王子うたごえ広場


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お礼
Mr.ジョー 投稿日:2023年12月09日 22:59 No.652
  歌声喫茶のスタッフの皆様、ありがとうございました。
開始の20分前では参加者が数人で、今回は少ないなと思いましたが、開始するときは30人近く。初参加の方が男女1名ずつ。男性は30歳。若い。
  「雪が降る」では、セリフの部分からいろいろとやり直しがあり、楽しかったです。北海道では、ハマナスは「知床」が有名だと思っていましたが、「宗谷岬」近辺でも咲いているのですね。宗谷岬の歌詞で知りました。名人コーナー「心さわぐ青春の歌」3回目でいい歌でしたが、覚えていませんでした。
「恋はやさし 野辺の花よ」は知らなかったです。知らない歌に出会えて嬉しかったです。
  「津軽海峡・冬景色」は演歌だと思います。年に1回は、歌声喫茶で歌っている計算になると思います。新歌集には「北の宿から」が載っています。この曲も演歌だと思いますが、今まで1回も歌ったことがありません。作詞は両曲とも阿久悠 氏。合唱に合わないからでしょう。参加者の皆さん、そう思われているのでしょうね。
  リクエスト曲の中で「翼をください」は歌っている最中に、涙が出ることがあります。この歌を作曲した村井 邦彦さんが今年2月の日本経済新聞朝刊文化面の「私の履歴書」に「この曲は“赤い鳥”というフォークグループのために作曲した」と記載がありました。約50年前の歌です。ただ、一般名称「救う会」の会合の最後にはこの曲を参加者全員で歌っているそうです。拉致された方々は、どなたもすぐに「翼が欲しい」と思っていることでしょう。日本に早く帰り、家族と会いたいだろうなと思うとジーンと来てしまうのです。
  来年は全世界で、もめ事・天災・病気・戦争などなど、起きないように願っています。皆様、良い年をお迎え下さい。


chombo 投稿日:2023年12月10日 12:02 No.653
翼をください」「赤い鳥」の語から想い浮かんだのは、
「赤い鳥」が世に出た「竹田の子守唄」であり、その曲を発見採譜した尾上和彦そして「同志社の合唱団むぎ」でした。
そのことについて 藤田正さん(評論家、音楽プロデューサー)の二十年余前の講演抄録を以下にご紹介します。

1950~60年代、政治や労働運動と一緒に「うたごえ運動」が盛んになりました。
その流れで竹田の被差別部落にも青年たちの小さな合唱団ができました。
そこへ クラッシックの作曲家 尾上和彦(当時は多泉和人)が合唱の指揮にやってきます。
その縁で尾上は竹田のある青年のお母さん…地元の子守唄や昔の歌をたくさん知っている人と出会います。
その人から 「竹田の子守唄」の原型の歌を聴いた尾上は 「これは大変な歌だ!素晴らしい!」 と
帰宅し譜面に起こしたのが、私たちが知っている「竹田の子守唄」の出発点でした。
最初は歌詞もついていなかった楽譜に歌詞が加えられ うたごえのサークルの中へ広がっていきました。

うたごえ運動を追いかけるようにフォークブームがやってきます。
フォークの人たちも「竹田の子守唄」を耳にし、
そのひとり後藤悦治郎もまた「日本にこんなに美しい歌があったのか」と驚きました。
 ※後藤悦治郎は後に赤い鳥のリーダーとなり、解散後は「紙ふうせん」に。
当時のフォークの人たちは、欧米の歌を英語で歌うことから出発しましたが、
60年代中頃から「日本の歌を再発見し作りだそう」という気運が生まれます。
「竹田の子守唄」はそんな彼らに発見!されたのでした。

当時 大塚孝彦がリーダーとなったグループの自主製作LPがあり、
高田恭子が「竹田の子守唄」の最初のレコーディングをしています。その解説で大塚は
『A面の最後は もう一度 竹田…でひきしめます。高田恭子と大塚孝彦が歌いましたが、
 実は同志社の合唱団むぎ演奏会に私が行き この曲に魅惑され楽符を貰ったのがそもそもの始まりでした』


QP 投稿日:2023年12月10日 14:06 No.654
孫の音楽会や空手の試合などで、ジョーさんやちょんぼさんに遅れをとりましたm(_ _)m
ジョーさん、早速の投稿いつもながら感謝です。ありがとうございます。

昨夜の3人王子歌い納めうたごえ喫茶は、皆さんのお陰で賑やかに終える事が出来ました。一年を通して本当にお世話になりました。
「翼をください」からこのようなドラマが浮上するとは!歌に歴史あり!ですね。そして歌詞に乗せてそれぞれの想いが去来する…やはり歌の力は深いですね。
久しぶりに「心騒ぐ青春の歌」を歌った事も個人的には40年前の学生時代を思い出す機会でした。
来年もまた、色んな曲に励まされ力を貰える場所になりますよう、皆さんとうたごえ喫茶を作っていきたいと思います。

ジョーさんの報告にもありますように、30歳の若者の参加は嬉しかったですね。しかしながら、昨夜歌った大半の曲は知らなかったとの事。つまらなかっただろうなぁ〜と、心配していましたら「初めて出会った曲は復習して、また時々ひょっこり参加したい」とぷーさんにメールが来たとの事です。息子の年代の方がこの様に言ってくださりホッとしました。
時代は違うかも知れませんが、ちょんぼさんの「うたごえ運動」の起源にあったのは正に当時の若者であったろうし、彼らはまた現代のうたごえを創り出していくのだろうと思います。私達の背中が何らかのキッカケになると嬉しいな…がんばれー若者!
何はともあれ、一年間大変お世話になりました。色んな出会いがあった一年でした。来年からも元気に歌いたいです。
来年は、1月13日の開催です。慌ただしくなる年末、どうぞ怪我のないようお過ごし下さいね。来年も宜しくお願いします。


QP 投稿日:2023年12月10日 14:15 No.655
昨夜のうたごえ喫茶は「第136回」でした。
34人のお客様と今年を締め括れた事、感謝します。
ありがとうございました。

スタッフの皆さん、お疲れ様でした。来年も元気に頑張って参りましょう。
尚、ちょんぼさんの記事に「合唱団むぎ」が登場しました。そのOB合唱団が来年4月28日に第3回の演奏会を開きます。レベルアップした勇姿を楽しみにしています。


めいじん 投稿日:2023年12月12日 00:20 No.657
「心さわぐ青春の歌」ジョーさんが参加されてから3度も歌いましたか?忘れていました。若い方の参加は嬉しいですね。136回、スタッフの皆がほとんど病欠なくやってこられたことが嬉しいです。これからも気を付けて続けてゆきましょう。
 赤い鳥のマネージャだった友人のところへ先日久しぶりに会いに行ったのですが、病気で退院したばかりだということで会うことができませんでした。CHOMBO君はご存じの彼ですが、竹田へも後藤さんと幾度か訪れて「竹田の子守歌」という冊子も発行していました。良い歌はいつまでもあせずに歌い継がれてゆくものですね。




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