〔仮称〕湘南ライカ広場掲示板 > 記事閲覧

義父の軍服

1: ゲンゴロウ:2023/10/23 13:33 No.4030
蔵から出て来ました。
「奉公袋」の裏の「収容品」の中身が重々しい。
奉公を強制されない今、先人に感謝するばかりです。


2: 舟珍@スマホ:2023/10/23 14:33 No.4031
ゲンゴロウさん
軍袴の表面の織、帽子とゲートルのフェルトの緻密具合、印刷文字の劣化がないこと、奉公袋の下に少し見えている水筒の琺瑯の具合…
すべてまだ軍需品が高品質を保っていた頃のもので、しかも最良の保存具合です。
最近のレプリカかと思ったほどです。
おそらく戦地には行かれず、地元の連隊で無事年季を終えられた方の遺品だと思います(違っていたらお許しください)。
ゲンゴロウさん、夜にまた拝見いたしますネ。

3: 舟珍vf:2023/10/24 01:02 No.4036
ゲンゴロウさん、
職場の軍装専門に見せたところ、
1)軍帽がこの水準で残っているのは珍しい。なぜなら、一番使いようがあるのでみんな戦後に被り尽くしたそうです。
2)ゲートルはフェルトではなく混毛か木綿だった。これは混毛。
3)右の2つの水筒は大正期までのもの。奉公袋に隠れている水筒は昭和に入ってのもので、支那事変、大東亜戦争に出征した人はほぼすべてこれ。琺瑯ではなくて、エナメル塗布(ちなみに、私・舟珍の母方の祖父もこれを遺しています)。
4)飯盒は二重飯盒になる前のもので、これも大東亜戦争前まで。
5)革製の盒、右は三八式等の実包サイズ弾薬盒ですが、左は工具か何かの収納盒である可能性が高い。
 等々…
とのことでした。
 あくまでも、ご参考まで。ご本人の軍歴以上に正しいことはありませんものね。

4: ゲンゴロウ:2023/10/24 05:41 No.4039
舟珍vfさま
配偶者によれば、教員だった父(1922年・大正11年生)か叔父(1924年・同13年生)
の師範大学での軍事教練に使用されたものではないかとのことでしたが……..。
専門家の詳しい評価に感謝申し上げます。公開展示時の説明にさせて頂きます。
トリミング前の画像をアップロードします。


5: 舟珍vf:2023/10/24 11:26 No.4041
ゲンゴロウさま、
あくまでも商業誌編集者の鑑定なので、公的な展示をなさる場合は主催側の立てる専門家や司書の説明を優先してくださいね。

今後も、お蔵の所蔵品を見せてくださいね^^)vv

6: ゲンゴロウ:2023/10/27 15:03 No.4063
在郷軍人会
襖の下張から大正時代の名簿が出て来ました。
先人の皆様は20歳前後で招集されたようです。


7: 舟珍:2023/10/27 20:35 No.4066
お一人だけ、上等兵で除隊されてますね。
機関銃兵なので、おそらく体格が優れておられたのだろうと推測します。

名前: E-mail:
| 特大 | | | 下線 | 取消線 | 点滅 | | 動画
Powered by Rara掲示板