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饒速日に対する考察

1: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/09 22:15 No.165
皆さまお初にお目にかかります。日本辺境五車星が一、島根県出雲民です。
この前から空気読まずにコメント欄に長文を書き続けていたバカです。
いや、言い訳させてください。
あのコメント欄の別名が掲示板だと思ったんですよ。
2ちゃんっぽいの怖いからやったことないのですよ。
いや、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。

(どうでもいい話ですが、島根はここ100年唯一人口が減り続けている都道府県です。
その国から申し上げたい、秋田はまだ都会だと。
こういうことを地方在住者のいる席で言うと、なぜか喧嘩になりますよね。
いやいや、うちも結構田舎だから。負けてないから。
うちの氏子は帰宅部ガチ勢だから、10kmとか普通だから!!みたいな。
あれなんなんでしょうね。

うち?なんか最近イスラム教徒が増えました。おかしいと思ったんですよ、そんな文化ないのに羊肉とか売るようになったから。
近くの天神社で礼拝中の方を見て初めて気がつきました。
アッラーアクバルとか全然気にしない日本の神々の懐の深さぱねぇ。
あとぶっちゃけると、今はちょっと出雲出てます)


で、あんだけ長文を書き続けたのも理由がありまして。
多分漫画に全く関係ないので言えなかったのですが、ニギハヤヒの命について。
ニギハヤヒの出羽降臨説が、そこに住み着いた物部が権威を高めるために言ったのではない。少なくとも私は嘘とは思ってないし、その根拠があると考えておりました。
それをある記事のコメント欄で書き連ねたところ、秋田さまと玲子さまからこちらをお勧めいただきました。浅学の身ではありますが、胸をお貸しいただければ幸いです。

実際に何が起こったのかを証明するためにはそれを記した書籍以外に傍証が必要だと思うのです。イリアスだけではトロイア戦争の実在の証明にはなりません。戦争があったなら武具や食事を購入し、人も集めたでしょう。そのような痕跡が見られて初めて評価できる部分があると思います。しかし日本には文書としての証拠が古いものがほとんどありません。4世紀以前がない。しかしこのようなことが可能でしょうか。魏志倭人伝(297)では実際に外部から人が訪れ、倭人から説明を受けている。通訳がいたなら文字を読める人間がいてもおかしくない。
蘇我入鹿が死に際に文書庫を焼いたという話もありますし、そもそも古事記にもそれより前の文献の存在とそれが消失したことにより記紀を作らないといけなくなった、と言う理由が記載されていたと記憶しております。誰かが焚書を行なったのでしょうか?全てを焼き尽くすとは考えにくいですが、書というものは省みられないと意外と朽ちて残らないものです。又は物部文書のように沈黙の中で残されて行ったものもあったのかも知れません。
まぁ要するに日本の文献•伝承で高い論証となりえるものはやはりないでしょう。少なくとも大量の異説を集めて併記した日本書紀以上に信頼性が高いと言い切れるものはないと思います。しかし、物部は大氏族です。彼らの行動が事実なら、その側で見ていた他の氏族が自分たちの伝承に残している可能性がある。

出雲にある資料と口伝と風土記、播磨国風土記の一部、そして海部と大三輪の伝承と系譜。そして出雲から出土した、東北との交易を示す漆器類の出土。
(一つ一つは弱いかも知れませんが、互いに補強し合えば傍証としてみてもいいのではないでしょうかと考えています。)
そこから私はこう考えています。

