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国富論』再訪(51)
二村 重博 投稿日:2023年03月07日 16:59 No.196
 『国富論』(48)第4編 第7章 第3節 ④(2010年2月6日)

 前回は、イギリス本国とアメリカの植民地との関係を見ました。アメリカの独立宣言が発布された1776年は、奇しくも『国富論』が出版された年と同じです。以下の文章はすこし長いですが、現在でも示唆に富む内容と思いますので引用しておきます。

 「アメリカの発見と、喜望峰回りのインド航路の発見は、人類の歴史のなかでもとくに偉大で重要な出来事であった。その影響は現在の段階でもきわめて大きいが、この二つの発見からまだ三世紀もたっていないので、これほどの短期間では影響のすべてがあらわれることはありえない。この二つの偉大な出来事から、人類がどのような利点を得られるのか、あるいはどのような不幸な結果になるのかは、人間の知恵では予想できない。世界のなかでとくに遠くにあるいくつかの地域を多少なりとも結び付けることで、そして、それぞれの不足を補いあい、それぞれの生活を豊かにし、それぞれの産業を刺激しあうことで、全体的には人類に好影響を与えていると思える。だが、アジアとアメリカの先住民にとって、この二つの出来事によって得られるはずだった商業的な利益が、それらによって起こった恐ろしい不運のためにすべて失われている。しかしこの不運は、これらの出来事自体の性質によるものではなく、偶然によるものだとみられる。この二つの発見の時期にたまたま、ヨーロッパ人は圧倒的に強い力をもっていたため、遠方の国で、何の処罰も受けることなく、正義にもとる行動をあらゆる種類にわたってとることができた。おそらくは今後、これらの国の住民はもっと強くなり、あるいはヨーロッパ人の力が弱まって、世界各地の住民が対等の勇気と力をもつようになるとも思える。そうなってはじめて、互いに恐怖心をもつようになり、一部の国の不正を抑えることができるようになり、各国が互いの権利を認めあうようになるだろう。だが、各国間の力の均衡をもたらす要因としては、各国が知識とあらゆる種類の改良を伝えあうこと以上のものはないと思える。そしてすべての国が互いに広範囲な貿易を行っていけば、自然に、いや必然的に、これらの点を伝えあうことになる。」(213~214頁)

 スミスは、「第2編第5章で論じたように、どの国の商業資本 (mercantile stock) も、その国にとってもっとも有利な用途を自然に求める」(216頁)が、輸出に伴う手間とリスクと経費を避けて、中継貿易を国内消費用の貿易に転換させようとする、つまり、商業資本は、どの国でも自然に (naturally)、(1)近い市場を求める、(2)資本の回収が早い市場を求める、(3)資本の所有者の国か居住している国の生産的労働が最も多くなる用途を求める、(4)自国にとって通常最も有利な用途を求める、と言っています。しかし、遠い市場向けの用途の利益率が上昇した場合、近い市場向けの用途から資本が引き揚げられ、遠い市場向けの資本の利益率が適正な水準に戻るまで遠い市場に資本が投ぜられます。遠い市場向けの資本の利益率が高いということは、それらの商品価格が自然価格より高くなっているので、いずれ利益率が低下し商品価格が自然価格まで下がることになります。「したがって法律が介入しなければ、各人は自己利益と好み (private interests and passions) によって、社会全体の利益にもっとも適合したものにできるかぎり近い比率で、社会の総資本をその社会にあるすべての用途に自然に分配しようとするのである」(218頁)ということになります。
 * 第2編第5章は、『国富論』(再訪)(30)「第5章 資本のさまざまな用途」(2022年10月14日)参照。

