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2024(令和6)年 3月(弥生:March)
タメやん 投稿日:2024年03月18日 15:15 No.2677
書き込みを月単位から日単位にしたが、多い月だと5回以上書き込んだりする場合があり冗長になるので、また月単位に戻した。(朝令暮改)

17(日)

高天ヶ原山周辺古道探訪

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.567325&lng=133.611397&zoom=16&dataset=kochi&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2


「茶凡遊山記」にうpされていたので、調べてみたら意外と登り口が多かったので行ってみた。

https://www.google.co.jp/maps/@33.5658699,133.61405,3a,90y,310.43h,93.17t/data=!3m6!1e1!3m4!1s7ulzu6HVz3op0jY2ZgPfrA!2e0!7i16384!8i8192?entry=ttu


去年登り口を見つけたが、最近登られた方がいた。

https://yamap.com/activities/29809917

住宅地図では、この小径に沿ってゲリマンダーの様に介良が甲と乙に分かれている。

と言う事は私有地で地図上の道が消えた所で行き止まりかと思ったが、やや荒れているものの霊園の北東の角(給水タンクあり)に着いた。(登り始めてすぐの分岐は、墓ですぐに行き止まり)

そこの少し上に平坦地があり、そこから小径を西に進むと霊園の北西の角の少し北に下りて来たが、古道が見つからないので少し北に登ると横道があった。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.566848/133.612136/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

横道(踏み跡)はすぐになくなるが、歩き易い所を平行移動していると高間之神社の鳥居に着いた。


鳥居を北に進むと「一之古墳」の石碑があり、その少し先が平坦地の突端になっていて荒れても無く下りて行けそうだったが、後日下から登る事にした。


「四之古墳」が神社の西端でそこから稜線を下り、テープの多いコルに着いた。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.567666/133.608907/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

① はいまっぷではここから南に小径の記入があるが、倒竹が多かったので下から登る事で後回しにして、今昔マップ・はいまっぷ・ゼンリン住宅地図全部に記入されている北に下る小径を進んだ。

ここら辺で小径が荒れて来て進めなくなったので、

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.568230/133.608849/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

すぐ横が耕作地になっていたので移ってみるとそこそこ利用しているらしい地形図の小径があったが、下りずにコルまで戻った。


コルから西の稜線は地形図で見るより案外急で、岩も多くやや荒れていた。


今昔マップのピークから南西に下りる小径は判然とせず、かつ急だった。


おやまにゃんこ氏が下った西への尾根は下りれそうだったが後回しにした。


ピークを北西に下ると電柱があり、そこから北の稜線はつい最近綺麗に刈り払っていた。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.568522/133.606898/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


今昔マップでは、電柱の少し先から南(貯水タンク)に下りる横道が記入されているが判然としなかった。


鉄塔に着き、はいまっぷ・ゼンリン住宅地図には南西に下りる小径が記入されていて、墓道だったが、ここに思いもよらなかった場所があった。

二家族の墓の集合体だが大きい建物もあり、度肝を抜かれた。(参道から南東に平行移動する)

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.569167/133.605424/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


麓に下りて①の登り口に行ってみると、

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.566446/133.609458/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

ここも倒竹が多く登って行くのは困難とみて、登り道の候補から外した。


あと2回は登らないといけないようだ。


茶凡遊山記 投稿日:2024年03月19日 09:54 No.2680
「今昔マップ」を教えていただいてから、昔の里道を辿る際にとても重宝しています、「高天ヶ原山」のように市街地の場合は特に威力を発揮してくれます。

 先週末に南国市の大湊へ行く機会があり、南国バイパスのパワーセンター付近で、南麓からの入山口を確認することができました。

 先行のかたの活動記録で見た「高天ヶ原山」山頂の南直下の「横道」、その位置がよく解りました。

 登り道から外された小団地、手前の角までは仕事で行ったことがありました。

 若い頃に訪ねた土地に、この歳になってなぜか縁があることが多く、ただの歳のせいかとも思いますが、再訪することになることが昔から決まっていたのではと思う時もあります。

「倒竹」や「最近綺麗に刈り払っていた」場所への古道と思われる道は、数十年前は地図にはその先はなくても、行ってみれば踏み跡があったことが多かったように思いますが、最近は実際に地形図どおり、行止りであることが多いように感じます。

「度肝を抜かれたに家族の墓の集合体」、小生の場合は「あと2回」どころか「もう1回」すら遠そうですが、次の機会には立ち寄ってみたいと思います。


タメやん 投稿日:2024年03月23日 13:40 No.2681
22(金:FRIDAY)

前の続き

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.568413/133.615960/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

作業道の登り切りに、2人の銅像(墓所)と東屋・小祠がある所。

最初に東に行ってみたが、50m位進んだ小さい堀切から先が荒れていたので引き返した。

西は荒れても無く、北に石積み・南に岩の稜線を登り、2か所1m位の炭焼きか何かの穴があった。


すぐに東ノ峰に着き、参道を西ノ峰に進んだ。


西ノ峰から麓の神社に下るのだが、今昔マップとはいまっぷ・ゼンリン住宅地図とでは、微妙に表記が違っている。

今ある参道は、ゼンリン住宅地図(いつもNAVI)・ヤフーマップ等が正しい様だ。

今昔マップの古道は、今ある参道よりやや西で真北に下るらしいので西ノ峰から参道の西を下ってみたが最後は藪になったので参道に合流した。

はいまっぷとゼンリン住宅地図の点線は最後の方で東に折れて参道に合流しているが、確認を忘れた…。


https://maps.gsi.go.jp/#18/33.569166/133.611003/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

