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忘れられた日本の心
尊王攘夷 投稿日:2023年02月21日 19:07 No.13011
ここにアメリカで語り継がれる
一人の日本兵の手紙があります。

「“八紘一宇”の言葉は
 世界平和を願う言葉であり、

 大東亜共栄圏の存在は、
 世界平和の一翼として、

 世界人類の安寧幸福を保障するものです。 
 それをあなた方が理解できることを願います。」

この手紙は、硫黄島の戦いで戦死した
市丸利之助(いちまる・りのすけ)・海軍少将が

アメリカのルーズベルト大統領に向けて
書いたものです。



時は1945年3月、硫黄島。
米艦隊が島を包囲し、
上陸前の爆撃と艦砲射撃を始めていました。

市丸少将は地下20m、
硫黄噴気が充満する摂氏45度の壕内で、
ロウソクの明かりをたよりに、

自らの考えを、
米国大統領ルーズベルトへの手紙という形で
書き上げたのです。

日米大戦末期、日本軍の戦局は悪化し、
各地で日本兵の玉砕が伝えられていました。

市丸少将が散華した硫黄島も、
2万人以上の日本兵が玉砕した島の一つ。

そんな中で、
この手紙に書かれた“とある言葉”が

のちに、アメリカ中で
絶賛されることになったのです。

本日は、その一部をご紹介します。

===

日本海軍市丸海軍少将が、
フランクリン・ルーズベルト君に、
この手紙を送ります。

私はいま、この硫黄島での戦いを
終わらせるにあたり、
一言あなたに告げたいのです。

日本がペリー提督の下田入港を機として、
世界と広く国交を結ぶようになって約100年、

この間、日本国の歩みとは難儀を極め、
自らが望んでいるわけでもないのに、

日清、日露、第一次世界大戦、
満州事変、支那事変を経て、
不幸なことに貴国と交戦するに至りました。

あなたは、真珠湾の不意打ちを
対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていますが、

日本が自滅から逃れるため、
このような戦争を始めるところまで追い詰められた事情は、
あなた自身が最もよく知っているところです。

(中略)

おそれ多くも日本の天皇は、
建国の大詔に明らかなように、

“八紘一宇”という言葉で表現される
国家統治計画に基づき、

“地球上のあらゆる人々は
その自らの分に従って
それぞれの郷土でむつまじく暮らし、

恒久的な世界平和の確立を
唯一の念願とされている”に他なりません。

(中略)

私たちは今、物量に頼った
あなたの空軍の爆撃と艦砲射撃の下、

外形的にはやむなく後退していますが、
精神的にはいよいよ豊かになり、

心はますます明朗になり、
歓喜を抑えられないものがあります。

(中略)

大東亜戦争によって、
いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、
それぞれの民族が善政を謳歌します。

あなた方がこれを破壊さえしなければ、
全世界が、恒久的平和を招くことができる。
それは決して遠い未来のことではないのです。

あなた方はすでに十分な繁栄にも満足することなく、
数百年来のあなたたちの搾取から逃れようとする

これら憐れむべき人類の希望の芽を
なぜ若葉のうちに摘み取ろうとするのですか。

ただ東洋のものを
東洋に返すに過ぎないでは
ありませんか。

あなた方はどうしてこのように貪欲で
しかも狭量なのでしょうか。

大東亜共栄圏の存在は、
少しもあなた方の存在を脅かしません。

むしろ、世界平和の一翼として、
世界人類の安寧幸福を保障するものであり、

日本天皇の真意もまったく
これ以外にないことを理解する雅量が
(あなた方に)あることを希望してやみません。

※「ルーズベルトに与うる書」より一部抜粋、意訳。
===

この手紙は、
硫黄島の戦いの後、

昭和20年3月26日に日本兵の遺体から発見され、
それをアメリカ軍の従軍記者・
エメット・クロージャーが本国アメリカに打電。

当局による検閲を経た後、
アメリカで紹介されました。

自らの死を目の前にして、
たとえ硫黄島が奪われ、

自身が土に還ったとしても、
祖国を守るという決意、

日本だけでなく世界平和への願いを込めて
書かれたこの手紙。

その反響は大きく、
「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」
と題されて、米国の各大手新聞で、
その全文が取り上げられました。

また、戦後ベストセラーになった
ジョン・トーランドの

「昇る太陽-日本帝国滅亡史」でも
紹介されるほどでした。

そして現在、この手紙は、
全米のエリートが集まる海軍兵学校内の
アナポリス博物館に展示され、

アメリカでは今でも大事に
語り継がれています。

このように、一人の日本兵の手紙に書かれた
“八紘一宇”の精神は、

敵国であったアメリカ人たちの心を動かし、
世界平和のスローガンとして、
現在でも生きています。

しかし、現代の日本人はこの手紙の存在すら、
知らない人がほとんどなのではないでしょうか。

それは、戦後GHQによって、
「八紘一宇」の言葉が禁止され、

それに関連するものは
日本人の目から遠ざけられたからです。

GHQは日本人の愛国心を育む言葉を禁止し、
教科書や公文書から排除しました。

そのため、
“八紘一宇”の言葉を聞いても、

どんな意味なのか、
ほとんどの日本人は知りません。




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