歴史掲示板(渡来人研究会)


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「六之宮」、やっぱり似たのが茨城に
弓張月 投稿日:2024年04月16日 16:59 No.422
許斐登山口右側に鎮座される「六之宮」

弓張月 投稿日:2024年04月16日 17:23 No.423
許斐登山口右側に鎮座される「六之宮」ですが、相模の国では国府祭が行われる相模國総社 六所神社が、ウィキペディアには、「旧六所神社(茨城県つくば市) --明治一村一社制により廃社。ご神体は蚕影神社にうつされている。」と
また、笠間市笠間市下郷上町にも六社神社があり、 https://ibamemo.com/2020/01/05/6sho/
ブログ「茨城見聞録」によると、「社殿右手の小高い場所には蚕影神社が鎮座しています。おそらく神郡(つくば市)の蚕影山を模しているのでしょう。」とあり、現在のような幌獅子や山車が参加する形式の祭礼は、明治6年の合祀を記念して始められたといわれており、140年を超える歴史を重ねています。祭礼ではいろいろな慣例やしきたりがあり、それを守ることで、町内間のもめごとが起こらなくなり、地域との結びつきがより密なものとなっています。(例大祭/笠間市公式)と書かれています。
茨城県は、常陸風土記の新治郡と明治時代からの新治郡は違う場所なんですね。こんな所は素直ですよね?


弓張月 投稿日:2024年04月16日 19:11 No.424
二つの新治郡

1594年(文禄3年)に常陸国内で太閤検地が行われた際に再び新治郡が成立したが、これは古代の茨城郡、筑波郡、信太郡の領域のそれぞれ一部からなるものであり、古代の新治郡とは全く領域を異にする。


弓張月 投稿日:2024年04月17日 07:10 No.425
笠間市笠間市下郷上町にも六社神社で行われる例大祭

前回投稿の「現在のような幌獅子や山車が参加する形式の祭礼は、明治6年の合祀を記念して始められたといわれており、140年を超える歴史を重ねています。祭礼ではいろいろな慣例やしきたりがあり、それを守ることで、町内間のもめごとが起こらなくなり、地域との結びつきがより密なものとなっています。(例大祭/笠間市公式)」ですが、

よく、日本は平和ボケしてる?と、人間の本能は、
平家物語の「祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹さらそうじゅの花の色、盛者必衰じょうしゃひっすいの理ことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。」が本能であるとすると、

であるから、鹿島神宮で行われる祭頭祭のような今では訳がわからなくなっている祭りを行っているのでしょうかね。でも、実際は行う理由の記録はあるのでしょうけど?




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