ここの神社の囲い沿いに道があり進んでみると神社の裏が墓所で、そこから北に通路がありこれがどうも古道らしかった。

墓所から北に入って行く小径があったので行ってみたがすぐに墓場で行き止まりで、北に登る古道等もなかった。


https://maps.gsi.go.jp/#18/33.569780/133.609720/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

ここから北に登って行けたが、一旦戻ってここから登った。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.569290/133.609325/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

途中に東に墓が見えたので行ってみた。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.569243/133.609874/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

①の道に合流したが、そのすぐ先で藪で行き止まりだったので②の小径に戻り登った。

途中の奈路い所に北北東に小径のある分岐っぽい所があり、その先のウラジロは少し西に避け上って行くとスグに前回の尾根の突端に着いた。


そこから鉄塔を経て、ここに進んだ。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.570669/133.605553/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

南に入って行き、最初の分岐はすぐ西の墓所で行き止まりだったが、2つ目の分岐を西に下った。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.569775/133.605287/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

するとここに降り立った。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.569908/133.603496/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ここの貯水タンクまで歩いた。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.568399/133.606655/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

フェンスの先から登ると、すぐに電柱に着いた。

尾根を登っていたら、若石二人が下って来たので驚いた。

https://maps.gsi.go.jp/#17/33.567344/133.607678/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

この尾根を下った方がいたので下ってみたが、最後の方で藪で進めなくなり西にエスケープした。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.566660/133.607406/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ここから登ってみた。

https://www.google.co.jp/maps/@33.5662207,133.6081742,3a,15y,337.12h,77.73t/data=!3m7!1e1!3m5!1sbUOIxOlpo3nn1Q8dp8LfkA!2e0!6shttps://streetviewpixels-pa.googleapis.com/v1/thumbnail?panoid=bUOIxOlpo3nn1Q8dp8LfkA&cb_client=maps_sv.tactile.gps&w=203&h=100&yaw=93.21536&pitch=0&thumbfov=100!7i16384!8i8192?entry=ttu

上がって行くと上記の尾根を下った方が言っていた作業道があり、西はすぐに行き止まりっぽかったので東に上がって行ったが、重機の音がしたので墓道を行ってみた。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.566649/133.608449/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

するとここに下りてきたが、北にも小径があり行ってみると、西ですぐに行き止まりになった所の手前まで進めた。

https://maps.gsi.go.jp/#18/33.566016/133.608431/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


茶凡遊山記 投稿日:2024年03月25日 11:58 No.2682
GoogleMapと地形図とを見比べながら、概略把握できました。

 西ノ峰から西麓へと続いていそうな踏み跡、大いにそそられましたが、小生は倒竹を見ただけで怯んでしまいました。


 西ノ峰といえば、10年くらい前に「高知県教育センター」へ行ったことがあって、駐車場の奥まででしたが、思えばその日、それまでで最も「高天ヶ原山」に接近していました。

 その当時は、東にこんもりと見えていた森の中に、西ノ峰や東ノ峰、そして古墳群があるとは夢にも思わず、待ち時間にただぽおーと眺めていただけでした。


 あの森の中で、しかも参道から少し離れた場所で人に、それも二人にばったり会うと驚きますね。

 奥山で仕事をする人に聞くと、山で一番怖いのは人に会うことと言っていましたが、小生も二度経験があります。

 一度は工石山の「ひのき屏風岩」手前の門で、GPSを見ながら歩いていたら、突然目の前に見目麗しい山ガールが現れ、あやうく正面衝突しそうになりました。

 もう一度は、みづき坂団地近くから北山スカイラインへ登ろうとしていた時、こちらもまた妙齢の御婦人と突然出会い、♪今にも空が泣き出しそうな♪曇り空の薄暗い山道、あまりの色白さに幽霊かと思いました。


タメやん 投稿日:2024年03月25日 16:19 No.2683
南嶺(皿ヶ峰・鷲尾山等)とかではしょっちゅう人とすれ違い、最初は誰彼構わず挨拶をしていたが、今は男性と年配の女性(50歳~)には挨拶をし、それ以外は会釈のみ(向こうが先に挨拶をしてきた場合は別)にしている。
(後者に挨拶をしても、警戒をしているらしく無視される事が多かったタメ)


茶凡遊山記 投稿日:2024年03月25日 19:44 No.2684
これは小生の勝手な思い込みか、または、他県の山への山行回数が少ないだけかもしれませんが、高知以外の四国三県では、登山道ですれ違う人の中に挨拶を返してくれない寡黙な中高年の男性が多かったように思います。

石鎚山系や剣山系の知名度の高い山では、県内外から登山客がおおぜい集まるせいか、老若男女皆さんそれほどではありませんでしたが、どちらかというと、県外のマイナーな山で独り歩きをしている、地元県民と思われる中高年の男性に、寡黙なかたが多かったように思います。

一方で若者はといえば、県内外を問わず、男性も女性も、単独登山者もグループ登山者も、元気な声で挨拶を返してくれる特に青年たちが多く、若い女性もこちらが話しかけたら「ふたことみこと」ですが対応してくれて、青年たちのように元気な声ではなくても、素朴な笑顔を返してくれるかたが多かったように思います。

高速バスのリクライニングシートの、後ろの座席のかたへの心配りみたいなもので、若者たちの方がずっとマナーが良いのと似ているのかも、と思ったりしています。

鷲尾山などのように、数十人単位の隊列も珍しくないような山では、全員と挨拶を交わさずとも、先頭と最後尾のかたと挨拶をするのが今風だと聞きますが、こういう大連隊の場合はたいてい皆さん元気なかたが多いので、たいてい全員と挨拶、または、声は出さない時があっても会釈をしています。




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