二紫会~良心全身充満丈夫 2022.8-


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5期生 ひろせ 投稿日: 2023年03月19日 23:14:02 No.203 【返信】

仕事の帰りに本満寺へ寄ってみました。



桜咲く。。。 5期生 ひろせ 投稿日: 2023年03月18日 22:01:58 No.202 【返信】

 昨日、平安女学院の有栖館(有栖川宮邸跡)を通ったら、枝垂れ桜の開花が始まっていました。



国債のホルダーシェア 5期生 ひろせ 投稿日: 2023年03月18日 21:58:23 No.201 【返信】

 日銀の国債保有者のシェアが公表されましたが、昨年からの日銀の大量買い付けで、日銀のシェアは50.2%!。半分超えてるやん。
 海外の国債と違って、国外からの買い付けが少ないのは安心ですが、日銀が金融政策の方針を変更するとエラいことになりそう。


春の訪れ 5期生 ひろせ 投稿日: 2023年03月16日 12:31:13 No.200 【返信】

 昨日まで3日間福井の実家に帰省していました。
 90歳の母の様子を伺うことが主たる目的ですが、あちこち行ってみました。
 母のパートナーとして昨年の11月から居付いた猫も元気でした。地域猫から転身したとは信じられないくらいいい猫です。
 母も猫が来てから元気になりましたし、ますます長生きしてもらいたいもんだと思います。

 家の近所には高速道路がまもなく開通予定で帰省には便利になりますが、一方で地方ローカル鉄道は青息吐息、久しぶりに乗車したものの、厳しい現実を実感しました。

 シリコンバレーの金融機関の破綻を受けて日本の株価も下がった、だの、円高になっただの、関係ない田舎の3日間でした。




中身と外見 4期生 うすい 投稿日: 2023年03月15日 19:29:12 No.198 【返信】

薩摩藩邸跡繫がりです。
京都の近代建築を特集したNHKの番組で、同志社大学にある重要文化財の彰栄館、チャペル(礼拝堂)が紹介されていました。

影栄館の外観は古い煉瓦造りの洋風ですが、木の梁に支えられた屋根裏の内部映像が流がされて構造形式は、外見とは大きく異なる日本家屋の仕組みが活かされていると紹介されていました。
先人の知恵と工夫は素晴らしいですね。
5期生 ひろせ 投稿日: 2023年03月16日 12:19:47 No.199
 最近の彰栄館。

 私が学生の頃は同志社中学校の校舎で子どもの声が溢れていました。
 また、NHKの古い収蔵フィルムの番組で、毎朝礼拝前の鐘を鳴らす生徒の姿が紹介されていました。




『国富論』再訪(52) 二村 重博 投稿日: 2023年03月14日 17:05:34 No.197 【返信】

 『国富論』(49)第4編 第8章 (2010年2月14日)

 第8章 重商主義の帰結 (Conclusion of the Mercantile System)

 重商主義の手段と目的は、輸出を奨励し輸入を抑制することによって貿易収支を有利にして国を豊かにする、ということにあります。このため製造業が発展してくると、自国の製造業を有利にするために、製造業の原料 (the materials of manufacture) や事業用の機器や道具 (the instruments of trade) については輸出を抑制し、製造業の原料の輸入は奨励されましたが、機器や道具の輸入は禁止されてきました。「いくつかの国からの羊毛、すべての国からの綿花、未加工の亜麻、大部分の染料、アイルランドと植民地からの大部分の未加工皮革、イギリス領グリーンランドからの海豹皮革、植民地からの銑鉄と棒鉄など、多数の製造業原料の輸入が通関手続きを適切に行うことを条件に、関税をすべて免除され、奨励されている」(232頁)と言っています。そして、亜麻糸と亜麻布の例を挙げ、亜麻糸に輸入関税を免除し亜麻布に輸出奨励金を支給したことは、貧しい労働者のためではなく金持ちと権力者のためだと批判しています。
 また、「製造業の原材料の輸入に奨励金を支給する政策は、主にアメリカ植民地からの輸入だけに対象が限定されている」(233頁)と言って、いくつかの事例を挙げています。

