CHK12期掲示板
| ワード検索 | フォトアルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

お名前
タイトル
画像添付
削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色

具志兄旅行記 志村弘昭 投稿日: 2023年03月20日 11:44:32 No.577 【返信】

いよいよ開始しましたね。もう彼方此方に行け無い僕にとっては、何よりの記録文学であり楽しエッセイでもあります。続けてくださいね!/取消線]



長年使っていた2台目のパソコンのキーボードの反応が遅くなり、昨年9月、新製品の「Window11」に買い替えたが、操作方法が今までのとは全く異なる上、更に最近の電化製品には詳細な説明書もついておらず、私の技術不足で、メールを送ることさえも出来なくなってしまった。世間もまだまだコロナ禍が続いている為、砂岡兄を頼ることもできずに困っていたが、最近、私が買い求めた富士通で「パソコン基本操作のビギナーガイド」があることを知り、やっとのことで「放研掲示板」の投稿にたどり着くことができた。


 回想録「日本一周海岸線の旅」ダイジェスト版(No.6)
           松川浦から塩屋埼灯台まで 

2010年11月12日、今朝の相馬市の空は晴れてはいたが、わずかに白い雲がかかっていた。尾浜地区の高台に建つ岬荘の玄関先から東側を眺めると、波静かな松川浦の北側を一望することが出来た。

「松川浦」ここは南北7Km、東西1.5kmに広がる東北を代表する潟湖(せきこ)で、水深は深い所で5m程あるそうだが、干潮時には全体の70%位が干潟になるので、春から初夏にかけては潮干狩りを楽しむ人達が多く、波も穏やかなことから海藻やアサリなどの養殖にも向いているそうだ。
松川浦の青い海の左前方に松川浦大橋が見える。この橋は沿岸流によって運ばれた砂礫(されき)が堆積して形成された砂嘴(さし)によって海の一部が外海(そとうみ)と隔てられ、そこに出来た潟(かた)にかかる相馬市原釜・尾浜地区と太平洋側に突き出た磯部地区を結ぶ全長520mの吊り橋で平成7年3月に完成したそうだ。

宿を出てから車を少し北に走らせ、松川浦大橋の近くまで行ってみた。
眼下に見える松川浦漁港には錨をおろして埠頭のピット(係留柱)にロープをつないで停泊している近海漁業の漁船と思われる船と、すでに魚の陸揚げを済ませた船が何隻か岸壁に横付けされていた。

松川浦大橋を渡り、延長141mの「鵜の尾岬トンネル」を抜けると急に視界が広がり、前方の磯部地区の海には沢山の「海苔柵」を見ることができたが、一般的な乾海苔に使える“海苔”の生産は低調で、ここでは“たこ焼き”や“お好み焼”“やきそば”などのトッピングに使われる“アオサ”と呼ばれる「青海苔」が主に採れるそうだ。

右側の防風林の松が植えられている美しい松川浦の湖岸と左側の太平洋の青い海原に挟まれて、南に向かってまっすぐに伸びる「大洲松川線」の南北7Kmに及ぶ海岸道路を車は松川浦の南端、磯部港までをあっという間に走り抜けた。

磯部港を過ぎ、国道6号線をしばらく走ると、前方に一面を黄色に染めた大きなひまわり畑が見えてきた。ひまわりの花の季節は7月中旬から9月頃が一般的だが、ここでは、今の季節でも花びらは少し散って、少なくはなっており、花の中心部にある種子は少し濃茶色に変わってはいたが、ひまわりの花の数はほとんど変わらず、東北の片田舎の町、相馬を訪れる旅人の目を結構、楽しませてくれた。
ひまわりはキク科の一年草で、古くはインカ文明の頃から太陽の神“インティ”のシンボルとして崇(あが)められてきたそうだ。

広大なひまわり畑を過ぎ、車はやがて、のんびりとした田園地帯に入った。この辺りは、相馬市の“手の沢のため池”をはじめとして多くの“ため池”があり、稲を刈り取った田圃には餌をついばむ白鳥の姿が多く見られた。この頃、飛来してくる白鳥は落ち穂、または二番穂(刈り取った稲から、再び新しい芽が出て実がついたもの)を食べているらしい。
一週間程前、日本海沿いの東北道(国道7号線)を新発田市から秋田に向かう途中、胎内市付近の田園地帯で見た白鳥の姿とまったく同じように、大変のどかな美しい風景だった。

国道6号線を更に南に走り、双葉町の原子力発電所を過ぎ、JR草野駅から福島県道15号線に入り、いわき市の塩屋埼灯台に向かった。

塩屋埼灯台は福島県いわき市、波立海岸と小名浜港の中間地点に位置する薄磯海岸の海抜73mの断崖絶壁に明治32年(1899年)に立てられた白亜の灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれ、全国に16しかない「のぼれる灯台」の一つでもあるそうだ。

