がないか、あってもかなり低いものだそうで、これは増水時の橋が水面下に没した際に流木や土砂が橋桁にひっかかり、川の水がせき止められた時に起きる洪水になるのを防ぐためにそのように造られているそうだ。

四万十川は高知県の西部を流れる一級河川で全長196km、四国内で最長の川である。
本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本、最後の清流」ともいわれ、静岡県三島市の柿田川、岐阜県の長良川とともに「日本三大清流」の一つと呼ばれており、名水百選、日本の秘境100選にも選ばれているそうだ。
四万十川には本流と支流を合わせ47の沈下橋があるそうで、その中でも昭和10年(1935年)に造られた一斗俵沈下橋(いっとひょうちんかばし)、橋長61m、幅員2.5m、の鉄筋コンクリート造り9連桁橋が四万十川流域の沈下橋の内、最古のものだそうだ。

初めに訪れた、上宮沈下橋(じょうぐうちんかばし)は四万十川、右岸の大正北の川集落と左岸の上宮集落を結ぶ沈下橋として昭和32年に架橋された全長85.1m幅員2.9m、橋脚13本の橋で形成された橋だそうだ。
国道381号線の山間から抜けて視界が急に開け、上宮集落に下る県道の小道にさしかかったとき、丘の上からは実をたわわにつけた柿の木の向こうに四万十川の美しい清流とそこに架かる上宮沈下橋を眼下に見下ろすことができた。

上宮沈下橋では車を橋の手前の堤防の空き地に停めて、改めて四万十川の清流や周囲の山々に囲まれた13本の高い橋脚の沈下橋を見ることができた。初めて見る欄干のない橋には少し驚きを感じた。

上宮沈下橋を出てから10分程、四万十川を下り、隣の上岡集落の本村と対岸の向山を結ぶ向山沈下橋に向かった。地元では上岡沈下橋とも呼ばれているそうだが、四万十川に架かる沈下橋は、それぞれが違った構造で架けられているそうで、この辺りは川の流れが急なことから水の抵抗を考慮して曲線を取り入れた形状とし、その美しさが人気の橋は、昭和38年(1963年)に架橋され、橋長60m、幅員3.7mだそうだ。

向山沈下橋を出てからは先ほど走ってきた国道381号線を西に少し走り、大正轟埼の交差点を左折して国道439号線に出て、そこから南下して、今晩予約をしていた「土佐くろしお鉄道 宿毛線」中村駅前のシティホテルに向かった。
ホテルのカウンターでチェックインを済ませた後、荷物をいったん部屋に置いてから、駅近くの居酒屋に行き、カウンター席に座り、まずは生ビールをおなかがすいていた腹に一気に流し込んだ後、備長炭で焼いた全国的にも有名な高知の地鶏をはじめ、地場の酒の肴も久し振りに満足するほど食べた。


①龍馬郵便局
②久礼大正町市場のアーケード街
③上宮沈下橋遠景


写真追加 具志有芳 投稿日: 2023年09月11日 11:29:46 No.858
④ 龍馬郵便局、風景印

⑤ とさでん

➅ 親子クジラのモニュメント
  


写真追加 具志有芳 投稿日: 2023年09月11日 11:41:50 No.861
⑦ 久礼大正町市場の入り口

➇ 向山沈下橋


沈下橋 砂岡茂明 投稿日: 2023年09月13日 11:22:02 No.863
具志さん、詳細なレポートありがとうございます。四国は何回か行っていますが、今回のレポートのところには殆ど行ってません。レポートを見ていると自分が行ったような気なってきます。

この中で印象に残っているのは、沈下橋での出来事です。ツアーで四万十川に行き、どこかの沈下橋で自由行動になりました。野次馬根性丸出しの小生は、早速、沈下橋を渡り始めました。長さは100m以上あったと記憶していますが、なんと、橋の中央付近まで行った時に、正面から軽自動車がこちらに向かってきました。橋幅は3m足らずなので歩行者は、橋の端に寄って車を除けなければなりません。手すりの無い(沈下橋なので当たりまえ)橋の端で下を見やると落ちたら助からない高さで恐怖で足がすくんでしまいました。軽自動車は慣れているのか、あまり速度を落とさず通り過ぎていきました。
野次馬根性も程々にした方か良さそうですね。

沈下橋という言葉は四国に行くまで知りませんでしたが、全国には沢山あるようですね。また、呼び方も様々で、関東の久慈川などでは、地獄橋と呼ぶそうで、この呼び名の方が実態を表しているようです。

画像は全国の沈下橋一覧です。(ウィキペディアから)




昨夜感動した歌 河口友彦 投稿日: 2023年09月08日 09:47:14 No.849 【返信】

NHKラジオ深夜便 昨夜11時から今朝12時台で放送された「会話」と題したトーク番組。「会話について」興味深く耳を傾けました。渡辺あゆみアナと放送作家・小山薫堂のトークに引き込まれました。内容は省略(詳しくは聞き逃しで)。 その中で彼の作詞の音楽がとてもよかったので歌詞を紹介します。
Pair Go, My Dream
作詞:小山薫堂  作曲:平田 輝

心でつながってよう 心で信じあってよう
ふたりの力をひとつに 結べたなら
Pair Go, My Dream!

言葉にしなくても そばにいればそれで
同じ地図を描けるよねと 見つめあっていた
時を刻む針を 気にしてる君の
横顔さえ僕の心の支えになるよ
いつか夢を掴んだなら 喜びを分かちあおうと
約束したあの日を忘れないわ
例えつまづいたとしても ふたりなら平気さ
悲しみも分かちあえるから
心でつながってよう 心で信じあってよう
ふたりの想いを重ねて 歩いてゆこう
Pair Go, My Dream!

いつも励ましあって生きたい 名もなき花のように
たくさんの優しさ広げて 君のために
心でつながってよう 心で信じあってよう
ふたりの力をひとつに 結べたなら
Pair Go, My Dream!
心でつながってよう 心で信じあってよう
ふたりの想いを重ねて 歩いてゆこう
Pair Go, My Dream


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