 ところが、「重商主義によるさまざまな規制はかならず、もっとも有利で自然な資本配分を多かれ少なかれ混乱させる(derange more or less this natural and most advantageous distribution of stock)。そして、アメリカ貿易とアジア貿易に関する規制はおそらく、他のどの規制よりも大きな混乱をもたらす」(218頁)と言っています。この二つの大陸との貿易には大きな資本が使われることと、独占が重商主義の政策を支える柱になっているからです。
 一方、アメリカ貿易の独占は、他国を植民地との直接貿易から排除して自国の植民地の市場を独占しようとすることであり、アジア貿易の独占は、ポルトガルの力が弱くなった後インド洋を航行する独占権を主張できる国がなくなったので、東インド会社 (the East India company) のような独占企業によって行われるようになり、独占の種類が違うことになります。

 「アフリカとアジアの沿岸には、ヨーロッパ各国がかなりの規模の居留地を多数もっているが、アメリカ大陸や西インド諸島とは違って、繁栄する大植民地はまだ作られていない」(223頁)のは、アフリカとアジアの先住民がアメリカ大陸のような狩猟民族ではなく牧畜民族であり、住民の数も多く自分たちを守る力もあり、ヨーロッパ人の入植地を拡大することも困難であり、そして、「独占企業はその性格上、新植民地の成長を妨げる要因になるので、アジアに作られた植民地がほとんど発展していない主因はおそらく、独占企業による支配なのだろう」(223頁)と言っています。ただ、喜望峰はアジアとヨーロッパの中間にあり、バタビアはアジアの主要国の中間にあるので、この二つの植民地は有利な地理的条件のために繁栄しているとコメントしています。

 オランダの東インド会社は、「独占を維持する最善の方法は、自社が市場にもちこむもの以外は根絶するようにすることだと考えたのである」(224頁)というような独占企業の政策が採られ、イギリスの東インド会社もベンガルを支配するようになってそれほど時間がたっていないが、統治方法はオランダの東インド会社と同じである、と言っています。
 東インド会社は征服した地域の主権者になっているわけですから、独占による政策は利益になりません。なぜなら、「主権者 (sovereign) は国民の収入から自分の収入を引き出している。このため、国民の収入が多いほど、土地と労働による年間生産物が多いほど、主権者の収入も多くなりうる。主権者にとって、年間生産物をできるかぎり増やすことが利益になる」(225ページ)からです。そのため、自国の生産物の大きな市場を確保し、取引の自由を認め、競争を激しくすること等を行えば主権者の利益になります。
 「だが、商人の会社は他国を支配するようになっても、自分を主権者だとは考えられないようだ。商人として商品を売買することが自分たちの主要な事業だとする考えは変わらない」(226頁)ので、「商人としての習慣から、おそらくそうは意識していないだろうがほとんど必然的に、通常の業務のなかで主権者の立場で得られる恒久的で大きな利益より、独占商人の立場で得られる一時的で小さな利益を優先し」(226頁)、そのため、主権者としての利益とは反対の利益を追求することになります。その上問題は、インドでの行政組織は商人の協議会 (council of merchants) になりましたが、「インドの行政を独占の利益に従属するものにし、したがって、少なくとも一部の商品で、インドで生産の自然な伸びを抑えて、余った生産物の量が会社の需要をようやく賄えるだけになるようにする性格をもっているのである」(227頁)ということになります。
 さらに、本社から遠く離れているので、「同社の従業員は当然ながら、会社の貿易事業で確立しているのと同様の独占を、個人的な事業でも確立しようとする」(228頁)という問題が出てきます。これは、「従業員による独占は、国内消費用であれ輸出用であれ、事業の対象になったすべての生産物で、自然な成長を妨げることになり、したがってインド全体の耕作の衰退と人口の減少をもたらす要因になる」(228頁)ということになります。
 スミスはこの節の最後で、「以上に示すように、東インド会社のような独占企業はあらゆる面で有害であり、それが設立された国に多かれ少なかれ不利益をもたらし、その支配を受けるようになった国の住民には、破壊的な打撃を与えるのである」(230頁)と結んでいます。




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