岸壁の岩肌を切り崩して作られた駐車場から200メートル位、つま先上がりの細くて長い階段状の坂道を上がると鉄柵で囲まれた白亜の灯台の入り口に着いた。
300円の入館料を払い、館内に入ると目の前に103段の急な“らせん階段”が待っていた。最上階まで登り詰めると、灯台の心臓部、分厚い大きな照明レンズが、目には危険な程、まぶしい光りを出す灯火を挟んで左右対象に二面、きれいに磨きあげられた、大きなガラス窓に囲まれた真ん中、1.8m位の高さの所に鎮座していた。レンズは30秒をかけて、ひとまわりするそうだ。ここは「灯室」と呼ぶらしい。光りの明るさは100万カンデラ(100万燭光)。光りの届く距離が220海里(1海里が1.852キロメートルだそうで、約40キロメートル)だそうだ。

「灯室」を見学した後、展望回廊に出てみた。太平洋を渡って吹いてくる秋の潮風が頬にあたり、少しつめたい感じがした。この鉄柵で囲まれた狭い空間を灯台関係者は「踊り場」と呼ぶそうだ。
塩屋埼灯台は塔高が27メートル。海面から展望台までの高さが100メートル程あるので、正直、少し足はすくむが、ここから見る眺望は本当に素晴らしかった。

塩屋埼には二つの物語がある。その一つは海を守る“灯台守”をモチーフにして作られた映画である。
松竹が1957年(昭和32.年)に公開した「喜びも悲しみも幾歳月」(よろこびも かなしみも いくとしつき)だ。監督は木下惠介。塩屋埼灯台などで灯台守を務めた田中績(たなか いさお)さん夫婦が主人公のモデルで、映画化されたきっかけは、当時、福島県塩屋崎灯台長だった田中績さんの妻として、幾多の苦難の道をのりこしてきた“きよさん”が、購読していた婦人雑誌に投稿した手記「海を守る夫と ともに20年」が1956年に婦人倶楽部(講談社出版)に掲載され、灯台守の妻として生活の悲喜交交(ひきこもごも)を書き綴った内容が木下監督の目に留まり、心うたれ、「喜びも悲しみも幾年月」と題して映画化されたそうだ。
この作品は、海の安全を守るため、日本各地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送った“灯台守夫婦”の戦時中から戦後にかけての20年間を描いた長編ドラマで、出演者は佐田啓二、高峰秀子が主演で、この作品のロケ地となっていたのは観音崎灯台が多かったそうだが、木下惠介監督自身が脚本を執筆したカラー映像で、主人公が赴任した日本各地の美しい風景を映した大作で、公開当時、大ヒット作品となり、同年の芸術賞を受賞したそうだ。

「俺(おい)ら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖行く船の 無事を祈って灯(ひ)をかざす 灯をかざす」で始まる「喜びも悲しみも幾歳月」の歌詞。
若山 彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットしたが、作詞・作曲は木下監督の実弟の作曲家、木下 忠司 氏が担当したそうだ。

主人公の田中績さん夫婦は、樺太の海馬島灯台、北海道の宗谷岬灯台、岩手県の魹ヶ崎(とどがさき)灯台、長崎県五島の女島(めしま)灯台、宮崎県の都井岬灯台。いくつもの灯台で灯台守として勤務したそうで、塩屋埼灯台に在籍したのは2年程だったそうだが、千葉県の勝浦灯台を最後に、引退した後は、夏は涼しく、冬は温暖な気候の塩屋埼が気に入り、灯台の近くに移り住んで、終(つい)の棲家(すみか)にしたそうだ。

そして二つ目の物語は1987年(昭和62年)12月、日本コロンビアから発売された、作詞 星野哲郎、作曲 船村徹、美空ひばり歌唱による「みだれ髪」。この曲は大病で長期入院していた美空ひばりの復活第一作目で福島県いわき市塩屋埼が舞台となった。
 
髪のみだれに 手をやれば 赤い蹴出(けだ)しが 風に舞う 憎や 恋しや 塩屋の岬
投げて届かぬ 想いの糸が 胸にからんで 涙をしぼる

すてたお方の しあわせを 祈る女の 性(さが)かなし 辛(つ)らや 重たや 
わが恋ながら 沖の瀬をゆく 底曳(そこび)き網(あみ)の 舟にのせたい
この片情(かたなさ)け

春は二重(ふたえ)に 巻いた帯 三重(みえ)に巻いても 余(あま)る秋
暗(くら)や 涯てなや 塩屋の岬 見えぬ心を 照らしておくれ 一人ぼっちに 
しないでおくれ

