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弥生後期の鉄剣の道
天上のワオギツネ 投稿日:2024年03月26日 00:56 No.945
No.942
若狭から八百比丘尼が来た

青梅方面の南関東などに鉄剣と鉄釧がセットで流通するようになるのは、弥生後期になってからとされている。
この鉄剣や鉄釧は、若狭から流れたらしい。
その南関東では、入手した鉄剣の柄には独自に鹿の角が用いられたそうだ。
鹿の角に何か執着があったのだろうというから、鹿の角が威信の象徴だったのではないかとみられている。
南関東へのその交易のルートは、若狭からアルプスを横切って諏訪まで行き、そこから甲府を経て青梅方面へと進むものだったと考えられる。
一方、弥生後期には、近江や大和、尾張、東海には鉄器はまだまったく流れていないし、埼玉、群馬、茨城ほかへも流れていない。
南関東だけに鉄剣・鉄釧が流れたようだ。
そのルートの途中の信濃では、弥生時代の鉄釧が出ている。

この若狭から信濃を経て関東へ鉄剣・鉄釧が流れたのは、異例のことらしい。
なぜなら、日本海交易では福井、新潟方面へ鉄器がながれるのが通例で、その鉄器の供給元は山陰だったとみられている。

若狭はこの山陰とは墓制も異なっていて、独自の経済圏を造っていたらしい。
この若狭が独自に入手した鉄剣・鉄釧を信濃を経て関東へ流したとみられている。
つまり、若狭-関東には古くから独自の交易ルートが開かれていたということになる。
後のことだが、若狭から八百比丘尼が来たというのは、そうした交易ルートが生きていたということではないだろうか。
八百比丘尼は各地を巡ったあと、若狭に至って入定する筋書きのものが多いようだ。

信濃の諏訪大社で建御名方命が祀られていたりするのも、この古いルートの存在と関連するのかも知れない。


やまだ 投稿日:2024年03月26日 13:08 No.951
>青梅方面の南関東などに鉄剣と鉄釧がセットで流通するようになるのは、弥生後期になってからとされている。
この鉄剣や鉄釧は、若狭から流れたらしい。

… 行田の稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣はワカタケルの名が刻まれている。古墳時代で南関東というのでもない。

先日、多摩川に沿った街道外れの鍛刀工房で見学することあった。砂鉄から火で溶かし何で叩くのだろうだんだんと鉄の刃までつくりあげる。日本刀もつくるが包丁など注文が多くこなしきれないそうだ。これは現代の話だから、砂鉄や炭など原料は流通店から購入してるそうだ。

… なにかの記事で読んだが、埼玉の大宮行田あたりも砂鉄や他の鉄鉱石がよくとれるとか。大宮の神社は先住の昔はアラハバキの神が祀られていた。このアラハバキは鉄と関わりあるかも。

〇ところで、貴殿、ワオギツネ氏。どの土地にお住まいかな?
自分のもっとも魂の通う土地について、よく語るあるいは黙秘するというのが真実のこと。

多摩川、青梅はおもしろい処だよ。興味あるなら一度遊びに訪ねるとよい。
今、もの片づけで忙しくしてるけど、案内はできる。

①THOUSAND NIGHTS AND A NIGHT (R・BURTON版)全16巻
②黒曜石塊(神津島)、黒曜石鏃
③國譯大蔵経 大方廣佛華厳経 巻一
④雪舟筆國寶山水圖


ほしいものあれば安価でお分けする。




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