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3月3日(ひな祭り)
仙岳 投稿日:2023年03月08日 10:57 No.2337
3月3日(ひな祭り)、近くの三角点巡りをしてきた。
それらは、しょっちゅう走る国道から見える山で、あることが気になっていた。

R56号:東大奈路、「交通霊社」からみた 写真。
写真 左:根元原山、 中央部:柳瀬、 右端:坂東山


仙岳 投稿日:2023年03月08日 11:03 No.2338
右端、【坂東山 ③ H=377.6m】から
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.237111/133.146889/&base=std&ls=std|cp&disp=11&lcd=cp&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0
この三角点が 何で「処置保留」になっているのか、不思議に思った。
17年前の[2006.H18.01.17]行った時の状況からして、納得できないので 行ってみることにした。

写真…左 今回、17年前と同じ位置からの撮影
以前「標柱」が立っていた所に、枯れ木(高さ1m)を立てて撮った

写真…中 17年前の三角点。ヒノキ植林地の なだらかな山頂部
GPS観測をするためか、伐採予定の「桧 16本」にテープが巻かれていた、とある
(今回登頂時には、すべて外されて 無くなっていた)
また、標石 右手前の[桧]根元に 目につく傷がある

写真…右 17年前の標石
「無傷で、きれいで、持ち帰りたい・・」と書かれている
今回も同じだったが、落枝葉で腐葉土が溜まって、深くなっているように感じた

★山頂三角点の「桧植林」伐採について、所有者の同意が得られなかったので、
GPS観測ができなかったので、「処置保留」とした、と私は 思った。


仙岳 投稿日:2023年03月08日 11:06 No.2339
【根元原山 ④ H=257.8m】
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.226722/133.140361/&base=std&ls=std|cp&disp=11&lcd=cp&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0
農道から斜面を這い上がろうとしたら、古い踏跡があったので、これを伝った。

今回(写真左)と、前回(2006.H18.02.28)

写真…左 今回の三角点(ちょっと ヤブ化 していた)
写真…右 前回(2006.H18.02.28)の 三角点


仙岳 投稿日:2023年03月08日 11:07 No.2340
写真…左 この標石、落枝葉の影響のためか 「石柱」が深く埋もれていた
写真…右 17年前の撮影(052922)


仙岳 投稿日:2023年03月08日 17:00 No.2342
【柳瀬 ④ H=315.3m】
https://maps.gsi.go.jp/#15/33.245139/133.141111/&base=std&ls=std|cp&disp=11&lcd=cp&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0

この三角点、尾根の高い所にありながら、
何で土地所有者[管理者:高知県四万十町土木事務所]になっているか? 不思議に思ったので 行ってみた。

その理由は、下の方の平場で「県道の改良工事」を施工した時、当時 流行っていた「ポット苗」を用いた「法面緑化工法」を採用したためだった。

それで 尾根筋を越えて用地買収をし、「イノシシ防御 柵」も施している。
現に、法面には「編柵」まで見られ、しっかりとコンクリート製の「用地杭」が打たれていた。

写真…左 間伐材放置の 三角点
写真…中 標石
写真…右 尾根筋に見られる 編柵のネット


茶凡遊山記 投稿日:2023年03月09日 09:22 No.2343
「交通霊社」からの眺め、懐かしく拝見しました。

 これまで、三角点の来歴について思いを巡らせたことがありませんでしたが、小生が普段なにげなく眺める三角点にもいろいろと来歴があり、「山に歴史あり」と感じました。

 高知市から実家へ帰省する際、自動車道を下りて国道56号線を西に進んでいて、「くぼかわ」を最も意識するのが「交通霊社」を右手に見る時です。

 50年前にはすでにあったように思いますが、周囲の大人たちからこの霊社の謂れを聞いた記憶はなく、一度は立ち寄ろうと思いながら、カブで走ることはほとんどないので、ついつい通り過ぎています。


茶凡遊山記 投稿日:2023年03月09日 09:23 No.2344
 実家の近所に金魚屋さんをしていたご夫婦がいて、御主人はオークの前後にタライを掛けて金魚の行商に出ていて、奥さんは「交通霊社」の画像の左手の護岸付近だった思います、よく鯉を釣っていました。

 小学校の夏休み、川へ泳ぎに行くといえば、「おおかあ」(大井野)、「せき」(根元原)、セース(神ノ西?)、五社(根々崎)、払川(宮内)でした。

 今では信じられませんが、根元の堰では老若男女がおおぜい水浴びをしていましたが、たしか右岸側だったと思います、水難事故があってから泳ぎに行くのが減ったように記憶しています。

 泳ぎに行くのは減りましたが、夏の夕方川虫が飛ぶ時合に堰の下流側に行くと、ハヤゴが毛針でいくらでも釣れ、雨上がりにすぐ下流の「根元橋」の下に潜ると、目の前はフナの大群で真っ黒でした。

 堰で取水された農業用水は、終点まで行ったことはありませんでしたが、おそらく根々崎あたりまで用水路が続いていると思います、シジミがたくさん採れました。

 半世紀前の記憶が蘇り、とても懐かしかったです。


タメやん 投稿日:2023年03月09日 12:43 No.2345
「交通霊社」

グーグルマップで見てみたら、ヒグラシ食堂のラーメンとかを載せている人がいるw


【坂東山 ③ H=377.6m】

確かこの山じゃなかっつろうか、2、30年ばー前にちょこちょこ嫁の里の窪川に帰りよった時に、山の8合目位に太い看板が立っていたが、まだあるろうか。


【根元原山 ④ H=257.8m】

低山ながら等高線を見ると南西部がかなり入り組んだ地形なので、そちらから登ると面白そうだ。


仙岳 投稿日:2023年03月10日 08:08 No.2347
そう そう、「仁井田:浜の川」から 「平串(四万十町中央IC)」へ越える『斑ヶ坂(ぶちがさか)』から 見えよった。

その看板、木が高くなって 見えなくなったのか、地主が除けたのか分からないが、いつの間にかなくなった。

何か 意味のある文字を並べていたが、なんて書いていたか、まったく覚えていない。


仙岳 投稿日:2023年03月10日 09:35 No.2348
確か、当時の写真があったはずだ・・・ と写真帳を見直したら 写っていた。

写真…左:『四万十清流の森』とある。

写真…右:中腹から見下ろした『斑ヶ坂』(中央S字カーブ)
右下に「ひらぐし食堂」が写っている。
『火打ヶ森』は、中程にこんもりと並ぶ 黒っぽい 3っつの山並みの 左端だ。


タメやん 投稿日:2023年03月10日 10:30 No.2349 【Home】
『四万十清流の森』

写真ありがとうございます。

2012年8月の時点で見えなくなっているなあ。


茶凡遊山記 投稿日:2023年03月10日 12:19 No.2350
『四万十清流の森』の看板、見覚えがあります。

 学生時代に実家の手伝いで、「トーヨーサッシ」へ軽トラでよく行きましたが、このS字カーブの坂を『斑ヶ坂(ぶちがさか)』ということを初めて知りました。




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