掲示板


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

お名前
メール
タイトル
画像添付
削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色

琵琶湖就航歌への思い 鈴木秀明 投稿日: 2021年12月06日 08:49:58 No.25 【返信】

私が6才頃、母が口ざすんでいた歌を聞いているうちに気に入ってしまい
自らもハモるようになりました。
この歌が琵琶湖就航歌です。

       1.
        われは湖(うみ)の子 さすらいの
          旅にしあれば しみじみと
        昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
           志賀の都よ いざさらば

        2.
              松は緑に 砂白き
             雄松が里の 乙女子は
              赤い椿の 森陰に
            はかない恋に 泣くとかや

        3.
              波のまにまに 漂えば
            赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
               行方定めぬ 波枕
              今日は今津か 長浜か

        4.
              瑠璃の花園 珊瑚の宮
              古い伝えの 竹生島
              仏の御手に 抱かれて
              眠れ乙女子 やすらけく

        5.
             矢の根は深く 埋(うず)もれて
               夏草しげき 堀のあと
               古城にひとり 佇めば
               比良も伊吹も 夢のごと

        6.
                 西国十番 長命寺
               汚れの現世(うつしよ) 遠く去りて
             黄金(こがね)の波に いざ漕がん
                 語れ我が友 熱き心

母は、当時旧制静岡中学(現材の県立静岡高校)に通っていた兄が歌っていたのを覚え
私に覚えさせようとして歌っていたようです。
この歌の作詞者は、小口太郎さんです。

彼は、旧制第三高等学校(現材の京都大学)の学生だった頃、級友たちと琵琶湖をボートで周遊する際の
合唱曲として、吉田千秋さんの「ひつじぐさ」の曲に合わせて作詞したと言われております。
小口太郎さんは、三高から東大・物理学科に進学し、在学中に電信電話に関する発明をし、日本を始め
諸外国に特許申請をし許可を得ており、吉田千秋さんは 歴史地理学者吉田東伍の次男ですが詳細不明。
この二人はお互いを知らないまま、それぞれ26歳と24歳で死去されました。
下の画像は、琵琶湖で2番目に大きい竹生島です。
人は住んでおりませんが、売店や神社などがあります。

   加藤登喜子さんによる琵琶湖就航歌:https://youtu.be/H6_Sq__xK4U




「そうですね」に思うこと 鈴木秀明 投稿日: 2021年12月03日 11:44:40 No.17 【返信】

元プロ野球選手の松坂さんが、引退会見で「そうですね」を連発していました。
この言葉は、最初に発言し、以降は控えるのが一般的ですが、彼は回答する度に
発言していたので視聴者は不快に感じたことと思います。

日本ハムの新庄監督が、野村佑希内野手が、インタビューの一言目に「そうですね」
を発言したことについて『そうですね』は、いらない!自分の思っていることを素直
に話せばいいだけ」と力説されれました。

          新庄監督を見直しました。


笑い話 鈴木秀明 投稿日: 2021年12月03日 11:15:02 No.16 【Home】 【返信】

私のホームページhttp://madaka.web.fc2.comに掲載されている
笑い話をご紹介します。
尚、この話は私の創作ではなく、他サイトから転載させて頂きました。


● 家族揃って夕食をとっているとき、何かの拍子に怒った父が
  「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」と言おうとして
  「誰のためにメシ食ってんだ!」と怒鳴った。
   私と姉は「自分のためだよ」と答えた。

● 夫婦ゲンカのとき、父が母に「バカモノ!」と言うのを、間違って
  「バケモノ!」と怒鳴ってしまった。ケンカはさらにひどくなった。

● うちの母は、頭が痛くなると氷でおでこを冷やします。
   先日も、夜中にかなり痛みがひどくなり、暗闇の中をフラフラしながら台所へ。
  冷凍庫から、あらかじめビニール袋に入れてある氷を取り出して、おでこにの
  せて眠りました・・・。
   翌朝、目が覚めてみると、母の枕元には解凍された「イカ」が転がっていました。

● 甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御膳汁粉を頼みました。
   店員さんが「田舎はどちらですか?」と聞いたら、母はとっさに
   「はい、新潟です」と答えてしまいました。

● 先日、父は、男にフラれて落ち込んでいる姉をなぐさめようとして
   「おまえ、人間は顔じゃないぞ」と言うところを
   「おまえの顔は、人間じゃないぞ」と言ってしまって。

● 妹が夕食にスバゲッティを作ってくれることになりました。
   妹は「今日は、カルボナーラを作るね」と母に言っていました。
   夕方、私が外から帰ると母か「もうすぐボラギノールができるってよ」   と言いました。ソレって痔の薬じゃ・・・・?

● エアロビクスを習いに外出していた私に友達から電話がありました。
   横文字に弱い母は何を思ったのか「娘はアクロバットに行っています」   と答えたそうです。

● 弟は誰に似たのかとても勉強ができる。それで高校1年生の時、アメリカに 留学することになった。
  その時母は親戚や近所の人に「うちの息子をアメリカ にホームレスにやるんですよ」と言って自慢していた。
  ホームスティとホームレスを間違えていたのである。

● 先日、プロ野球ニュースを見ていたときのこと。「ヤクルトのルーキー、伊東」   と聞いて、母は「日本人ぽい人ネ」
  と言った。

● 私の母は62歳。記憶力が悪いからとキャッシュカードの裏に黒のマジックで大きくその暗証番号を書いている。

● 先日、父はメガネを作りに行った際「無色ですか?」   と店員にレンズの色を聞かれると、何を勘違いしたのか
   「いえ、銀行員です   と、自分の職業を答えていた。

● うちの父は、沖縄に向かう飛行機の中でエラソ~に「沖縄は、島全体が〔さんし ょううお〕なんだぞ!」と言った。
   それを言うなら、サンゴ礁だろ!!


