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「国葬」の本質

1: KZ:2022/09/17 20:47 No.102
安倍晋三は 類い稀なサイコパス政治家だった。あらゆる権力を巧みに自分の元に集中し 有無をいわせず自家の保守反動政策を実現、実行し続けた。その能力は 戦後の保守政治家の中でも卓越していた。どんな手を使ってでも 勝ちさえすればいい、こういう倫理観(没倫理)に少しも躊躇いはなかった。
この政権(ファシズム)に歯止めをかけ 自力で打倒できなかったことは 反対派にとって まことに大きな負債だった。自分達の未熟さ、徹底的な非力が、日々露わになるばかりの長い九年間だったと言える。

残念ながら私たちは 自力でこのサイコパス政治家と彼が打ち立てた反動的権力構造を打倒することが出来なかった。統一教会による徹底的な収奪という悲哀を舐め尽くした一人の青年が 止むに止まれず 邪教の守護神を務めたこの男に非業の死をもたらしたというばかりだ。この国の政治的未熟構造は なお改まらないまま続くと見るしかない。

とはいえ 人は死んだら死にきり。どんなサイコパス権力者であろうと 死んだ以上は ただ一人の個人に還る。だから送る方も 生前のあれこれの政治的社会的「勲章」は脇に置いて 一人で一人を見送る(悼む)しか方法はないのである。
ここでさらに 元首相だとか元派閥の長だとかいう理屈を並べて国葬だの県民葬だのと言挙げするのは、ただ残ったものどもが 故人と共有していた政治的社会的権力をひたすら守り続けたい、その欲望をあらためて確認したいからに他ならない。つまり国葬とは、麻生太郎の言う通り、 理屈ではない。残った自分らの権力維持を再度確認し、その存続を広く社会にも(強権的に)認めさせるための 徹底した欲望のセレモニーに他ならないのだ。この国葬は、断じて安倍のためにあるのではない。これが麻生が 「理屈ではない」と漏らした真の意味なのである。
このことは 参加者の顔ぶれを見れば すぐにわかる。自民・公明、維新や国民、野党でも野田佳彦などの権力亡者、また連合の吉野、各県の知事などなど… いずれも安倍時代の権力統治の構造を そのまま維持したいと願うものがほとんど。それ以外は こうした「国葬」の本質を全く理解できない頭脳弱きものどもばかりと言える。

☆追記  9/18

https://www.asahi.com/articles/ASQ9L43MLQ9LUTFK001.html

それならわざわざ武道館になど行くな。一人で安倍の霊に花を手向ければいいだけのことだ。武道館の欲望の構造に編み込まれることは、死者の霊を悼むのとは全く次元の異なる政治的行為なのだ。そのことが野田佳彦には全く分かっていない。

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