出羽にいたニギハヤヒが西日本のニギハヤヒと同一人物、そう考えてもおかしくない。
少なくともそれを持って物部伝承を嘘と断じることはできない。
出羽と出雲、そして畿内。その三つがかなり連携があった。というか日本海沿岸地域全体である種の同盟関係があったと思うのです。
その傍証の一つが先ほどあげた出土品です。出雲では最近になり発掘が盛んになっているのですが、その中でも東北地方の遺跡で見つかる漆器類が出雲でも多く見つかっています。
2500年から3000年前程度と考えられています。縄文時代、まだ稲作文化は来ていないことでしょう。別にこの交易路の広さはそこまで驚くことはないかもしれません。狩猟採集民族は基本的に集落規模を維持し続けたいなら、ある程度の交易を行わないといけないからです。塩のない土地の人間はどこかから手に入れなければなりません。肉がなければ、毛皮がなければ、やっぱり調達する必要がある。その土地に根付き、そこの実りだけで生きていける農耕文化とは違い、気候の変動、それに伴う実りの変化に対応するためにはある程度の交易が必須だったろうと思います。おそらくその交易路、特に大陸との兼ね合いも考えば、日本海側に集中していたことと思います。そしてそれぞれの土地で中心的な役割を担う交易民(海人の一部でしょう)はかなり強固なスクラムを作って連携していたのではないでしょうか。
傍証としては弱いですが、ここで出雲の神在月を傍証としてあげたいと思います。
出雲で10月に宴会があるって言うのはよくご存知の方も多いと思います。
これは外から多くの神様を稲佐の浜からお迎えして、みんなで問題を持ち寄り会議にかける、出雲では神謀(かむばかり、かみばかり)と呼ばれます。一部では証拠がないから、少なくとも平安鎌倉程度からじゃないか、と言われますがおそらく違うのではないかと考えております。
先ほども言いましたが、出雲は北はカムチャツカ南は中国南部まで幅広い交易圏の中にありました。出土品の多様さから考えて、その中心的な国際都市であった可能性は高い。
おそらく年に一度(または数年に一度)、各地の交易民の代表が集まり、どこで何が足らないか、今後の気候はどうなるか、どこで災害が起こるかなどを話し合い、今後の計画を立てていたのでしょう。ちなみに出雲神社、および富家という数千年口伝で歴史を伝えてきた一族がいるのですが、そこでも同じような内容が伝えられています。口伝は最も時の変化を受けやすく全てを鵜呑みにすることは難しいですが、出雲は奈良時代にはすでに過疎化が進行し始めてました(笑。それ以前に、各地からの集会をしていたと言う経験がなければ、神謀という考え自体が起こらないと思うのです。なにせ記紀の中では、我らは隠れたることを司る、つまり現実には一切関与しないと明言しているのですから。そして、その経験がなければもっと伊勢神宮などの神社が積極的にその位置に立とうとしたはずではないかと思うのです。

要するに、国譲り前には日本に多くの交通路があり、想像以上にフットワークの軽い動きができていたんじゃないかと思うんです。
そしておそらく、国譲り前後でその要になっていたのがニギハヤヒではないか、と。

饒速日は占領しにきたのではなく、一種の特使。天と地の間、地の中でもそれぞれの地域をつなぐ、外交官の役目ではなかったか。そもそも二つの民族が出会ってすぐ軍事的衝突、戦争となるでしょうか。最初はなんらかの交渉から入るのではないか。それが饒速日であり、故に戦争を起こすニギギ、又は神武の前に天から降りた(饒速日と共に武甕雷、布都主も同時期に降りていたと思う)。そしてまた天に登った。彼が天孫降臨ではないとされた理由(もう一つあると思うけど)、それは彼の動きが常に天と地の間を行き来する、双方向性のものであったからなのではないか。

ここから少し閑話となります。
おそらく、饒速日は国譲り前に降りてきていたと思います。
記紀に天稚彦という天神が出雲にくると言う記述がありますが、国津神の妻を娶りここでやっていこうと決めるという、かなり饒速日を想起させる内容です。
また旧事紀での饒速日の死の間際の様子も、天稚彦に酷似している。
これだけでは弱いですが、天稚彦が関与している土地は同時に天火明も関与してる。
そして旧事紀はこの天火明を饒速日と同一視してる。
おそらく、出雲神話に出てくる 阿遅鉏高日子根神も同じ神だと思います。
彼は天稚彦と同じ顔をしていたと言う伝承があると言うのが一つ、彼の光り輝くと云う美貌、そして周囲に放射する光。これは国津神の性質とは考えにくい(猿田彦の例もありますが、それはとりあえず置いといて)。もう一つは天照にしか許されていない、大御神と云う尊称をつけて彼は呼ばれるのです。加茂大御神と。
特になんの功績もない神なのに、です。すくなくともただの大国主の三男坊(?)なら敬称など必要ないはず。必要だからつけた。おそらく天孫だからと云うだけではなく、彼はさらに王となる為の条件を満たしていたからではないか。阿遅鉏高日子根神は記紀にて、死んだ天稚彦の葬式に出向きます。そして顔がそっくりだと勘違いされた彼は、「死人と一緒にするな!」とぶちぎれて、遺体を安置する小屋ごとぶち壊し、どこかに消えてしまいます。そしてここからが妙。
その時そばにいた阿遅鉏高日子根神の妹にして天稚彦の妻、下照姫は要約すると、「あの人見た!?めっちゃイケメンっしょ。あれ私の兄貴ですわ」とあっけにとられる義父に返しているのです。流石におかしいでしょ。いくらなんでも、昔の話だからって流せるレベルとは思えない。
でも、これも饒速日が天孫である自分と決別したと云うことを示すもの、とは考えられませんか
。だから妹が言ったのです…あの人は出雲神、もうあなたの息子ではないのです、と。

