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投稿者:茶凡遊山記
仙岳さん、今年もよろしくお願いします。 『東は田野町から西は越知町に至る範囲に「天晴(天政や天星)元年」と刻記された石灯籠や手水鉢がある』と読み、しばらくハマった時期がありました。 「鈴ケ峠」の灯明台には辿り着けましたが、「大峠」にも「天晴」の灯明台があったとは。 『土佐の峠の風土記』(山崎清憲/著)を読んで、どちらも「峠」を「とう」と発音する響きに魅せられて、「大峠トンネル」東口から「林道大峠線」に分岐してから「大峠」に登り、「庄屋街道」を少し歩こうとしたのですが、添付画像のE地点でマムシの気配に怯み撤退、諦めきれずに「大峠トンネル」西口のF地点から挑戦したものの、今度はJ地点で実際に大きなヘビに遭遇しついに断念しました。  毎回思うことですが、蛇嫌いの山登りにはいつも高い壁が立ちはだかります。  あえなく撤退帰宅して、『土佐の峠の風土記』(山崎清憲/著)を読み返すと、「大峠」の灯明台に「天晴」の文字は刻まれていないようでしたので、採れない葡萄の実は酸っぱいと決めつける狐のように、無理くり気持ちを納得させようとしたことでした。  立ち姿は「鈴ケ峠」の灯明台のコピーのようですが、この灯明台や、あるいはもしあったのであればですが、手水鉢などに、「天晴」の元号はありましたでしょうか?
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