日本語の起源 くまら掲示板


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太陽の子ミトラ…戦いの神ミスラ…
荊の紀氏 投稿日:2024年04月04日 20:58 No.988
大烏、花嫁、兵士、獅子、ペルシア人、太陽の使者、父…密儀宗教https://ja.wikipedia.org/wiki/ミトラ教
…「プリュギアの帽子を被り、岩の塊から生じた。今までのところではまだ彼の剥き出しの胴は見えない。
めいめいの手で彼は灯された松明を高く掲げる。風変わりな細部として、ペトラ・ゲネトリクス(母なる岩)から彼の周りに赤い炎が吹き出る」[30]。
デイヴィッド・ウランジーはこれが鍾乳洞で生まれたとするペルセウス神話から着想された信仰であると推測する[31]。
(母なる岩)から彼の周りに赤い炎が…

啓母石  という石から生まれたという伝説がある。
夏の祖神. 禹の子にあたる中国神話の神。. http://flamboyant.jp/prcmini/prcdeity/prcdeity045/prcdeity045.html
…石が北側に裂けて、啓が生まれたという。この石が啓母石である。
啓…

3月6日…ミロク…明けの明星…ミスラは司法神であり、光明神であり、闇を打ち払う戦士・軍神であり、牧畜の守護神としても崇められた。https://ja.wikipedia.org/wiki/ミスラ
シリウス星は「明けの明星」「啓明星」「太陽を呼ぶ星」さらには「大きい方の太陽」と呼ばれ、本来の太陽は「小さい方の太陽」と呼ばれた。https://ja.wikipedia.org/wiki/ソプデト

オリオン座について調べると、古代エジプトのサフとセプデトという神がキーワードとして出てきました。
太陽信仰の謎。ご来光とは本来、シリウスを拝むことだったのか。https://note.com/millennium_k/n/nd4e479898743
シリウスを“火星よりも 赤い”…赤星・啓明・明星(あかぼし …  https://naming-dic.com/wa/word/96055808
「啓明星」…

ひらく(啓く)。明ける。始める。https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/969d215618c5e2485863e18db4ccb2d7
「啓明ケイメイ」(①明けの明星。②知識がひろく明晰)
「啓蟄ケイチツ」(虫が地中からはい出る季節。二十四節気の第3で太陽暦の3月6日頃から約15日間)

赤ちゃんを太陽の赤に見立てて「赤子」と呼ぶようになったなどの説もあります。https://ikujilog.net/origin-and-meaning-of-baby

【呆】産衣で包んだ赤子…呆ホウ・ボウ・タイ・おろか・あきれる https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/60e48482d2d6c97c5f90fb73c14d27e4
方望(ほうぼう)…
隗囂(かいごう)という人物が、方望(ほうぼう)を招いて「軍師」にしたという『後漢書』の記述があるhttps://www.rekishijin.com/19757
この二人は蜜月の関係だったが、やがて意見を用いられなくなった方望が隗囂のもとを去っている。
「謀(はかりごと)…

禖神…禖。(子を授ける神)…
某 ボウ・バイ・なにがし・それがしhttps://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/629cc975c2d8aada5341e4e0bf36492b
…うめ(楳)。梅の異体字。
…「示(神)+某(うめ)」の会意形声。梅を神として祭る意。梅は妊娠初期に好まれる実であることから、禖バイは子を授ける神の意。
…子を授ける神。「禖祠バイシ」(子求めの祠ほこら) (2)天子が子を求めるために行なうまつり。
「郊禖コウバイ」(古代帝王が神に子求めをする祭場)「燕禖エンバイ」(古代帝王が春に燕が来ると、その日に禖神に嗣(あとつぎ)を求める祭りを行うこと。
 燕は巣をつくり卵を産み子を育てるから)

包 ホウ <胎児を身ごもる>https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/aaba4403f92fdf86b163288f2a16c6f8
胎児を身ごもってつつむ
胞 ホウ・えな …
…「同胞ドウホウ・はらから」(兄弟姉妹。同じ国民・民族)