まぁ以上のことから、おそらく国譲りよりずっと前、そんな不穏な話が出る前に、彼らは特使としてきていたのだろうと。出雲国風土記の伝承を見るに、おそらく饒速日は幼少期からここにやられていたはず。一種の人質だったのかもしれないですし、障害があったようなので蛭子神のように遺棄されたのかもしれません。(天火明も遺棄される話があります)だからこそ、天孫の側から見た記紀では意外なほど、天火明の話がないのでしょう。一応長男だと云うのに。

閑話休題。
では旧事紀と記紀で違う、最も大きな点について。
なぜ、記紀で彼はナガスネヒコを殺したと描写されたか。
結論を言えば私は殺していないと思います。おそらく、ナガスネヒコ“は”殺してない。

出雲にこのような伝承がございます。
大国主と事代主を騙して惨たらしく殺したのは、アマノホアカリ、別名饒速日である、と。

(そもそも状況からしてナガスネヒコは出雲系の氏族、大国主の一族である可能性が最も高いと思います。こちらの漫画で一番気になったのが、なぜ饒速日の一族が、あえて酷く言えば裏切りの一族が、出雲を毛嫌いするのか。のちに述べますが、おそらく事代主は、饒速日に死ぬよりも過酷な道を歩ませたのでしょう)

ただ出雲国風土記と記紀の描写そしていくつかの寺社の伝承(阿波も含め)から、どの人物が同一人物かどうかと考えていきますと(ある程度強引な解釈ですが、民俗学って結局言ったもんがちだと思います)、出雲の神々と饒速日やその随行者、そして武甕雷たちは多分仲よかったと思うのです。それこそ兄弟並みに。
そことその伝承がどうしても一致しない。
だから私はずっとこう考えていました。

事代主は殺されたのではなく、自分を饒速日に殺させたのではないか、と。
戦争を回避するために。
出雲神がトップに立っている状態では、恭順を示してもずっと疑われるだろう。
だが、饒速日が事代主たちを殺して天に差し出せば、その血統も相まって警戒心はかなり薄れるでしょう。国津神の能力を積極的にかつ有効的に利用しようと思うでしょう。
少なくとも、わざわざ自分たちの兵士の命を贖ってまで征服戦争をしようとはしないでしょう。
かつて、戦後アメリカ世論が80%以上皇室廃止を熱狂的に支持していました。
にもかかわらず、その後の反動として大規模な反乱が出るのを恐れ、結局諦めた。
それと同じです。
受け入れればメリットが結構あって、強硬策に出れば被害が凄まじく出る、そしてそうなる可能性が高い、と確信できる証拠がある(おそらくこれが建御名方)。
ならちょっと腰を据えようか、と考えると思うのです。
事実、出雲にはほとんど戦闘の跡がありません。なさすぎて一時期は出雲神話はフィクションと思われていました。その後荒神谷遺跡や出雲大社の巨大な支柱見つかったりしまして、一気に現実味を帯びました。
おそらく、その時事代主率いる出雲神族はほぼ無手の状態で、敵が来るのをまっていた。
ただ一つ、天にこの国の支配権を差し上げる、その契約だけを武器に。
その契約が確かであると云う証として、事代主は自分を慕っていた饒速日に自分を殺させたのではないか。少なくとも、饒速日はそれにより信頼を回復できる。

おそらく、これに関わる一連の何かは出雲と物部の間で交わされた一種の密約だったのでしょう。だから公表できなかった。海部の 勘注系図序文にもこうあります。この事実を決して誰にも漏らしてはならない、と。
記紀が編纂されたのは天武さんの頃。中央集権的ではありましたが、蘇我氏の弾圧の頃とは違い物部も再び要職についておりました。他の小さな氏族の異論が採用されるのに物部だけ記紀に関われなかったとは考えにくい(一つ穴はありますが)。