 他方、「製造業の原材料の輸出は、ときには全面的に禁止され、ときには高率の輸出関税で抑制されている」(236頁)という状態でした。スミスは毛織物業界 (woolen manufacturers) の例を挙げ、「外国からの毛織物の輸入を完全に禁止する法律によって国内消費者に対する独占を確保しただけではなく、羊と羊毛の輸出禁止によって、牧羊農家と羊毛生産者にとっての市場も独占している」(237頁)と言っています。しかも、これに反したものは重い罰を受け、また輸出を防ぐために国内取引にも多くの制限が科せられていました。イギリスの毛織物業界はこの極端な制限と規制を正当化するために、「イングランド産羊毛は独特のものであり、どの国の羊毛よりも品質が高い。他国産の羊毛では、イングランド産羊毛をある程度加えなければ、まともな毛織物にならない」(240頁)と言っていますが、スミスは、高級織物の生産はスペイン産羊毛でなされており、イングランド産羊毛が高級毛織物の生産に不可欠であるという主張は間違ってる、とコメントしています。
 この独占によって、イングランド産羊毛の価格は自然に任せた場合より価格が低くなっています。これは自然に任せた場合よりも羊毛の生産が少なくなっている可能性がありますが、実際には、牧羊農家は食肉用に羊を販売しようとするので羊毛の年間生産量は減少しない可能性があります。一方、このような状態では品質が低下しているかもしれないという意見もあるかもしれないが、羊毛の品質は、羊の健康、発育ぶり、大きさに左右されるので、食肉用の飼育として注意された羊は品質面でも悪くなっていないと言っています。だからといって、羊毛輸出の完全な禁止が正当化されるわけではなく、国内市場と外国市場の価格差が大きいので密貿易によるかなりの輸出もあるので、財政収入も考えれば輸出禁止より関税をかけた方がよいと提言しています。
 その他、例えば、生革となめし革の輸出禁止の例のように、「完全な製品ではなく半製品の輸出が禁止されるか、関税によって抑制されているのは、皮革製品にかぎったことではない。直接に使用でき消費できる商品に仕上げるために必要な工程が残っているのであれば、それは自分たちの仕事にするべきだと製造業者は考えている」(245頁)ので、毛糸や梳毛糸も輸出が禁止され、白地の毛織物には輸出関税がかけられていました。また、金属の場合、金属を加工した製品は無関税でしたが、多くの金属の未加工品の輸出は禁止されていました。「ジョージ一世治世の1721年の法律で、イギリスのほぼすべての生産物と製品について、それまでの法律で規定されていた輸出関税が原則として撤廃され、無関税で輸出できることになった」(246頁)が、その例外や、七年戦争の後イギリスの領有地になったセネガルのゴムやイギリス領になったビーバーの皮革の例を挙げています。

 一方、「本来の意味で事業に必要な手段である機器や道具の場合には、輸出は通常、高関税で抑制するのではなく、禁止する方法がとられて」(248頁)いました。例として、手袋やストッキングを編むために使われる枠の輸出の禁止、綿織物、亜麻布、毛織物、絹織物の製造に使われる用具の輸出の禁止を挙げています。
 さらに、事業に必要な技術を持つ熟練労働者が外国に行ったり外国で教えたりすることを禁止していました。

 スミスは、「消費こそがすべての生産の唯一の目的であり、生産者の利益は消費者の利益をはかるために必要な範囲内でのみ配慮されるべきである。・・・だが重商主義では、消費者の利益はほぼつねに生産者の利益のために犠牲にされている。そして、消費ではなく生産こそがすべての産業と商業の最終的な目的だと考えているかのようである」(250頁)といって重商主義政策を批判しています。
 さらに、「重商主義の政策全体を誰が考えだしたのかを突き止めるのは、そう難しくない。消費者は、自分たちの利益をまったく無視する政策を考えだすはずがないと確信できる。生産者が、自分たちの利益を注意深く配慮する政策を考えだしたと確信していい。そして生産者のなかでも、商人と製造業者が立案の中心になっている。この章で論じてきた重商主義の法規では、国内製造業の利益がもっとも配慮されている。そして消費者の利益よりもさらに、大製造業以外の生産者の利益が犠牲にされている」(251~252頁)と結んでいます。つまり、重商主義政策と商人や製造業者の利害が一致することから起こる国内や外国貿易における独占の弊害を批判していることになります。


