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鋤持神(サイモチノカミ)はなぜ鋤だったのか
天上のワオギツネ 投稿日:2024年03月24日 00:22 No.929
>>921より
釵(サイ)と鋤(サイ)の謎

日本書紀は、神武紀で鋤持神についての記述を行っている。
天磐盾の沖で遭難しそうになった神武を助けるために、兄が怒る海神の人身御供となって海に飛び込んで命を奉げたが、書紀は海に飛び込んだその兄が「鋤持神(サイモチノカミ)」になったと書いている。
鋤持神(サイモチノカミ)はサメ(鮫)のことだとされているが、鋤(ジョ・スキ)の字がなぜサメ(鮫)を表すのだろうか。
>>291では、サイ(鋤)の原字は、釵(サイ)だろうとみている。
釵(サイ)は以下のような武器で、古くからアジア各地で用いられているとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/釵#/media/ファイル:2_antique_sai.jpg
釵の形は、確かにサメの歯に似ている。
サメの歯は全体がつながっていて、一つ一つが分離していない。
それで、三本の棒が一つながりである釵の形をサメの歯に例え、その釵(サイ=歯)を持つ魚を釵持(サイモチ)と呼んだとするのは、正しい解釈だと思われる。

そうすると、では書紀はなぜその釵持(サイモチ=鮫)を鋤持(サイモチ=鮫)と鋤(ジョ・スキ)の字を当てたのだろうか、という疑問が出てくるのである。
鋤(ジョ・スキ)の字にはサイの音はないし、また、鋤は農耕具であり、海のサメ(鮫)に関連する字でもないのだから、この鋤の字が用いられていることについての疑問は自然なものと言えるだろう。

そこで、兄が人身御供となる際に刀を抜いて舟から飛び込んだことが、非常に注目される。
その兄は剣を持って海に入り鋤持神(サイモチノカミ)になるのであるから、書紀は「サイを持つ」ことを「剣を持つ」意としていることが伺える。
つまり、「サイ持」の原義は「釵持(サイモチ)」であり、その釵は剣とは別の武具であるので、書紀は原義の釵の武具から離れて「サイ」の言葉を剣の意味に転化していることが推測できるのである。

そして、書紀は、その「サイ(剣)」に「鋤」の字を当てて「鋤持(サイモチ)」と読ませているわけであるが、どうして「鋤」の字を「サイ」に当てることになったのだろうか。
そこで、鋤は農具であるので、サイの音とよく似た農具を探してみると「鉏夷(ジョイ・ソイ)」がみつかる。
鉏(ジョ)は「すきぐわ」のことで、夷は「草を刈る道具」を表している。(漢和大字典)
つまり、鉏(ジョ=呉音、ソ=漢音)は「鋤鍬(すきぐわ)」を表すので、この鉏を鋤に置き換えることが可能なのである。
夷は「草を刈る道具」なので、形状は刀に似るものとなる。
そして、この鉏を漢音のソで読むと、鉏夷はソイの音となり、サイとよく似た音になる。

このように、釵持(サイモチ=鮫)を音のよく似た鉏夷持(ソイモチ=鉏と小刀を持つ者=兄=鮫)とみなし、この鉏を鋤に置き換えて「鋤持(サイモチ)=鮫」としたのが、書紀の「鋤持神(サイモチノカミ)=兄=鮫」だと見ることができる。

そうなると、書紀はなぜ、このような置き換えをして「釵持神(サイモチノカミ)」を「鋤持神(サイモチノカミ)」に替えたのだろうか。
その答えは、古事記や書紀の編纂の核心の思想のためだと思われる。
神武の先祖が地上に降りたのは、天照大神がその子孫によって地上に水田稲作を普及させるためだった。
天照大神の子の忍穂耳尊(オシホミミノミコト)の名に見える穂は稲穂の穂であり、孫の番能二二ギ尊(ホノ二二ギノミコト)の番(ホ)はその稲穂から採れた籾を水田に播くことを表す番(ホ)であり、これらの名は水田稲作を基幹とする農耕の神であることを表している。

記紀においては、こうした水田稲作を基幹とする農耕の神が神武の皇統であるので、その兄においてもその思想が反映されなければならず、海獣であるサメ(鮫)の神になった兄にも農耕の農具である鋤の字を被せることになった、ということが考えられるのである。
本来は釵持(サイモチ)の名である鮫に鋤持(サイモチ)の名が用いられたのは、このような理由からであったとみなすことができる。

このように、書紀はこうした細部にまで実に念入りな編集がなされている歴史書だと見ることができるのである。




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