物部が記紀の作成に関われなかった、排斥されたのではない。
そもそも語ることができなかったとしたら。物部の一系である石上家は石上神宮社伝にて、饒速日は布都主の家系で天神であると自ら言っている。おそらく密約がまだ意味があった頃、彼らは自分たちの意思で、天神の仮面をかぶっていたのではないか。

自分たちの正当性を語りたい。しかし語れない部分を除外すれば穴あきだらけになる。
それを埋めるためにコピペした結果、偽書とされたのが旧事紀だとしたら。
どうしても公表できない、語りたくとも語れない部分が物部文書の中にあるとしたら。それでも、それでも伝えたい何かがあったとしたら。

その理由が事代主と、彼がなぜ宮中御巫八神に据えられ、なぜ東宮しか祭祀権が与えられなかったかと言うことに隠されているように思うのです。
そして、出雲神族独特の、“神に神降ろしする幽冥の神”という特徴も、物部の呪術と関わっているのではないか。

話が横道にずれますが、事代主が御巫八神にいることを疑問に思う人は多い。ある方は、これはおそらく記紀の事代主とは別だろうとおっしゃる方もいます。しかしそれはあり得ないと思う。単に天神の知恵の神を入れたいなら、もっと適任者がいる。思兼命です。
彼女ではダメなのです、事代主でなければならない理由があった。

天孫でなければ王位は継げない。そこまではいい。
ではその先、皇子同士では、何を優先基準にすればいい?
おそらく天津神たちは記紀から考えて、長子継承ではありませんでした。それはもっとあと、中国からの影響です。おそらく最も優秀なものが継ぐと云うことだったのでしょう。
それは、血みどろの身内同士の闘争を、同時に意味した。
それをできる限り回避するにはどうするか。これを決めたのが祟神帝の頃と思います。
争う事なく時代の王を決める、その投票権を持つものは、そもそも天孫こそがこの国を継ぐ権利があると云う契約をした、事代主その人以外あり得ない。
だからこその事代主。言を持って事をしろしめす、契約と預言の神。
そして顕界から切り離された出雲の神々を呼び起こすのは、決められた血統の神々なのです。
大国主はアマノホヒ、建御名方はミジャグジ様、ウカノミタマ さまはどうかわかりませんがあの人も御霊わけしてる感じしないですし、おそらく狐たちの中でも高位にいるものが呼び起こす、さらに言えば神懸かりの神籬となるのでしょう。(個人的にはジョジョのスタンドみたいなイメージですかね、死した神ですから、今のアオの神懸かりとは少し違うかも)
そしておそらく、事代主の憑代…というより、現世への錨というか、つなぎとめる役目をしていたのが、饒速日の血に連なるものではないか、と。
そして、降ろされた事代主とおろした饒速日をセットでこう呼んだのではないか。
物部の主、偉大なる大物主大神と。
そして大物主大神に祝福された祟神帝は、初国しろしめす王、つまり初代天皇の称号を得た。10代目の天皇に関わらずです。彼に認められないと王とは言えない、というシステムが始まって最初の人ということかなと思っています。
ならば、彼らが伝える呪術とは、地返しの玉が蘇られる相手はおそらく事代主ではないか。
そして御巫八神は別名、鎮魂八神とも言います。彼らは死した神を揺り起こし、揺り起こされた神はおそらくある方法で、天皇家の魂を癒したのでしょう。
ここの説明はもう長くなるので割愛しますが、おそらく事代主は自分の魂を食わせたのだと思います。キリストのパンとぶどう酒と同じく、おそらく直会の最も原始的な方法として。

話が変わりますが、アオの能力を見た時、そしてアラハバキの名が出たときから思っていたのです。上でもあげましたが、諏訪にミジャグジ様という神がおられます、特徴がアラハバキ神とよく似ておられて、同一視されることもあります。そしてこの神の子孫が、建御名方という出雲神(異論ありますが、私は出雲神、しかもおそらく女神だと思う)を神降ろしする現人神として長く尊敬を集めてきました。彼らはミジャグジ様の血統、その御子神であると同時に、降ろす建御名方神と同一視されるのです。出雲の国造も同様です。すでに死した出雲神は常にこの二重構造を持つのです。顕界にいる生の神と、幽冥にいる死の神、この二つはおそらく不可分。
であるがゆえに、記紀ではこの二つの神のエピソードが同じ神として入り混じる。死んでこの世界と関われなくなったはずなのに、嫁さん作って子供産ませてるみたいなことが起こるのです。