国富論』再訪(51) 二村 重博 投稿日: 2023年03月07日 16:59:22 No.196 【返信】

 『国富論』(48)第4編 第7章 第3節 ④(2010年2月6日)

 前回は、イギリス本国とアメリカの植民地との関係を見ました。アメリカの独立宣言が発布された1776年は、奇しくも『国富論』が出版された年と同じです。以下の文章はすこし長いですが、現在でも示唆に富む内容と思いますので引用しておきます。

 「アメリカの発見と、喜望峰回りのインド航路の発見は、人類の歴史のなかでもとくに偉大で重要な出来事であった。その影響は現在の段階でもきわめて大きいが、この二つの発見からまだ三世紀もたっていないので、これほどの短期間では影響のすべてがあらわれることはありえない。この二つの偉大な出来事から、人類がどのような利点を得られるのか、あるいはどのような不幸な結果になるのかは、人間の知恵では予想できない。世界のなかでとくに遠くにあるいくつかの地域を多少なりとも結び付けることで、そして、それぞれの不足を補いあい、それぞれの生活を豊かにし、それぞれの産業を刺激しあうことで、全体的には人類に好影響を与えていると思える。だが、アジアとアメリカの先住民にとって、この二つの出来事によって得られるはずだった商業的な利益が、それらによって起こった恐ろしい不運のためにすべて失われている。しかしこの不運は、これらの出来事自体の性質によるものではなく、偶然によるものだとみられる。この二つの発見の時期にたまたま、ヨーロッパ人は圧倒的に強い力をもっていたため、遠方の国で、何の処罰も受けることなく、正義にもとる行動をあらゆる種類にわたってとることができた。おそらくは今後、これらの国の住民はもっと強くなり、あるいはヨーロッパ人の力が弱まって、世界各地の住民が対等の勇気と力をもつようになるとも思える。そうなってはじめて、互いに恐怖心をもつようになり、一部の国の不正を抑えることができるようになり、各国が互いの権利を認めあうようになるだろう。だが、各国間の力の均衡をもたらす要因としては、各国が知識とあらゆる種類の改良を伝えあうこと以上のものはないと思える。そしてすべての国が互いに広範囲な貿易を行っていけば、自然に、いや必然的に、これらの点を伝えあうことになる。」(213~214頁)

 スミスは、「第2編第5章で論じたように、どの国の商業資本 (mercantile stock) も、その国にとってもっとも有利な用途を自然に求める」(216頁)が、輸出に伴う手間とリスクと経費を避けて、中継貿易を国内消費用の貿易に転換させようとする、つまり、商業資本は、どの国でも自然に (naturally)、(1)近い市場を求める、(2)資本の回収が早い市場を求める、(3)資本の所有者の国か居住している国の生産的労働が最も多くなる用途を求める、(4)自国にとって通常最も有利な用途を求める、と言っています。しかし、遠い市場向けの用途の利益率が上昇した場合、近い市場向けの用途から資本が引き揚げられ、遠い市場向けの資本の利益率が適正な水準に戻るまで遠い市場に資本が投ぜられます。遠い市場向けの資本の利益率が高いということは、それらの商品価格が自然価格より高くなっているので、いずれ利益率が低下し商品価格が自然価格まで下がることになります。「したがって法律が介入しなければ、各人は自己利益と好み (private interests and passions) によって、社会全体の利益にもっとも適合したものにできるかぎり近い比率で、社会の総資本をその社会にあるすべての用途に自然に分配しようとするのである」(218頁)ということになります。
 * 第2編第5章は、『国富論』(再訪)(30)「第5章 資本のさまざまな用途」(2022年10月14日)参照。

