日本語の起源 くまら掲示板


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>善女真…女真族? ハラ…原氏?女真が発祥…
荊の紀氏 投稿日:2024年03月26日 09:46 No.950
善女真…女真族?
>ローマで女人だけの祭る不思議な女神ボナ・デア(Bona Dea 善女真)の名前とされた。
山羊 のような角をもつ(→ 獣人 ):ファウヌス(Faunus)は、古代イタリアの神格。https://ja.wikipedia.org/wiki/ファウヌス
ギリシア神話のパーンに相当する[1]。ローマ神話の農耕神・ルベルクスとも同一視される。
中世以降はパーンやサテュロスのイメージと混同され、財宝の守護者とも夢魔ともいわれた[1]。

ハラ…原氏?女真が発祥…
…男の子は母にいわれた通り舟にのって川を下り、人々が暮らす集落の岸にあがると、柳の枝で腰かけを拵えてそこに坐った。
柳の枝…

ヤナギの花が咲く頃に(自然の再生を祝う・畑の豊穣を促すために)枝を地面に差した. …https://ameblo.jp/sumire93/entry-11982845057.html
[古代地中海世界]:地母神デメテル(ローマではケレスになる)は彼女に捧げられた
柳の木に現れた/死と復活の女神ペルセフォネも柳の幹の暗闇に浮かび上がった/オデュッセウスは冥界の入口アケロン川のほとりで柳を見た/
バビロンの流れのほとりの柳に琴をかけて我らは涙を流した(『旧約聖書』)
…[古代ケルト]:神聖な木の1つ/“冬の巨人”を燃やす儀式は(中に生贄を入れて燃やしたのではなく)藁・干草を詰めたヤナギで作った人形を、ヤナギの枝で編んだ籠とともに焼いた可能性がある
◇籠そのものは「イニシエーションの小屋(炉)」だった可能性もある
◇同様のものとして、スキタイ人のシャーマンがヤナギの骨組みに屋根を葺いたものを建ててシャーマン的儀式を行ったものがある
◇ケルトの豊穣の儀式では、ドルイドの木文字の5番目の木として、ヤナギの花が咲く頃に(自然の再生を祝う・畑の豊穣を促すために)枝を地面に差した

ケルト人と謎の古代人スキタイhttps://note.com/yoshito0103/n/nf51eaa192ea5
ドルイドの起源は、前8世紀末黒海沿岸に居住していたスキタイ人が西進してきて、キンメリア人を中部ヨーロッパに追いやったことに端を発します。
キンメリア人はキムリス人と呼ばれ、もともとの居住民「ガル人(ガリア人)」と区別されるようになります。
こうしてケルト人はキムリス人とガリア人の二派に分類されました。

…[辱めの刑]:暑い盛夏に罪を犯した者にヤナギの鞭を持たせた/周りの人々と仲良く暮らせなかったことを告げ知らせていた(ゲルマン)
ゲルマン…
ケルト人とゲルマン人は紀元前1世紀には大きく二分していました。https://celeby-media.net/I0003165
…4世紀のゲルマン人の大移動により、一部のケルト人はゲルマン王国に吸収されて同化しました。

ハラ 原氏…
原さんのルーツはとにかく古い。
物部氏から出た原造(はらのみやっこ)、倭漢(やまとあや)坂上氏から出た原首(はらのおびと)、秦氏の一族である原公(はらのきみ)。
また、武蔵・遠江・安芸・讃岐にある幡羅からは幡羅(はら)氏が、肥後の波良からは波良(はら)氏が起こり、さらに、出雲の古族に腹(はら)氏も見える。
そして後に、原氏で有名な一族として下総と美濃の原氏が現れる。
下総の原氏は桓武平氏良文流千葉氏族で、房総半島に大きな勢力を振るった豪族の千場氏の支流である。https://tabi-mag.jp/roots-hara/
…地形姓ということから考えれば、福岡県福岡市早良区にある原は、九州、とくに福岡県の原さんのルーツといえるだろう。
元寇襲来の地も百道原で、福岡には原が付く地名が多い。

