歴史掲示板(渡来人研究会)


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邪馬台国(九州)方位ライン
管理人 投稿日:2023年03月29日 23:11 No.212
ここ最近述べてきた弥生時代末期から古墳時代初期の特に九州全域における方位ラインをまとめてみると図1のようになりました。

そのライン詳細については、すでに論じているので割愛しますが、特に注目すべきは、まず以前も指摘した三雲小路南遺跡⇔吉武高木遺跡⇔岡本遺跡⇔川部・高森遺跡への東西ラインの存在があり、また三雲小路南遺跡⇔吉野ヶ里遺跡(北墳丘墓付近)⇔女山神籠石⇔西都市山田古墳状地形⇔宮崎神宮への西60度偏角のラインも確認できます。

それに直交する形で女山神籠石⇔小迫辻原遺跡北部⇔川部・高森遺跡を結ぶ東30度偏角のラインがみえ、そして女山神籠石⇔天岩戸神社への西30度偏角ライン、それに直交する天岩戸神社⇔韓国岳への東60度偏角ラインもあり、さらに女山神籠石⇔城之越古墳⇔韓国岳への西75度偏角のラインや、小迫辻原遺跡⇔城之越古墳⇔可愛山陵⇔笠瀬崎方面への東70度偏角のラインも確認できます。

加えて、小迫辻原遺跡⇔西都市山田古墳状地形⇔宮浦神社への西75度偏角のラインや、城之越古墳⇔西都市山田古墳状地形への西50度偏角のラインと、それに直交する可愛山陵⇔天岩戸神社への東45度偏角のラインおよび西都市山田古墳状地形⇔持田古墳群(48号墳)への東40度偏角のラインの存在、さらに天岩戸神社⇔韓国岳への東60度偏角のラインとそれに直交する韓国岳⇔宮浦神社への西30度偏角のラインの存在等、概して15度、30度、45度、60度、75度、90度角で正確な位置に三角測量していたことが明らかにしうるでしょう。

その測量起点として特に九州南部で重視されていたのが韓国岳と西都市山田古墳状地形であり、特に後者は九州中部の宇土の城之越古墳や天岩戸神社、九州北部の女山神籠石、小迫辻原遺跡、川部・高森遺跡、三雲小路南遺跡とも関わりながら、南部の支配拠点として弥生時代を通して発展していったようにも見受けられることがあります。

特に邪馬台国時代において重要な支配拠点であったことが伺える点で興味深く、その実地調査を今後行ってみたいところですね。




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