これを踏まえて、神話の神々はアオの存在を知った時点で危険視するのではないかと私は思いました。ミジャグジ様と同一視される神を語り、しかも神を降ろす神であるアオ。
ならば、オグンと同様、いやおそらくそれ以上の世界的な存在承認「神風」を得てしまった女神を、下ろしてしまうかもしれない。(ぶっちゃけカントンブレは200万程度。多くの人間は聖人とオグンを同一視していない。なら神風とこの神が世界的に結びつかずとも同じことが起こるはず。むしろ聖書を読まないキリスト教徒が増えてる昨今、神風が海外に与えた恐怖と畏怖の方が生々しく残ってると思いますよ)。出来る出来ないではない。可能性があるというだけで十分腰を上げる理由になる。いわば素人のハッカーが軍事施設にハッキングしてICBMを発射することができる状態みたいなものです。
そして日の本無双の守護女神、諏訪の核弾頭を古くから監視してきた社の一つがおそらく秩父。あの御方はおそらくこの事態だけは絶対許さない。
そんな妄想をして見たりもします。当たってるかどうかはどうでもいいんです。私、推理小説は推理せず探偵に丸投げタイプです。


ぶっちゃけこれ以上色々私論があるし、自説に対する疑問点もあるし、何より論拠を細かく言ってないのはものすごく不誠実に感じるのですが、多分真実にも今後の展開にもかすりもしてないだろうし、所詮素人の浅知恵ですから(笑。それにこういう方が楽しいと言う、恣意的な解釈もだいぶん混ざってます。あまり価値のない話です。

長文になりますが、どうか本気になさらず、笑って流していただければ幸いでございます。

2: 秋田LV3◆JYd7t0N4Tk:2018/08/09 22:43 No.166
うへへ。
言いたいことはたくさんあるけれど後にするー

3: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/09 23:08 No.167
ちなみに、事代主と饒速日は今は断絶状態にあると思います。
守屋以後の彼らの動きは、また今度、

4: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/09 23:30 No.168
…続きが…消えてる…
まぁいいや。
皆様の温情溢れる採点をお待ちしています。

あと、どうでもいいことですが。
結構いいとこいってるけど、君ほんとスケッチ雑だよね。
そんな理由で、レポート評価をcマイナスにされたことがあります。
懐かしい。
ちなみの大学時代のあだ名は、高橋克己でした。

5: 玲子:2018/08/10 07:12 No.169
溢れ出る長文書き込み!読み応えがありますね。どんだけぶっちゃけたかったのか(笑)。
学がないから採点はしませんが、出雲の方ならではの考察、面白いです。いいぞ、もっとやれ。

6: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/10 18:03 No.170
あと気になるのが、秋田の伊豆山神社。
イズモ、イデハ、そしてイズ。
伊豆も事代主のゆかりがある土地です。

そしてここの神社で気になるのが梵天祭。
梵天祭は秋田で広範囲に行われているからおかしくないんですが。
ここの梵天、川を渡るでしょ?
出雲の美保神社も、海に小舟を出して、その小舟に御幣をのせて沖に出るんです。神職が乗る船のみ御幣を載せるんです。その中に神が降りて人と語らうと言われる。
そして、再び陸へと帰る、神を下ろしたまま。
そして本殿へと連れて帰る。(そしてなぜか猿田彦がウズメとともに舞う。)
出雲の古神道の神事と言われる、青柴垣神事です。
(凄まじく工程が複雑な神事なので、一部端折ってます。)

ちょっと似てますよね。
陸から水へ、水から陸へ。
調べたらこの神社、思った以上に古い。
御一新の時に祭神はかなり変更したから、絶対とは言い切れないけど、もしかしたら元々から事代主を祀っていたのかも。
そしてその土地の神事と混ざったのかもしれません。
事代主は大抵恵比寿神社という特性が真ん前に出るのが普通なのに、そんな様子が全くないのも不思議です。
恵比寿が広がる前から、祀っていたのかもしれません。