ハラ …
アイシン・ギョロ・ハラ (愛新覚羅氏) は、建州女真が発祥とされる満姓 (満洲族の姓氏) の一つで、あまた存在するギョロ・ハラの一つ。
アイシンは満洲語で「金」の意 (「愛新」は漢文音訳)。
アイシン・ギョロ・ハラも、アイシン・グルン (後金国) も、ともにヌルハチの代で成立したとされ、これらの金アイシンは、実際にはかつてワンヤン氏女真族が樹立した"金"王朝を指すとされる。[3]
嘗てはダイチン・グルン (大清国) の国姓とされたが、清朝滅亡後は同氏族の多くが漢姓として「金」に改称した。但し、「愛新覚羅氏」は現在も中華人民共和国、中華民国 (台湾) を中心に、そのほか日本にも存在する。
但し、「愛新覚羅氏」は現在も中華人民共和国、中華民国 (台湾) を中心に、そのほか日本にも存在する。
最後の皇帝・宣統帝溥儀とその同母弟・溥傑[4]には男子がなく、1994年に溥傑が死去してからは、その異母弟・溥任が皇位継承順位の一番となった。
2015年の溥任の死後はその長子・金毓嶂が承継したが、「愛新覚羅」ではなく漢姓の金に改称している。
従って、清朝 (および満洲帝国) が崩壊した今、金氏はアイシン・ギョロ氏の相続人ではあるが、当主ではない。
金氏…

金姓…
羌族 - 南北朝時代、羌族の中で金姓を称するものがあった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/金_(姓)
ユダヤ人 - 12世紀初期の北宋徽宗の治世、中国に移住・定着して商業を営んだ。
漢姓として金・李・俺・艾・趙・張など17の姓を称した。

呂不韋…始皇帝の父親、古代イスラエル人(ユダヤ商人)。
呂氏の始祖である姜子牙(呂尚)は羌族である。
李信の子孫|表舞台から消された羌族との関係 https://note.com/kazugaga/n/nf00f39f0d134
…イスラエルの調査機関アミシャーブのDNA調査により、中国の羌族は代表的なマナセ族の末裔だと断定されています。

始皇帝や呂不韋とは別のユダヤ民族の歴史を焼いたのかもしれません。
始皇帝はおそらくユダ族のユダヤ人ですが、他の支族も中国大陸にいたことが確認できます。
【日ユ同祖論】ユダヤ民族を解放した大秦国【太秦と呂不韋】〜古書から日本の歴史を学ぶ〜https://note.com/ai_auwa/n/n703f8d7a67da
…秦国の民が日本列島へ入って来ている可能性があります。
その中の1人が応神天皇だったのではないかとも言われています。
応神天皇は渡来人を用いて国家を発展させたことで有名です。
応神 16年には儒教が日本に入って来たとあります。
秦王と応神天皇の関係について研究をしていたのが藤間正大(とうませいた)氏や鹿島曻氏です。
両者は応神天皇は百済王久爾辛(くにしん)と深い関係があったと研究されていますが真相はわかりません。
詳しい情報は両者の書籍を読んでみて下さい。
では秦氏のご先祖とされる秦始皇帝はユダヤとどのように結びつくのか、時代を遡って秦国から見ていきます。

…呂不韋のもとで呂氏春秋編纂の作業を手伝っていたのが儒家の人々です。
儒家は古代中国の思想集団だと言われていますが儒はジュウでユダ民族のことです。
儒教における伝統的な徳目の一つに孝という徳目がありますが、ユダヤ教においても孝愛は貴ばれ、モーセの十戒の中にも見ることができます。
この他にも儒教とユダヤの共通点については様々な研究がされていますので参考書籍をご覧下さい。
明治時代の歴史学者津田左右吉(つだそうきち)氏は、儒教のルーツがギリシャ哲学であることを指摘しています。
儒教とはギリシャ、バクトリアを経由しユダヤ民族が持ち込んだ思想なのかもしれません。

…南越国が滅亡して海路で逃げたと考えられる紀元前111年、この頃の朝鮮半島の様子を見てみます。
契丹古伝第18章にはこのようにあります。
「初め五原に先住の民あり。没皮(ぼつひ)・龍革(りゅうかく)は北原で牧畜し、魚目(ぎょぼく)・姑腹(こふく)は西原に穴居し、
能耳(のうじ)・黄眉(おうび)は中原に住み、苗族(びょうぞく)・丞馮(もうば)は南原に農耕し、兎首(としゅ)狼裾(ろうきょ)は海原で漁猟していた…云々」とあります。

…秦氏以外にもユダヤ民族は日本列島に到着していますし、ユダヤになる前のバアル信仰の状態で日本に持ち込んだ民族もいます。
これらの民族は日本列島にいた一部の民族の話であり、日本人全体の話ではありません。
古代史は膨大な学説があるので、今回の動画はそのうちの一つだと思って頂いてぜひ皆さんも調べて見てください。




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