胞衣 2 https://tamiyanagawa.com/胞衣-2-547.html
生死の境にある胞衣こそが「翁」であり、宿神であり、大荒神であり、だからこそ秦河勝だと、記されているとの事だったので、
胞衣の何かに触れることが出来るかと、秦楽寺を見たくなったのだった。

· それはこの神が「胞衣をかぶって生まれてくる子供」であることによる。
宿神とミシャグチの関係性https://mizuirofashionista.com/penis
神使は「胞衣」を表す笠をかぶってミシャグチを我が身に付着させる。
神の霊威が人に憑くことを、諏訪信仰圏ではこのように胎生学の比喩で理解しようとしている。
…秩序の神、体系の神の背後に潜んでいて、自分自身を激しく振動させ、励起させることによって、
世界を力動的なものに作り変えていこうとする神=精霊の存在を、中世の日本の人々は「後戸の神」と呼んだ。
…「宿神」=「翁」=「胞衣」の方程式
…神使は「胞衣」を表す笠をかぶってミシャグチを我が身に付着させる。
神の霊威が人に憑くことを、諏訪信仰圏ではこのように胎生学の比喩で理解しようとしている。
それどころか、ミシャグチの神自身が、「胞衣をかぶって生まれてくる子供」として、決して「胞衣」を脱がない神なのである。
ミシャグチは「胞衣」を通して、存在の母胎と常に結び合っている童子の神として、石棒(男性器)と石皿(女性器)の
結合(陰陽不二)から生まれる神、絶え間なく生成される神なのだ。
…ブルターニュからドナウ川にかけての広大な地域から「ずきんをつけた精霊genus cucullatus」の像が発見さている。
特に温泉の湧いている場所に建てられた古いお社の跡などからは、石や青銅や焼いた粘土などで作られたこの精霊の像が、今でも多数発見されている。
この像はケルト世界の「古層の神々」を表している。人々に幸福をもたらすというこの「小さな神様」は、どれも
子供ような顔つきで全身にすっぽり衣をまとい、頭には深々とずきんをかぶっている。そして中にはこのずきんの部分がそっくり外せるような作りになっており、ずきんを脱がせると子供の頭がペニスの形に作ってあるという作品も多数見つかっている。
そして中にはこのずきんの部分がそっくり外せるような作りになっており、ずきんを脱がせると子供の頭がペニスの形に作ってあるという作品も多数見つかっている。
「胞衣をかぶって生まれた子供」のイメージ…