もしそうならすげぇ。事代主の神事なんぞ、出雲と大三輪と熱田ぐらいにしかもう残ってないぞ…しかも完全な形でってのはほぼない。

出雲はかなり神事が残っていない神々なのです。出雲神が祀られても、実際の神事はその地域の神を祀るもの。本当に看板でしかないことが多い。
しかも出雲の神事は明治維新で徹底的に消された。出雲も畿内も諏訪も。修験道とともに。(それでも神風ふかすんだから、彼の方はきっとアオ並みにお人好しなのでしょう)

もちろん、水を渡る梵天祭が一般的ならこの推測はハズレということになるのだけど。気になる。
そもそも伊豆の三島は、事代主前にはアラハバキ神を祀っていたの可能性のある神社。信仰を隠すために事代主を祀ったという意見もありますが…。(そして隠れていたアラハバキがオオヤマツミという名前を得たと。確かにこのオオヤマツミは少しおかしいのです。元からいた山神のはずなのに、他国から来たという伝承がある。言語学から伊豆ぐらいまでは、出雲・大和政権の元々の領土だったと考えられるので、うむむ…!!と思うのです)

この自社の社伝がすごく知りたい。

7: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/10 18:20 No.171
本当に物部が出羽に登ったのかもしれないですね。
その地の豪族が物部を語ったのではなく。
知らなかったら、出雲の神事を行えない。
その地の豪族なら知ってるはずがない。

川をわざわざ船で渡らなくても、違うところから始めればいいのだし。彼らにとって、川を渡るということが重要だったのなら。
うん、ちょっとテンション上がりますね。

8: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/10 18:34 No.172
あと気になるのがともに祀られるナキサワメ。
もちろん湧き水の出る山だからいてもおかしくない。
ただ、なぜかこの神は精霊神と言われる。
それをなぜそう呼ばれるようになったか示す資料がないので、どうとも言えないのですが、そう言われてる。

んで、記紀に天武帝に関してこんな記述がある。
金綱井(カナヅナノイ)で天武帝が軍を起こした時、高市郡大領(タケチノコオリノコオチノミヤツコ)の高市県主許梅(タケチノアガタヌシコメ)は突然、口を閉じて、何も言えなくなりました。三日後、神掛かって言いました。
「吾は高市社(タケチノヤシロ)に居る、名は事代主神だ。また、身狭社(ムサノヤシロ)に居る、名は生霊神(イクミタマノカミ)です」
この生霊神、本当に誰だか全くわからないんです。
比定しようにも、結構意見が分かれるし、自信がないものが多い。

もしかしたらナキサワメのことだったのかも。

9: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/10 18:50 No.173
元々は不老山と言われてたのも気になる。
富士山も不死の山から来てるって言いますが、かぐや姫も死のない天界に帰って行った。
月というのは、天体ではなくここではない別世界を示したという意見があります。地上ではなく、世界という天蓋の向こう側。
時の止まった世界だと。

10: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/12 17:09 No.187
元はナキサワメの社って説もあるのか…
なんて事代主が主祭神になったんだろう…

そもそも
坂上田村麻呂のゆかりは本当なんだろうか…
坂上田村麻呂ならどっちかっていうと諏訪か住吉の方がゆかりが多いんだけど。他は八幡か観音菩薩とかの仏教系。

鎮護として前線で祀る神では、ありえないわけじゃないが事代主は…わざわざなんで事代主?ってのがある。そもそも、この人だけ抜き出して祀るものでもないし。
伊豆大神として祀られてたのを、御一新後に平田篤胤さんの意見を元に事代主に変えたってならありえるんだが。ネットの社伝をみるとそうでもなさそうだし。

個人的に、坂上田村麻呂は後から付け加えられた、箔付けのようにも思うな…

11: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/12 18:00 No.188
伊豆大神として祀られてたなら、そもそもが東征の前にアラハバキを祀る神社だったって可能性もあるのか…?

いや。坂上田村麻呂は実際に蝦夷と戦ったあと、彼らを尊敬し、東北統治は彼らに任すべきだと進言したと言われてるしなぁ…
実際に討伐というより、投降するように粘り強く交渉したって感じだたみたいですしなぁ。積極的にもう戦う気がなかったなら、彼ゆかりというのもありえるのか…?
そもそも軍事による力押しだったなら、10年以上押し返して来た蝦夷の一族が簡単に負けるわけないんだし。(阿弖流為の戦術は本当にすごいですよね)

