ラ ウ ン ド ハ ウ ス 2 軒 目


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

払うとか払わないとか
郵政部会発起人 投稿日:2024年03月04日 01:32 No.88
少しチョロまかすとすぐ調査が入り追徴、ってなるのに、いっぱいキャッシュバックされると本人開き直って払いませんとか言えてしまうみたいです、この国は。

先月来、季節イベントの補助業務で不特定多数と接する機会があり、3月も月内半ばまで続くものの、我々の関与する部署は終局気味でして、ホッとしております。しかし世間一般がそんな空気に流されたのは確かで、正直そうしたお考えの方々との接遇にあたっては些か骨が折れました。
特に、皆様が小湊鐵道で楽しいひと時を過ごされたであろうころからが、状況が悪くなり、幾らか荒みかけましたが、そんな時は、あることでポチッとしておいたのを寄す処に、なんとか2月を駆け抜けたところです。

ということで3月に入り1泊旅に。目的地は北広島。往きは大宮から陸路、帰りは羽田戻り。平日1万円乗り放題なんてのがあるのに気付き、青森までそれを活用。青森はインバウンド受けが良いそうで、乗り継いだ鈍行がなかなかの盛況っぷりでした。
その青森と、新函館北斗の乗継ぎの合間に郵便局に寄りましたが、青森で街を歩いたのが北海道夏合宿オプショナル明けの釧路駅で骨折して、その帰路以来だったことに気付きました。まだあのころ駅脇に集配局の分室が存在し、松葉杖突き突き通帳持って行ったんだっけなぁと。

新函館北斗からは北斗号。たしか最近スピードダウンしたんでしたか、1988年3月改正号と比較したらほぼ同時刻発・着で。でもでも、風雪に耐えながら噴火湾沿いや小幌の辺りを確実に走り抜けてくれる乗り物には感謝感謝。むしろその景色をボォーっと眺めてるだけでだいぶ心が和みました。これだけで出かけて良かったです。あと事前にお知らせせずすいません、現地ぐらしの皆様。

翌日は11時開始のイースタン春季教育リーグに合わせ現地入り。流れとしては、8時半に千歳駅前の宿を出て鈍行乗って北広島でシャトルバスを10分待って2台目に乗って着いたら開門10分前。並んだのは100人くらいですが、荷物検査とチケット査証に手間取りますね。
もうバス降りる前から「なんじゃらホイ!!」って感じで、並んでる間もその偉容にただ驚き、中に入ってその空間に気圧され、ガランとした通路を見慣れたバンカラ姿で我が物に歩くナカハラさんに、プチ人生の成功者感を振りまかれという約10分を経て三塁側2階席最上列に着席。とは言え空いてるんでどこ座っても良さそうで、いろいろ移動してみましたが、意外と死角が多い。席選び、結構重要かもですね。事実、自分が買った席からだとスコアボードがほぼ見えませんでしたから。

試合は、稲葉監督対橋上監督というどっかのタヌキ親父が化けて出そうな対戦でしたが、重要だったのはミスター独立リーグ、新潟球団生え抜き40歳の稲葉大樹をこの北広島で、しかも安打も放って出塁、更に得点も記録してというこの上ない光景を目に焼き付けることが出来たこと。これがなによりでした。
更に現地報道では、主催側が対戦相手の新潟球団に持ちかけアゴアシ負担で呼び寄せて実現したらしく、そう言えば新潟球団、開催中の春季キャンプ地が志太スタジアム(中伊豆)なんですよね。つまり中伊豆と北広島の往復をハム側が負担したということかと。志太スタジアムには縁の深いタヌキ親父も本当に喜んでそう。

あとこの試合、新潟の3番が高山という選手で、それ故か黄色めの人がちらほら。13時を過ぎるとキレイにみんな出ていかれましたが、どうやらもう少し北の方にある、イトーなんとかドーのそばにの元野球場に向かわれたようですね。
あちらは15時開始だったみたいで、直前まで知らなかったんですが、そのなんとかドーの話で、ちょうど列並びしていた時、前に並んだ同年代おばさんからどこから来たかと聞かれ数分話したんですが、このおばさん曰く、道内の他店舗は首都圏のスーパー(たぶんロピアのこと)が引き取るけど、あの地下鉄の終点だけはまだ引き取り先が決まらない、って話を洩らしてくれました。どうぞご参考まで。

ちょうどよい時間で終わって、と言っても3時間半の長試合でしたが、いいタイミングで空港行直通シャトルバスがあり(北広島経由より安い)、約50分で到着。羽田でも、あの事故からちょうど2か月目だったわけですが無事着陸。

また行ってはみたいですね。案外またファームで行くのが良いのかもなぁと。今回は午前中からの試合なのに朝飯喰いすぎたんで、席のすぐそばに店があったよくわからない京都ラーメンとやらを食べただけなんですが、席に座らず呑み食いするだけでも良さそうだし、ならばやっぱり空いてる試合だよなぁなどと早くも考えを巡らせております。



・北陸の話

高校時代の友人の父君は、能登の宇出津の出身で、アジアの小国の大使まで勤めた人なんですが、父君の姉、妹共に金沢近郊で暮らし、宇出津にはもう係累もなにも残ってないのだと言っていったのを思い出しました。只でさえ住人が少ないのに、復旧だ復興だとなればなお一層大変ではあります。

で、おカネを誘致するために原発立地を受入れたりした自治体もあるんですが、一方で消されたインフラも少からず、私鉄は壊滅、国鉄時代からの路線もほぼ消滅ですからね。人を誘致したくてもインフラが無いんじゃ、呼び水にもならず。

高1の冬に夜行で津幡に降り立って、1日かけて能登半島をグルっと。輪島から蛸島までは途中バスをなん回も乗り継いで行ったのを覚えています。でもあのプランも、七尾線と能登線があればこそのそれでしたから、ふらっとでも覗きに行こうと考えるキッカケとして大きかったはずなんですが、今のアクセス網では果たしてそんな気になる人すら居るのやら。

ただ道路やら橋を増やしても、なんの役にも立たないはずなんですが、どうもその友人の言葉の端々に感じられるのが、能登はもう別の国。加賀じゃなくて能登なんだと。上手く説明できないんですが、同じ県内でも金沢周辺では他人事になっている部分もあるのかもしれないし、一方で地元にもそんな感覚が充ち満ちてそうな気がするんですが、どうなんでしょう。

そのうち見に行く必要があるんだろうなぁという気はしています。ただ、自分ができるのは、なにか野球でもあればその時に、ということです。そこで感じたことからまずは共有してみたいと思ってます。


長々と失礼しました。一応生存報告です。ではまた。




お名前
メール
画像添付


削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色