掲示板


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 |

辰年の事始め
仙岳 投稿日:2024年01月20日 11:09 No.2615
毎年、年始めの[山]は 『干支の山』を目指しているので、今年も・・・と目論んでいた。
調べてみると、[辰] の付く山(点名を含む)は、四国に 3座あった。

辰が谷 ④ H=487.5m 上勝町・勝浦町
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.908570/134.452357/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

辰ヶ山 ④ H=197.1m 徳島市
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.044837/134.459267/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

辰が崎 ④ H= 43.1m 西予市
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.352075/132.409673/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


仙岳 投稿日:2024年01月20日 11:15 No.2616
★ しかし どれも遠い。
一番近い西予市の「辰が崎」でも 直線距離で 70Kmもある。
そこで「辰」を「龍」に変えて行こうと考えた。
探し出したのが、近くて、未登頂の山【龍ヶ水 ③ H=911.8m】だ。
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.594460/133.187256/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

★そこへ 先日行ってきた。
「越知」から『黒森山』の "西下"の林道で「鈴ヶ峠」に行き、更に[作業道]を走って近づき、「龍」にタッチしてきた。

植林の中、林床に背の低い 鮮やかな[隈笹]のある三角点だった。
冬の日の木漏れ日は意外と寒くなかった。


仙岳 投稿日:2024年01月20日 12:06 No.2617
当然、ここだけでは すまされない。
戻りかけた所にある【北黒滝 ④ H=849.7m】
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.598732/133.202147/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
ここは2度目だ。
前回来た時は 秋で、[シロモジ]の "黄葉"がすごくきれいだった。

写真…左 平らな山頂部
写真…中 きれいな 標石だった
写真…右 "対"になった「灯明台」が印象的な、近くの「鈴ヶ峠」:真っ正面に「筒上山」


仙岳 投稿日:2024年01月20日 15:24 No.2618
ここまで来たのだから、「黒森神社」に詣でておくべしで、
【黒森山 ③ H=1017.3m】へ行ってきた。
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.594281/133.214164/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
(地形図の "神社マーク" の位置が おかしい)

写真…左 山頂の電波塔群の横に「黒森神社」が鎮座している
写真…中 その奥に三角点
写真…右 淡竹に囲まれた三角点


仙岳 投稿日:2024年01月20日 15:39 No.2619
この後、【峰岩戸 ④ H=559.6m】に行ったが、プラスチックなどが投棄されていて、
標石を探しだす気力もなく諦めた。
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.587775/133.202834/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

その代替として、【底引 ④ H=678.3m】へ行ってみた。
そしたら、このブログ『№ 2601』の状況だった という次第である。
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.582305/133.212833/&base=std&ls=std|cp&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


茶凡遊山記 投稿日:2024年01月20日 17:50 No.2620
お二人の山行記録には、ただただ脱帽です。

「鈴ケ峠」を訪ねた日を調べたら2011年8月でした、三角点に関心を持ったのはお二人のことを知ってからで、当時はすぐそばを走りながらも、まったく立ち止まった形跡さえありませんでした。

 初めて立った「鈴ケ峠」は夏草が繁る鬱蒼とした場所でした、タメやんさんの画像のようなアッからとした眺めの時季があることにも驚きました。


タメやん 投稿日:2024年01月21日 12:25 No.2621
底引④の標石が埋まり込んでいるスレと同じ2015年12月19日に行っていた。

確か三角点手前の登る所まで林道があった気がする。


Commented by タメやん at 2019-03-30 22:51 x
4年ばー前に黒森山から北黒滝④△へ行った時、鈴が峠少し東の広い所にデポし、ヘアピンで狭くなった林道を歩いたが、鈴が峠に灯篭があったかどうか記憶にない。

と書き込んでいるが、かなり高い石燈籠が立っていたのを記憶している。

夜中に書き込んでいるので、酔うちょったろうかのう。


茶凡遊山記 投稿日:2024年01月21日 13:28 No.2622
画像は石灯籠の前から西方向、北黒滝④△へと続く踏跡もしくは林道と思われますが、当時も今も、この先へ踏み込む勇気はありません。

タメやん 投稿日:2024年01月21日 22:15 No.2623
2015年当時は出来たばっかりの綺麗な林道だったが、使わんかったら5年も持たんか…。

茶凡遊山記 投稿日:2024年01月22日 14:07 No.2624
2008(平成20)年夏にリトルカブを買ったのは、インターネットで見た「楮佐古小檜曽林道」と「自念子林道」がきっかけでした。

当時はどちらの林道も、一部区間が崩壊あるいは消失していた期間が長かったように思います、初めて走破できたのは「自念子林道」が4年後の2012(平成24)年6月、「楮佐古小檜曽林道」にいたっては3度目の挑戦で2015(平成27)年4月、実に7年後のことでした。