喜多條忠さんを偲ぶ 鈴木秀明 投稿日: 2021年12月01日 14:48:36 No.11 【返信】

いい夫婦の日の11月22日、名曲「神田川」等で著名な喜多條忠さんが亡くなられました。
南こうせつさんが歌うこの曲に東京に居た頃の思い出が甦ります。
通勤電車の車窓に映る神田川、その岸辺に小さな家が点在しておりました。

        あなたはもう忘れたかしら
        赤い手拭いマフラーにして
        二人で行った横町の風呂屋
       一緒に出ようねって言ったのに

         いつも私が待たされた
         洗い髪が芯まで冷えて
         小さな石鹸カタカタ鳴った
         あなたは私の身体を抱いて

         冷たいねって言ったのよ
           若かったあの頃
           何も怖くなかった
         ただあなたの優しさが怖かった

         あなたはもう捨てたのかしら
           24色のクレパス買って
         あなたが描いた私の似顔絵
         上手く描いてねって言ったのに

          いつもちっとも似てないの
            窓の下には神田川
           三畳一間の小さな下宿
           あなたは私の指先見つめ

           哀しいかいって聞いたのよ
             若かったあの頃
            何も怖くなかった
            ただあなたの優しさが
              怖かった
       
この歌詞の中で「貴方のやさしさが怖かった」と述べておりますが、
怖かったのは彼女ではなく、喜多條さんです。
喜多條さんは、彼女と同棲しながら学生運動を続けておりました。
神田川沿いの狭い下宿でご飯を作って待っている彼女の優しさによって
学生運動から身を引いてしまいそうになることが怖かったのだと思います。
     
喜多條さんとは直接、お会いしたことは無かったのですが、
私がカラオケを歌っていたスナックに彼が屡々立ち寄られるとのことでしたので
その理由をママさんに聞いたところ、彼は大の競艇マニアで、隣町に在る常滑競艇に
わざわざ東京から足を運んでいたとのことでした。
洗い髪が冷えるほどに彼女を待たせたのは風呂屋の金魚を観ていたからとのことでした。

また、「クレパス」が商品名だったことから、南こうせつさんは「神田川」を紅白で
歌うことを辞退するなどの問題に発展し、喜多條さんも無念だったことでしょう。

       喜多條忠さんのご冥福をお祈りします。 

    神田川  →  https://youtu.be/hKxv3LjeEEM
      喜多條さん → https://ja.wikipedia.org/wiki/喜多條忠
喜多條さん→https://www.nikkansports.com/entertainment/photonews/photonews_nsInc_202111300000658-0.html


最後の珊瑚会記念写真 鈴木秀明 投稿日: 2021年11月26日 10:53:38 No.9 【返信】

珊瑚会最後の行事が加賀屋名古屋店で、岩原幹事のもとで行われました。
残念ながら、幻の6番が発見された八高寮歌の斉唱は出来ませんでしたが、
「珊瑚会は永遠不滅です!」の鈴木会長のメッセージで幕を閉じました。
2000年に始まって今年まで21回行われた珊瑚会の歴史をいずれの折りに
纏めてみたいと思っておりますが、知識が衰えており自信が持てません。
当日、森田さんのカメラで撮られた記念写真を添付しておきます。




再開 鈴木秀明 投稿日: 2021年11月18日 11:25:00 No.8 【返信】

今日から再開します。
宜しく、お願いします。

 管理人:鈴木秀明


級友の急死を悼む chasukechan 投稿日: 2021年05月11日 11:22:18 No.6 【返信】

大学時代の級友の岩原さんから電話がありました。
普段は、メールで連絡しあってるので、胸騒ぎを覚えながら受話器を取りました。
案の定、級友の都築さん急死の訃報でした。
詳細不明でしたが、今日送信されてきた植田さんからのメールで詳細が判明しました。
たまたま、私にも送られてきた植田さんの転居通知のハガキを見た都築さんの息子さん
が、植田さんに都築さん死去の様子を、ハガキに記入さていた植田さんのメルアド宛て
に送信されてきたとのことでした。

2月28日、都築さんは自宅の八事のマンションで脳溢血により卒倒、その際、頭を強打
したことで意識不明となり、手足も動かせず、、会話も出来ないまま、その9日目の
2月28日に亡くなられたとのことでした。

美食家の都築さんの案内で、富山県・氷見で級友たちと食べた寒ブリの刺身の美味しさ
は未だに忘れられません。
かって、日本一の鰹・鮪の水揚げ高で全国にその名を轟かせた静岡県・焼津で生まれ
育った私にとっても、その美味しさは別物、別格でした。
都築さんおご冥福をお祈りいたします。


<< | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | >>


Powered by Rara掲示板
管理者に連絡 | 新着投稿をメールで受け取る | スポンサー募集