んー、
事代主、饒速日 、アラハバキ。
結構重なっているから、関わりがあったことは事実だと個人的には思うんだけど、どこからどこまで、どう関係しているのか…
アラハバキ神がやったことが、他の神のしたこととして消されてる気がするんですよね…事代主や大物主がやったと伝わっていることも、一部はこの人のことのようにも思うし…三島溝咋か娘として考えるか。又はそこに婿入りしただれかと捉えるか…うーん。
三島のオオヤマツミは別名、和多志大神(わたしのおおかみ)。海神としての特徴も持つんですよね。神話のオオヤマツミは基本山神オンリー。海はオオワダツミがいるし。海運・陸運を両方持っていたとするということを意味するなら、馬の神、蛇神の両方の側面を持つアラハバキの方がやっぱり当たっているように思う…

個人的な意見だけど、アラハバキ神は絶対、化外のみの神じゃない。
一部地域の土着神じゃない。
中心は東北・北海道だとは思うが、勢力圏はもっと広かったはず。
本来はもっと全国区に強い影響を与えていた強大な神だと思うんだけど…

むしろ出羽こそ古代東日本の中心地だったと思うんですよ。秋田は豊かな土地と海運ルートを考えれば十分ありえる、江戸時代だって日本の食料庫として栄えたんだし。
だからこそ、影響力が比較的少ない関東、鹿島あたりから徐々に制圧したのかも。地形的に日本海側からは攻めにくいってのもあるんだろうけど…
うーん、仮説はあれど、詰めができない…

人の掲示板で妄想書き散らして申し訳ない。

12: 出雲民@秋田はまだマシ:2018/08/12 18:41 No.189
返信するべきか悩んだのですが返信。
いや、あるじゃないですか。返信すべきかどうか悩む時って。
向こうからしても、返さなきゃって思うなら迷惑かなぁとか。
秋田の人は控えめでお人好しな人が多いから、いやとは言えないかもなぁとか。
西日本はグイグイ行くから、自分にその気なくても向こうは辛いかもなーとか。
悩みに悩み、返したかったので返します。
やっぱりお礼はちゃんというべき。そう判断。
別にお答えを求めているつもりではないので、お気になさらないでください。


>秋田様
お答えどうもありがとうです。
首を長くしてお待ちしています。
イズモとイデハはすごく楽しみにしてます(ふんす:鼻息)。

今までよく知らなかった秋田を調べてみて、意外に共通点が多いことに驚きます。まぁ、もともと出雲だけは中四国とは文化が少し違って、東北に近いとは言われるのですが。というか、東北よりさらに排他的ですが。秋田の歓待の文化が眩しい…。

ところで最近は秋田は、というより東北全体が海外でも人気になって来てますよね。結構YouTubeで紹介動画が出て来てますし(天使の住む場所だとか言われてましたよ)、実際海外からの観光客がすごい勢いで増えてる。
私も行ってみたいです、でも遠い…
冬とか綺麗なんだろうな…

>玲子様

玲子様ありがとう!
あなたの言葉を本気にした結果がこれです(笑。
私はだいぶ広島が混じってるので、結構お調子者ですから。
豚はおだてれば木に登るものです。もちろん私も登ります。

13: リラ:2018/08/12 22:58 No.190
なんと濃ゆい文章……くう、知識不足で半分もわからないのがくおしい。
ただこう、出雲ってやっぱり別格の土地なんだなって思いました(素人並みの感想)

14: 出雲民:2018/08/13 00:04 No.191
>リラ様

いえ、単に私が変態なだけです。

結論として、「年上のお姉さんに憧れていた男の子が、大きくなってその相手と戦わないといけない」というシチュに萌えるので、そこに神話を持って行くために、全精力をつぎ込んでるだけです。
ちくしょう、これだけは隠し切たかったのに(涙)

義理のお姉さんが手を引いてくれるとか燃える。
そしてそのあと道を違えるとかだとなおいい。
というか義理、とつくだけで燃える。
又は、義理の姉と妹でも可。
さらにお姉さんが、穏やかなしゃべり口調でありつつも男性的というか、紳士的だとさらにテンションが上がる。

私は単に変態です。
あなたはここに来てはいけない(戒め)

15: 秋田LV3◆JYd7t0N4Tk:2018/08/13 00:28 No.192
アンサー記事
「出雲流民俗学的神話考と疲弊した郷土と発信の形」を公開しました。
http://yamanosu.com/blog-entry-563.html

流れの把握としおり代わりに記述しておきます。


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