オフロードバイク専門誌『ガルル』で、2012(平成24)年2月に「楮佐古小檜曽林道」が、同じ年の6月に「自念子林道」が特集され、やおら挑戦を開始したことでした。

リトルカブを買った2008年前後からいうとすでに4年も経っていて、「自念子林道」は大荒れで、インターネットで見た秘境の林道のイメージとはほど遠く、林道はまるで河原のようでした。

「楮佐古小檜曽林道」に初挑戦したのがいつの年だった忘れてしまいましたが、初走破できた2015(平成27)年4月までのうちに3度挑戦しましたが、これまた3度とも聞きしに勝る悪路で、インターネットや『ガルル』で見た「天空のオフロード」のイメージとは、札幌と岡山ぐらい離れていました。

最近、国内の木材需要が高まっているのか、あちこちで搬出用の林道が新設され、それまでの植林の山が丸坊主になっている景色に行き当たることが多くなりました。

ただ、これらの林道もまた、搬出が終われば荒れ果てて、はじめは山の斜面の雨樋いだったものが、やがて藪に埋もれていくのかと思うととても残念な気持ちになります。


仙岳 投稿日:2024年01月22日 19:29 No.2627
★【龍ヶ水 ④】到達日の[Garmin]の軌跡に手を加えたものです。
「鈴ヶ峠」(すずかとう)から"西":約750mは車走行。
そこに駐車して、さらに作業道を"西"へ 約1000m歩いて「龍ヶ水 三角点」到着です。

☆ 帰り道は、「北黒滝 ④」三角点データをカーナビに入力して 最接近箇所に駐車して、
三角点を目指した・・・・という山行でした。


仙岳 投稿日:2024年01月22日 19:47 No.2628
鈴ヶ峠(すずかとう)には、"対"になった「天晴」年号の灯明台があるが、
この「天晴 灯明台」は 他にもあって、それを見た事がある。
何の資料で見つけたかは 忘れたが、それは 別の事として、
【大峠 ④ H=725.5m】↓を訪ねた時だった。(2021.R03.10.06)
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.617961/133.224421/&base=std&ls=std|cp&disp=11&lcd=cp&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


その場所は「鈴ヶ峠」から遠くない「仁淀川町・いの町」界の『大峠』だ。
それは正に地形図の破線が"峠"を越える"往還"脇(町界)に立っていた。
(天晴灯明台のある場所)↓
https://maps.gsi.go.jp/#17/33.622285/133.223476/&base=std&ls=std|cp&disp=11&lcd=cp&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

写真…左 (往還の)峠から見えている
写真…中 近寄ってみる
写真…右 奉納は、「新別・柳野村惣中」とあり、
     4面に、大滝神社 門屋神社 大山祇神社 石鉄神社 の刻印があった


茶凡遊山記 投稿日:2024年01月22日 20:37 No.2629
仙岳さん、今年もよろしくお願いします。

『東は田野町から西は越知町に至る範囲に「天晴(天政や天星)元年」と刻記された石灯籠や手水鉢がある』と読み、しばらくハマった時期がありました。

「鈴ケ峠」の灯明台には辿り着けましたが、「大峠」にも「天晴」の灯明台があったとは。

『土佐の峠の風土記』(山崎清憲/著)を読んで、どちらも「峠」を「とう」と発音する響きに魅せられて、「大峠トンネル」東口から「林道大峠線」に分岐してから「大峠」に登り、「庄屋街道」を少し歩こうとしたのですが、添付画像のE地点でマムシの気配に怯み撤退、諦めきれずに「大峠トンネル」西口のF地点から挑戦したものの、今度はJ地点で実際に大きなヘビに遭遇しついに断念しました。

 毎回思うことですが、蛇嫌いの山登りにはいつも高い壁が立ちはだかります。

 あえなく撤退帰宅して、『土佐の峠の風土記』(山崎清憲/著)を読み返すと、「大峠」の灯明台に「天晴」の文字は刻まれていないようでしたので、採れない葡萄の実は酸っぱいと決めつける狐のように、無理くり気持ちを納得させようとしたことでした。

 立ち姿は「鈴ケ峠」の灯明台のコピーのようですが、この灯明台や、あるいはもしあったのであればですが、手水鉢などに、「天晴」の元号はありましたでしょうか?


天晴 タメやん 投稿日:2024年01月23日 13:49 No.2630 【Home】
一番右の画像は、明治一年に見える。


https://nangokutosa.blog.fc2.com/blog-entry-2204.html

なんちゃーじゃない事を言うw


茶凡遊山記 投稿日:2024年01月23日 14:50 No.2631
なるほど、ありがとうございました。



お名前
メール
タイトル
URL
画像添付


削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色