 ところが、「重商主義によるさまざまな規制はかならず、もっとも有利で自然な資本配分を多かれ少なかれ混乱させる(derange more or less this natural and most advantageous distribution of stock)。そして、アメリカ貿易とアジア貿易に関する規制はおそらく、他のどの規制よりも大きな混乱をもたらす」(218頁)と言っています。この二つの大陸との貿易には大きな資本が使われることと、独占が重商主義の政策を支える柱になっているからです。
 一方、アメリカ貿易の独占は、他国を植民地との直接貿易から排除して自国の植民地の市場を独占しようとすることであり、アジア貿易の独占は、ポルトガルの力が弱くなった後インド洋を航行する独占権を主張できる国がなくなったので、東インド会社 (the East India company) のような独占企業によって行われるようになり、独占の種類が違うことになります。

 「アフリカとアジアの沿岸には、ヨーロッパ各国がかなりの規模の居留地を多数もっているが、アメリカ大陸や西インド諸島とは違って、繁栄する大植民地はまだ作られていない」(223頁)のは、アフリカとアジアの先住民がアメリカ大陸のような狩猟民族ではなく牧畜民族であり、住民の数も多く自分たちを守る力もあり、ヨーロッパ人の入植地を拡大することも困難であり、そして、「独占企業はその性格上、新植民地の成長を妨げる要因になるので、アジアに作られた植民地がほとんど発展していない主因はおそらく、独占企業による支配なのだろう」(223頁)と言っています。ただ、喜望峰はアジアとヨーロッパの中間にあり、バタビアはアジアの主要国の中間にあるので、この二つの植民地は有利な地理的条件のために繁栄しているとコメントしています。

 オランダの東インド会社は、「独占を維持する最善の方法は、自社が市場にもちこむもの以外は根絶するようにすることだと考えたのである」(224頁)というような独占企業の政策が採られ、イギリスの東インド会社もベンガルを支配するようになってそれほど時間がたっていないが、統治方法はオランダの東インド会社と同じである、と言っています。
 東インド会社は征服した地域の主権者になっているわけですから、独占による政策は利益になりません。なぜなら、「主権者 (sovereign) は国民の収入から自分の収入を引き出している。このため、国民の収入が多いほど、土地と労働による年間生産物が多いほど、主権者の収入も多くなりうる。主権者にとって、年間生産物をできるかぎり増やすことが利益になる」(225ページ)からです。そのため、自国の生産物の大きな市場を確保し、取引の自由を認め、競争を激しくすること等を行えば主権者の利益になります。
 「だが、商人の会社は他国を支配するようになっても、自分を主権者だとは考えられないようだ。商人として商品を売買することが自分たちの主要な事業だとする考えは変わらない」(226頁)ので、「商人としての習慣から、おそらくそうは意識していないだろうがほとんど必然的に、通常の業務のなかで主権者の立場で得られる恒久的で大きな利益より、独占商人の立場で得られる一時的で小さな利益を優先し」(226頁)、そのため、主権者としての利益とは反対の利益を追求することになります。その上問題は、インドでの行政組織は商人の協議会 (council of merchants) になりましたが、「インドの行政を独占の利益に従属するものにし、したがって、少なくとも一部の商品で、インドで生産の自然な伸びを抑えて、余った生産物の量が会社の需要をようやく賄えるだけになるようにする性格をもっているのである」(227頁)ということになります。
 さらに、本社から遠く離れているので、「同社の従業員は当然ながら、会社の貿易事業で確立しているのと同様の独占を、個人的な事業でも確立しようとする」(228頁)という問題が出てきます。これは、「従業員による独占は、国内消費用であれ輸出用であれ、事業の対象になったすべての生産物で、自然な成長を妨げることになり、したがってインド全体の耕作の衰退と人口の減少をもたらす要因になる」(228頁)ということになります。
 スミスはこの節の最後で、「以上に示すように、東インド会社のような独占企業はあらゆる面で有害であり、それが設立された国に多かれ少なかれ不利益をもたらし、その支配を受けるようになった国の住民には、破壊的な打撃を与えるのである」(230頁)と結んでいます。


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