この名曲が東北地方の最東南端に位置し、雄大な太平洋に面し、一年を通じて温暖な気候に包まれた太陽と海の恵みあふれる福島県いわき市をすっかり有名にしてしまった。

灯台を出てから広い駐車場に戻り、改めて西の空に高くそびえ立つ塩屋埼灯台を仰ぎ見ると、その白亜の塔の背中には、白砂青松の景勝地、青く輝く薄磯海岸に幾重(いくえ)にも広がり、打ち寄せては崩れ落ちる、白く大きな波がしらの、大自然が織りなす素晴らしい景観を眺めることができた。

そして、青く広がる太平洋を眺めることができる駐車場には「喜びも悲しみも幾年月」の作詞、作曲をした木下忠司氏の歌碑と「みだれ髪」の作詞をした星野哲郎氏の詩、そして作曲をした船村徹氏の美しいメロディーが刻まれた、御影石で作られた二つの歌碑が深秋の陽ざしを浴びて、ひっそりと佇(たた)ずんでいた。


  上段の写真  松川浦の「海苔棚」

  中断の写真  薄磯海岸

  下段の写真 「みだれ髪」歌詞とメロディーの歌碑

  

    


回想録 砂岡茂明 投稿日: 2023年03月19日 19:49:21 No.576
具志有芳さん、パソコン使いこなせるようになって本当に良かったです。
どんどん投稿して下さい。

喜びも悲しみも幾歳月の舞台となった佐渡北端の弾崎(土師器)灯台には
同期で2002年に訪れました。




センバツ 髙橋俊次 投稿日: 2023年03月19日 17:39:29 No.574 【返信】

東邦、初戦勝利

センバツ2日目、“わが”東邦野球部は第一試合で鳥取城北と
対戦。6対3で勝利しました。テレビのかぶりつきで応援しました。
中盤、エース宮國がちょっと調子を崩し、押出し2点の時は少し
ドキドキしましたが、勝てて嬉しい、喜んでいます。
他の試合も見ていますが、みんな面白いですね。皆さんもそれぞれ
応援高校あると思いますが、センバツ楽しみましょう。
明日は大阪桐蔭の試合があります。楽しみです。

楽しみと言えば来月6日、12期ランチ会があるんですね。
私は未返事ですが、日程調整つけば参加したいと思っています。


雑記 髙橋俊次 投稿日: 2023年03月14日 16:05:17 No.565 【返信】

コロナ

週2のテニス遊びは続いています。好天の今日もコートに出て
さっき帰り、昼メシ食べてこれを書いています。と言うといかにも
元気そうですが、実はテニスをやっていても非常に疲れ易くなって
います。風邪が長かったこと、未だに少し症状があることなどから
私は“コロナ後遺症”と見ています。やはり年寄りはコロナに感染
してはまずいということですね。マスクがどうの、ということに
なっていますが、気を緩めず頑張りましょう。


大江健三郎

作家の大江健三郎さんが亡くなりました。寂しいです。
このような作家が、と言うよりこのような人が存在して
いたということが大きな励みでした。
九条の会発起人で存命の方は作家の澤地久枝さん一人に
なってしまいました。大軍拡へ真っしぐらの岸田内閣、
「新しい戦前」の様子が濃厚になっている昨今、決意
新たにという気持ちも湧いてきます。
大江健三郎さん、安らかに。


野球

WBC4戦全部観てしまいました。大谷見たさの
観戦ですが、最終戦では看板直撃の、それも己の顔の
看板直撃というホームランで大谷という選手のスター性に
只々驚くばかりです。野球を4戦も続けて観たのは何十年ぶり
でしょうか。我ながら驚いています。やはり大谷でしょうね。
でも閉口したのは試合時間の長いこと。9時半〜10時就寝の
私にとっては苦痛でした。長過ぎる!


孫野球です。所属の東邦チームは19日、1回戦で鳥取城北と
対戦します。ベンチ入りは叶いませんでしたが、チームの
勝ち上がりを期待して応援していきます。このセンバツを
機に甲子園に行こうかなと思っていましたが、体調や諸条件を
考えやめてテレビ応援に切り替えました。勝ち上がればまた
考え直すことにします。東邦野球部、頑張れ!です(笑)。
試験 砂岡茂明 投稿日: 2023年03月14日 17:45:26 No.566
コロナ
後遺症怖そうですね。とは言っても、自分だけは大丈夫との思い込みで
QOL優先の小生は、以前からの週間スケジュールをこなしています。

大江健三郎
本当に残念ですが、年齢の近い方が逝くなっていき身につまされます。

野球
やはり大谷は怪物ですね。
怪物の顔をしていないのがまた素晴らしいです。
大谷選手 砂岡茂明 投稿日: 2023年03月15日 20:16:30 No.567
大谷選手は、中学生の時に岩手県の一関のリトルシニア居たそうですが、
その時に練習に使っていた雨天練習場の写真が送られてきました。
送り主は、一関在住の元会社の同僚です。
なかなか風情のある練習所なので紹介します。


