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サメ(鮫)の言葉はいつからあるのか
天上のワオギツネ 投稿日:2024年03月19日 17:14 No.920
No.906より続く
鋤持神(さいもちのかみ)

日本に水田稲作をもたらしたY-O1b2種族の言葉を探索しているが、サメ(鮫)はそのO1b2種族の言葉に由来しているように見える。
しかし、記紀においては、この「サメ(鮫)」の言葉は見られず、実際には「和邇・鰐(ワニ)」の言葉が用いられているという。
因幡の白うさぎの逸話に登場するこの「和爾・鰐」はサメ(鮫)を指している、あるいはクロコダイルの意の鰐であり、古代中国などに生息した川鰐を指しているなどの説があるようだ。

しかし、一方では、鋤持神(さひもちのかみ)の鋤持(サヒモチ)がサメ(鮫)を指す言葉だとする説も見られる。
鋤持神は、書紀の神武天皇紀に登場する。
神武天皇が紀伊半島を迂回するとき、天磐盾の沖で嵐に会って遭難の危機に遭遇し、舟が荒波で転覆しそうになる。
そこで怒る海神をなだめようと、神武の兄の一人が刀を抜いて海に飛び込み、命を海神に奉げて、鋤持神(さいもちのかみ)になったと記されている。
この鋤持が、サメ(鮫)を指しているとされている。

鋤(サヒ)は佐比(サヒ)とも書かれ、刀を意味する言葉であり、神武の兄が海に飛び込むときに刀を抜き放ったと描写されるのは鋤(サヒ)が刀を意味する言葉であることに合わせたものだと解釈される。
そして、この鋤(サヒ=刀)はサメ(鮫)の鋭い歯にたとえた表現であり、鋤持(サヒモチ)とは刀=鋭い歯を持つ魚であり、すなわちサメ(鮫)を指しているとする。
この説からすると、鋤(サヒ=刀)が訛ってサメ(鮫)になった、ということになる。
さらに、サメ(鮫)の目が小さいことから「小目・狭目(サメ)」と呼んだとする説もみられる。

このように語源説はいろいろあるが、「鮫(サメ)」の表記が見られるのは平安時代中頃の延喜式においてであり、伊勢の斎宮寮に給された「鮫の楚割(サメノスワヤリ=干物)」がそれだという。https://ja.wikipedia.org/wiki/サメ
「サメ」の呼称は平安中頃にはあったことが分かるが、さらに古い時代まで遡ってあったのかどうかは定かではないようだ。

そこで、このサメ(鮫)と水田稲作をもたらしたY-O1b2種族との関わりを、慎重に探ってみることにしよう。

日本のYハプロのO1b2はO1b1と親戚関係にあり、そのO1b1はベトナムの主要民族のキン族に多く見られることは先に述べた。
また、古代の中国の淮河下流域の出身である魏の曹操がこのキン族と同じO1b1であることから、曹氏一族のようなY-O1b1のハプロを持つ水田稲作民たちが淮河下流域に少なからずいたことも想定可能だろう。
そこで、サメ(鮫)と近似する発音の語彙を、ベトナム語に探してみよう。

サメ(鮫)
ベトナム語 ca map(サマ)=鮫

ベトナム語のca map(サマ=鮫)は「ca(サ=魚)+map(マ=脂肪)」の構成の語で、いわば「脂肪のある(太った)魚」が原義であることが分かる。
サメ(鮫)のメとca map(サマ=鮫)のma(マ)はどちらもマ行列の音であり、サマからサメへの訛りはごく自然だ。
こうしたことから、日本語のサメ(鮫)とベトナム語のca map(サマ=鮫)は、発音が近似し、語義はまったく同じであることから、双方が同系語彙であることはまず間違いないだろう。

そして、日本のO1b2が親戚関係にあるO1b1のいる古代の中国淮河下流域あたりからやって来たとみなせば、サメ(鮫)の言葉は水田稲作を日本にもたらしたO1b2とO1b1が淮河下流域の水田稲作地帯で共有していた言葉だった可能性が非常に高くなる。
そして、そのサメ(鮫)の各地方での方言が、ワニ(和邇・鰐)であり、サヒモチ(鋤持)であった可能性も出てくるだろう。

「サメ」は、水田稲作を日本にもたらしたO1b2種族の鮫に対する固有の言葉だったと思われるのである。




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