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1月28,29日は荒神さんのお祭りです。
ウッチー 投稿日:2024年01月26日 08:27 No.646 (0回)
正式には三宝大荒神社祭。
火伏せの神様として有名で近隣から多くの参拝者が訪れるようです。

そんな荒神さんのお祭りについて浦島Tさんから聞いた思い出話し。

それは中学3年の時 学校が終わった午後、セーラー服のままクラスメイトのとみちゃんと二人で
高鳴る心臓の鼓動を抑えつつ砂利道を歩いて荒神さんのお祭りに。
あの頃と言えば8月の三島大社のお祭りしかなかったから、露店がずらっと並ぶ光景は
少女たちにもとっても心ウキウキだったのです。
しばしの感動の後、余韻に浸りながら帰路へ
韮高の横を歩いていたらとみちゃんが追いかけてきて
紙にくるんだお母さん手作りのお寿司をお土産にいただいて痛く感動したと。。

昭和37年1月29日月曜日午後の出来事。

何か3~4年前に同じような投稿をした記憶がないでもなしですがー-


南條MH 投稿日:2024年01月26日 11:37 No.647 (回)
はい、前に聞いていますけど、お互いにそれは咎めないことにしましょう。私もきっと何回も言ってる。長く生きているとどこで何しゃべったか忘れてることもあるもんね!
南條の我々には「荒神さん」はもっと身近。「荒神さんの名物はやし(香具師)にこんじ(乞食)にとうだんご」と囃してた。
この28日・29日って天気の荒れた日の思い出が多く、強風の中、田んぼの中を東に向かって一直線に歩いて行ったことや、雪がちらついた年もあった。酔っぱらたおじさんが馬を制御できなくて馬が暴れ怖かった時もあった。
あの近くのどこかの家、真如だったと思うけど、そこでそう「お寿司」をご馳走になった。それがどういう関係の誰の家だったか覚えていない。共和分校の志太つぎ先生のお家だっかも。
南條の妹は、律義に今も去年の「お札」を返し、新しいのを貰いに上まで行ってる。「あそこまで登れなくなったらお終いだ」と言って。
こないだの話題の4年の鈴木先生、正しくは「啓子」先生だった。通信簿見て確認した。
(通信簿はこれも前に話したかもしれないけど狩野川台風で家と一緒に流れたのを「缶」に入っていたのでどういうルートでか手元に戻って来ていた。)




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