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弔問の旅 渋沢栄一系譜
tabi 投稿日:2021年04月23日 21:11 No.4742
沢山の子孫
渋沢栄一は女性関係が派手な人物でした。
正妻こそ生涯2人だけでしたが、正式に妾さんとして囲っていた女性の他にも大量の愛人がいたとされています。
このため、正妻と妾の子と養子をあわせて12人が正式な子供としてカウントされていますが
その他にも50人とも100人ともいわれる子供がいたとされ、その多くは戸籍にも載らずに、存在が消されてしまった方たちとなっています。


ちよ(1841年-1882年)-千代、千代子とも表記される。歌子、琴子、篤二の母。尾高惇忠の妹であり、栄一とは従兄妹同士。コレラで死亡。
兼子(1852年-1934年)-かねとも表記される。武之助、正雄、愛子、秀雄の母。兼子は水戸藩の公金御用達も務めた江戸屈指の豪商、深川油堀の伊勢八こと伊藤八兵衛の娘。


大内くに(1853年生)-千代生前から妻妾同居し、栄一との間に子を儲け、栄一との関係解消後も渋沢家に出入りした。
田中久尾(1872年頃の生まれ)-大阪出身。深川福住町の自宅に同居。
鈴木かめ(1876年頃の生まれ)-元吉原仲の町林家の芸妓小亀。日本橋浜町の別宅に囲う。

詳しい説明と他の写真26枚は↓をご参照下さい。
https://ameblo.jp/tabicom/entry-12670244250.html




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