雑記 志村弘昭 投稿日: 2023年03月16日 19:44:32 No.570
俊兄のテニスは、実に立派です。真似したいけれど、足が3本あるので先ず無理ですな。膝の強化のために、ブランコに乗り、あのジジイ!と異様な目で見られひんしゅくを買っています。ただし
無理は、絶対にいけませんね!
ほどほどに願っております。大江健三郎の死は確かに残念でした。全集が8冊在りますので、矢張りヒロシマから虫眼鏡🔍をつかい再読に入ろうと思いましたが、いまとなると読書もかなり労力が入りますね。弱った



読書 砂岡茂明 投稿日: 2023年03月16日 19:53:04 No.571
志村さん沢山の本を持っているんですね。
でも、拡大鏡が必要なのは不自由ですね。

私は、白内障治療後は目の調子も良いので読書する機会が増えました。
しかし、あまり深刻な内容は食指が湧かず、軽いタッチのものが多いです。
最近は、文学少女から勧められた原田マハを読んでいます。
「キネマの神様」良かったです。主人公の映画オタク「ゴーちゃん」は、志村弘昭君の
イメージにピッタリです。

勧められ マハにハマった 昨日今日




3月11日 砂岡茂明 投稿日: 2023年03月11日 17:21:41 No.563 【返信】

12年の前の今日は、東日本大震災が発生した日です。
テレビの特集番組を見ながら、あの日を想い出しています。南フランス旅行
から帰宅して久しぶりの日本茶で寛ごうとして急須でお茶を注いでいた時に
大きな揺れに襲われました。それから直ぐに、1歳の孫娘を保育園に迎えに行き
娘が大手町から夜遅く迎えに来るまで預かっていました。
テレビで放映される津波の被害映像は、とても現実のものとは思われず、映画
の一場面を見ているような感覚でした。時間が経つにつれとてつもない現実
に唖然としました。
先週NHKで放映していた、NHKスペシャル「南海トラフ大地震」で何時大地震が
起きても不思議でないと知らされ、防災準備を再点検しています。

今日は、東京は初夏の天候で上着いらずです。
大震災の時には生まれていなかったもう一人の孫娘の書道展を見に上野の東京都
美術館に行ってきました。
上野は外国人の人出も多く、爽やかな天候に恵まれ、早咲きの桜も満開で平和
そのものでした。
地震や洪水などの自然災害、独裁者による戦争の恐怖がある昨今、何も無い平和
の素晴らしさを実感した一日でした。


志村弘昭 投稿日: 2023年03月12日 19:44:25 No.564

(左) 道端で見つけた土筆
(中央)雪柳

(右) 最後は昔の写真(滅多に開けない机の引き出しに挟まっていました。)
     いつ、どこで、誰が写っているのでしょうか。




無題 志村弘昭 投稿日: 2023年03月08日 13:40:45 No.562 【返信】

イムジン河、スィングクリスタルなど
砂岡、高橋、河口、サイトー兄達の音楽系を楽しんでおります。特に北上兄のお嬢さんの演奏と
小山兄の祭りナレーションを楽しみにしておりましたら、何と吉田拓郎、加藤和彦、北山修、
中島みゆきさんの過去のライブやコンサートがジャンジン、ユウチュブで聴き、見ることが出来、
こんな嬉しい事はありません。
そのうち又入れ歯の治療が終えましたら、吉祥寺図書館指定の僕の紙芝居が始まります。これは宣伝です。 
多分、夏になるでしょう?
今はサシスセソがヒャヒヒヒユへヒョになり完全に歯抜けじじいです。
誰か指導して下さい。


縄文時代の件 志村弘昭 投稿日: 2023年03月08日 12:02:32 No.561 【返信】

僕の趣味的な文章を書き、さらに感想まで頂きまして有難うございます。日本の縄文時代が始まった頃、エジプトやメソポタミア、インド、中国では、ご承知のとうり高度な文明がいち早く、めざましい発展を見せており、我が日本は文化競争にはるかに遅れを取っていました。ただ、縄文時代は低いレベルのままで足踏みを続けてきただけでは 無いようです。旧石器時代から祖先達は細々と新しい動きを展開しようとしていたはずです。やはり気候が暖かくなり、それに並行して、新しい機種、機能がとられていったのでしょうね。
僕はそこに素晴らしいロマンを感じるのです。 
 あまり長く書くと知ったかぶりがばれるので
次回は又、創作物語に入ろうと思います。


1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | >>


Powered by Rara掲示板
管理者に連絡 | 新着投稿をメールで受け取る | この掲示板を支援する