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火瓊瓊芸尊は霧島火山の神
天上のワオギツネ 投稿日:2024年03月24日 14:54 No.934
No.931より
火瓊瓊芸

書紀は二ニギ尊に火の字を付けている。
一方、古事記は番(播)と書いている。
播くは籾を水田に播く意だから、古事記は二二ギ尊を農耕神に衣替えさせているものだ。

書記が二二ギ尊に付けている火は吾田族の部族神を表していて、その火は霧島連山の火山の火を指すものだろう。
これが本筋だ。

なので、古事記は、書紀の記述を翻案したことになる。
この翻案は、ときの政権の王地王民思想(班田収授の基礎的な思想)のプロパガンダだといえる。
まあ、古事記の著者は政権お雇いのプロパガンダーだったという見方が出てくるのは、やむを得ないことだろう。

書紀が記しているように、火のニニギの尊の子たちも火を名に持っているのだから、この火は彼ら吾田族の部族神である火の神の子という位置付けなのは明白。
つまり、吾田族は霧島連山の火山の火から生まれた者たちであるとする部族神話があったことを示すものだ。
二二ギ尊が高千穂峰から吹上浜のある吾田まで進んだ書紀のエピソードは、そうした霧島連山の火山の火を祖神とす阿多族の部族神話があったことを物語っている。

一方、古事記では、ニニギ尊は高千穂から移動せずに、高千穂に宮を建てる筋書きとなっている。
古事記が書紀の記述を何らかの意図をもって翻案したことは、疑いなく明らかだろう。
おそらく、皇統の出自が南九州の阿多の部族にあったことを隠蔽することが目的だったと思われる。

書紀では、神武が紀伊半島迂回の時に天磐盾の沖の海神の怒りに触れて遭難の危機に陥り、これを救おうと兄たちが人身御供となって海に飛び込むのであるが、その際兄たちは「吾が祖は天神、母は海神なり」「我が母及び姨は、並びに是海神なり」と叫んで、母方が海神である自分たちを同じ海神が災いを送り付けて来るのはどうしたことかとなじっている。
一方、古事記では、その兄たちは高千穂の宮ですでに亡くなっている設定となっており、この紀伊半島迂回の途中の天磐盾の沖での遭難の危機のエピソード自体が記されず、母方が海神系であると明確にする部族神話自体が掻き消されているのである。

古事記が皇統のルーツを物語る部族神話そのものを闇に葬るための改竄を行っている歴史書であることは、まず間違いないだろう。

では、なにゆえに、そのような改竄を行ったのか。
皇統のルーツは高天原の天照大神であり、地上の海神の部族の血縁は入っていない、皇統は水田稲作を基幹とする農耕を普及させるために地上に送られたのであって、王地王民の思想のもと班田収授する使命を帯びた王権なのだ、と主張することが眼目だったためだろう。

その点、さすがに書紀は、そこまでは付き合えんと突き放したのではないか。
そして、ニニギ尊とその子たちの名に伝承通り火の字を付け、紀伊半島沖では堂々と皇統には母方の海神の血が入っていると叫ばせたのだろう。

書紀と古事記の違いは、実に大きいのである。




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