ミトラ神の画像 https://www.bing.com/images/search?q=ミトラ神&qpvt=ミトラ神&form=IGRE&first=1

ミトラ信仰. 京都 太秦 にある 秦氏 の氏寺…
秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(6) 牛祭りとミトラ信仰. 京都 太秦 にある 秦氏 の氏寺、 広隆寺 。. 広隆寺 といえば「 牛祭り 」。https://kagenogori.hatenablog.jp/entry/2019/08/03/120028
. 京都三奇祭のひとつで、もともとは 広隆寺 の 境内社 ・ 大酒神社 の祭りでした。
…摩多羅神を描いた絵が現在に残っています。
 その摩多羅神は上半身柿色・下半身緑色の狩衣を纏っており、左手に鼓をもって右手でまさに打たんとしています。
顔には不気味な笑みが浮かんでいます。
 左右両脇には二人の童子を従えていますが、彼らの衣装も配色さえ違えど、やはり柿色と緑色の衣装を纏って踊っています。
…秦氏の氏寺・広隆寺といえば、むしろ有名なのは国宝でもある弥勒菩薩像でしょう。
「ミロク」というのは、梵語(サンスクリット語)の「マイトレーヤ」から変じたとも、またマイトレーヤの元となったペルシャの「ミスラ」(インドでは「ミトラ」)神が後にクシャーナ朝において「ミイロ」となったものがさらに変じたものとも、同じくパルティアで「ミフラク」となったものが変じた、などいくつかの説があります。
ペルシャの「ミスラ」(インドでは「ミトラ」)神が後にクシャーナ朝において「ミイロ」となったものがさらに変じたものとも、同じく
パルティアで「ミフラク」となったものが変じた、などいくつかの説があります。
 このペルシャ・インドが分かれる以前(つまりアーリア人)に起源を発するとされる神ミスラ(ミトラ)は太陽神です。
 このミスラ神から変じたミロク仏はインド北方インダス上流域~アフガニスタンの辺りから、シルクロードを経て東アジアに伝えられたとされています。
 一方、ローマに伝わったミスラ神はミトラス神となり、ミトラ教という秘教に発展します。
 ローマのミトラ教のミトラスもまた太陽神ですが、もう一つの大きな特徴は「牛を屠る神」ということです。いわゆる聖牛供犠ですが、つまり牛を生贄にする「殺牛信仰」でもあったということです。
いわゆる聖牛供犠ですが、つまり牛を生贄にする「殺牛信仰」でもあったということです。
…殺牛信仰というのも古代の日本において禁令が出されるほど猖獗を極めた民間信仰儀礼でしたが、これも
長江文明にその起源があり、六〇〇〇年前の城頭山遺跡の祭壇跡からその痕跡が見つかっています。
…秦氏・マタラ神と共通するミスラの特長は、前述のとおり少なくとも六〇〇〇年前にさかのぼる長江文明の信仰の特長でもあり、
ペルシャ・インド分裂以前(すなわちアーリア人)のミスラ神は遡っても紀元前二〇〇〇年、つまり四〇〇〇年前です。
 つまりこの東西に共通する太陽信仰がどちらかから一方へ伝播したとするならば、当たり前ですが長江からインド北方に伝わった可能性が高いのです。
…専門家の方々からはこの関係はまったく注目されません(笑)が、ワタシはこの
「長江文明崩壊」と「西域の太陽神ミスラ誕生」には大いに関連があるのではないかと考えています。
つまり、崩壊に伴って四散した長江文明の民の一部が、西域に逃れたか流れ着いたかして、長江文明の太陽信仰が伝えられたのではないか、と。
 ここで歴史に詳しい方なら、こう疑問を投げかけられるでしょう。
「西域に通じる道・シルクロードは、長江ではなく黄河の流域から始まるのではなかったか?」と。
 確かにいわゆるシルクロードと呼ばれる道は黄河の流域、長安を起点としています。
が、そもそも「オアシスの道」と呼ばれるシルクロード(西域南道、天山南路、天山北路)は遡っても
漢代の紀元前二世紀を超えることはなく、その北の「草原の道」も紀元前十世紀を遡ることはありません。

ミトラ (司教冠)https://ja.wikipedia.org/wiki/ミトラ_(司教冠)
カトリック教会のミトラhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ミトラ_(司教冠)#/media/ファイル:Mitre_(plain).svg

ミトラ教:あらゆる宗教に影響を及ぼした古代の宗教を解説https://zatsugaku-circle.com/mithraism/
…ミトラ教が古代ローマで流行
ミトラ教が本格的に時代に登場するのは、西暦150年頃からになります。
信者の数は不明ですが、信仰そのものはローマ全土にまたたく間に広まっていったのです。
…ミトラ教はローマのキリスト教の国教化により消滅
ディオクレティアヌス帝の時代が終わると、コンスタンティヌス1世(在位306年~337年)により、勢力を増していたキリスト教を公認し、皇帝もまたキリスト教の洗礼を受けます。
この結果、ミトラ教の神殿などは、キリスト教徒に襲撃されることも多くなり、没落は止まらない状態になったのです。
キリスト教を排して、ローマ古来の神々の復権を目指したユリアヌス帝(在位361~366)の統治では、他のローマの神々と同様に
ミトラ教の信者も一時的に増えますが、彼の統治が終了すると同時に、また信者の減少が始まり、遅くとも5世紀のうちには消滅したのです。

ミトラス神は、古代インド・イランのアーリア人が共通の地域に住んでいた時代までさかのぼる古い神ミスラ(ミトラ)であり、
イラン、インドの両地域において重要な神であった。https://ja.wikipedia.org/wiki/ミトラ教




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