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>太秦は大秦と同じで大国=ローマ帝国のこと…
荊の紀氏
投稿日:2024年03月31日 08:24
No.978
大秦(だいしん)は、中国の史書に記載されている国名で、ローマ帝国、のち東ローマ帝国のことを指すとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大秦
…後漢書
「和帝の永元九年(97年)に西域都護の班超が甘英を使者として大秦に派遣した」
大秦の初出である。
この後甘英はシリアにまで到達し、地中海を渡って大秦へ赴こうとしたが、
パルティア人の船乗りに「大秦までは長ければ2年以上も航海せねばならず、長期間陸地を見ないために心を病んで亡くなる者さえいる」と言われたために大秦に行くことを諦めたとの記述がある[1]。
大秦に行くことを諦めたとの記述がある
但し、後漢書に先行する『三国志』魏書 烏丸鮮卑東夷伝末尾の裴松之による注記の『魏略』西戎伝には、班超が甘英を大秦に派遣したという記事はない。
「桓帝の延憙九年(166年)に大秦国王の安敦(アントン)が遣わした使者が日南郡に訪れて象牙・犀角・玳瑁を献上した。初めて(大秦と漢は)交流を持つことができた[2]」
パルティア:西アジアの王国。 アルサケス朝 パルティアともいう。
https://kotobank.jp/word/パルティア-605589
中国では アルシャク Arshak(アルサケスArsaces)を音訳した〈安息〉の名で知られる。
寄多羅…
安息に属した後、月氏が安息を破るにおよび、高附を得た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/月氏
…寄多羅(キダーラ)は勇武で、遂に兵を起こして大山(ヒンドゥークシュ山脈)を越え、南の北天竺(インド)を侵し、
乾陀羅(ガンダーラ)以北の五国をことごとく役属した。」とあり、この頃の大月氏はクシャーナ朝の後継王朝であるキダーラ朝を指し、中国ではキダーラ朝までを大月氏と呼んだことが分かる。
その後キダーラ朝は匈奴(エフタル、フーナ)の侵攻を受けた。
羅…
…最近の研究で、新たに新疆[15]で出土したウイグル語訳の『慈恩伝』の中に、
焉耆・亀茲を大月氏の遺留部族と記した箇所が見つかった[16]こと、敦煌文書の『西天路竟』で焉耆が月氏と記されていたことや、1980年代以降の言語学の研究[17]と併せ、
月氏はトカラ語を使用していた可能性が高い[16]。
トカラ語(トカラご、トハラ語、英:Tocharian languages)は、現在の
中華人民共和国新疆ウイグル自治区のタリム盆地北縁(天山南路)にあたる地域で8世紀頃まで話されていた言語である。インド・ヨーロッパ語族に属し、独立した語派「トカラ語派」に分類されている。言語は膠着語的な性格を有していたことが分かっている。死語となった言語の一つである。
インド・ヨーロッパ語族に属し、独立した語派「トカラ語派」に分類されている。
言語は膠着語的な性格を有していたことが分かっている。死語となった言語の一つである。
新疆ウイグル自治区のタリム盆地…
アスターナ古墓群は、カラ・ホージャ古墓群とも呼ばれ、中国新疆ウイグル自治区のトルファン市高昌区にある高昌国と唐代の住民の墓地である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アスターナ古墓群
唐(とう、拼音: Táng、618年 - 907年)は、中国の王朝。李淵が隋を滅ぼして建国した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/唐#脚注
中央アジアや東南アジア、北東アジア諸国(朝鮮半島や渤海、日本など)に政制・文化などの面で多大な影響を与えた。首都は長安に置かれた。
李淵…李(リー、ベトナム語: Lý)は、ベトナムの姓の一つ。李朝大越の国姓である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/李氏
李…
ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/開封のユダヤ人
碑文には、ユダヤ人がインドから汴梁(開封)にやって来たと記されている。
また、宋の皇帝(名は挙げられていない)と謁見した、漢姓を持つ70名のユダヤ人の名が挙げているほか、始祖アブラハムからバビロン捕囚時代の預言者エズラまでの信仰の伝承も記録されている。
2つ目は1512年の日付がある、「尊崇道教寺」シナゴーグで発見された『尊崇道教寺記碑』で、ユダヤ教で実践される宗教行為が詳述されている。また、漢代に中国入りしたという伝説が記されている。
3つ目は1663年に「清真寺」の再建を記念して建立された『祠堂述古碑記』で、前述の2つの石碑の内容がくり返されている[5]。
石碑の内2つには、南宋の武将岳飛の背中にあった有名な入れ墨についての言及がある。
入れ墨の文言、「盡忠報國」(祖国への限りなき忠誠心)の文字が、1489年の石碑でユダヤ人の「祖国への限りなき忠誠心」について述べている部分に記されている。
また、1512年の石碑には、中国の軍隊におけるユダヤ人の兵士が、「祖国へ限りなく忠誠」であると同じ文字を用いて記されている。ま
また、この石碑には「イスラエル人(ユダヤ人)が岳飛の軍の兵士として戦った」という記述もある[5]。
開封のユダヤ人
https://ja.wikipedia.org/wiki/開封のユダヤ人
ローマ…羅馬…羅…新羅?…
めぐる(邏る)?
羅…4)梵語の音訳。外国地名。「羅漢ラカン」(梵語のarhan(阿羅漢アラカン)の略。仏教修行の最高段階に達した人)
「羅馬ローマ」(イタリアの首都)
https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/5a35acf0406e981958b47f7198b97172
(5)「羅針盤ラシンバン」とは、磁石の針を利用して方位を知る装置。船や飛行機の航行に用いる。
語源は、中国の風水術で地相占いに使われる羅盤ラバンというアミの目のように細かく方位が書かれた盤の中央に方位磁針を組み込んだので羅針盤と呼ばれた)
漢は朝鮮に楽浪郡をおく!中国の絹をローマに運ぶ ...
https://robasensei-rekishi.net/kan/
…教会組織が網の目のように社会の隅々に…
世界中に張りめぐらされたバチカンの情報ネットワーク
https://shuchi.php.co.jp/article/5922
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