日本語の起源 くまら掲示板


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羅・計は白道の中点で、月が南から北に通じていて黄道で交わる…
荊の紀氏 投稿日:2024年04月13日 11:47 No.1027
日蝕を起こす恐ろしい星、羅睺と計都について https://chinjuh.hatenablog.com/entry/20090707/p1
…『天経或問』に次のようにある。
羅・計は白道の中点で、月が南から北に通じていて黄道で交わる。この一点を羅という。
羅は毎日三分あまり左にめぐり動いている。
羅と正対する点を計という。
龍首・龍尾、内道口・外道口というのも同じで、白道と黄道の交点に名にすぎず、実物は存在しない。

黄道と天の赤道の位置関係と白道と黄道の位置関係 https://information-station.xyz/17270.html
…太陽の年周軌道としての黄道面に対する月の軌道面の傾きの角度が約5.9度であるということに基づいて、
黄道から約5.9度傾いた円周軌道を描いていくことになると考えられることになるのです。
…白道における月の軌道のあり方においては、地球の周りを反時計回りに西から東へと回っていく月の公転運動のあり方に基づいて、
月は、こうした白道と呼ばれる大円上を恒星月の周期にあたる約27.3日の時間をかけて西から東へと東回りに一周していくことになる一方で、
こうした白道と黄道の交点は、それとは反対に東から西へと逆行していく形で移動していくことによって、
約18.6年の時間をかけて黄道上を一周して元の位置に戻ってくることになると考えられることになるのです。

「6500年×4=26000年」ごとのサイクル https://raimuspace.com/noosology/text/noos_basic_1-2-11.html
そのサイクルの中で、大きな転期となる年が、2013年だと言われています。
…オコツトによると、今現在の西暦2013年頃が調度転期であり、そこから右上の『覚醒期』へと移行する真っ最中とのことです。

重力の変化は、日食と同時に起こる地震を引き起こすのだろうか?https://ameblo.jp/greenra/entry-12844955940.html
この神秘的な力は、歴史上さまざまな研究室で観測され、再現されてきたが、その正確な性質はいまだに解明されていない。
アダムスは、このような重力の変化が、ミズーリ州のニューマドリッド断層のような断層を引き起こす可能性があるのか、と質問した。
もし地殻プレートが重力の変化に影響されれば、地震を引き起こすかもしれない。
アダムスは差し迫った地震を予言はしなかったが、日食中に振り子や他の天体が奇妙な重力挙動を示すことを指摘した。
多くの文化は、地震やその他の自然災害との関連から、長い間日食を恐れてきた。
アダムスは、この関係は単なる迷信ではなく、むしろ現代科学ではまだ解明されていない実際の物理現象である可能性を示唆した。
重力は力ではなく、むしろ時空の湾曲であり、無重力を体験してもその影響を感じないのはそのためかもしれないと強調した。
結論として、アレイズ効果と日食中の地震との潜在的な関連性は、依然として魅力的で未解明の現象である。
重力に対する理解が進むにつれて、何世紀にもわたって人類を魅了してきたこの不思議な現象に対する理解も進むかもしれない。

アダムスはさらに、7という数字は聖書において大きな意味を持ち、しばしば神の存在や介入を表すと指摘した。
今回の日食がニヴェと名付けられた7つの町を通過することで、これは裁きのサインなのではないか、あるいは
アメリカ人に自分たちのやり方を改めるよう呼びかけているのではないかと考える人もいる。

ドルイド教およびドルイド教を信仰していた民族 https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000113980
『図説ドルイド』(ミランダ・J.グリーン著 井村君江監訳 大出健訳 東京書籍 2000)
 p31〈ドルイドの復活〉の項があり、一度姿を消したドルイド教への関心が16世紀に復活し、17世紀から18世紀にかけて
英国で、ジョン・オーブリーやウィリアム・ステュークリーらの好古家により
新たにドルイド教団がつくられた、それをストーンヘンジなどの巨石建造物と関連づけたとの記述がある。
1冊すべてドルイドに関する記述。
『二つのケルト』(小辻梅子、山内淳編 世界思想社 2011)
ドルイド教を、イギリス政府が史上初めて公認したというニュースが報じられた」との記述がある。

ケルト系キリスト教(ケルトけい キリストきょう、Celtic Christianity) は、
ケルト系共同体によって受容され、実践されたキリスト教である。
ケルト教会 (Celtic Church) とも言う。中世前期のアイルランドからスコットランド、イングランド北部に広がり、
その修道院制度は西ヨーロッパにも伝えられた。西欧の歴史から一度は消滅したこの流れが近年再びケルト教会として蘇っている。
…現代のケルト教会
20世紀になってから、カトリックともプロテスタントとも異なるケルト教会への回帰運動がその聖地であるアイオナやリンデスファーンで始まり、
米国でも人気を得るようになった。現代ケルト教会は自然愛、教義性の欠如、他宗教への寛容と友好性を特徴とする。
現代ケルト教会は自然愛、教義性の欠如、他宗教への寛容と友好性を特徴とする。

フリーメイソンは、ドルイドと共通するスピリチュアルな傾向が極めて強い社交的封鎖的な結社です。http://densetsu-uk.com/custom3.html
…1729年には、聖公会(英国国教会)の聖職者の資格を取得し、
キリスト教の信仰に深く係わるにつれ、驚くなかれ、ドルイドこそが原宗教、
つまり原始キリスト教の教えに携わり、我国の礎ともなったことが分かりました。

…ドルイドが各地の巨石建造物を礼拝所として建てた経緯を説明しましょう。読者はフェニ
読者はフェニキアという近東の地中海沿岸にあった古代国家をご存知でしょう。フェニキア人は誠に偉大な民族でありました。
フェニキア語は、英語をはじめ後世の数々の言語の祖になり、またアルファベットのルーツともなりました。
聖職者としての小生が最も重要と考えるのは、原始キリスト教である「アブラハムの宗教」です。
いうまでもなく、純粋な信仰心の発露である「アブラハムの宗教(家父長的キリスト教)」は、その後、偶像崇拝に堕して
しまい、神を恐れる純真な信仰心を失ってしまいました。 
堕落した人間社会は、救世主キリストの出現で、真性が回復されたのは、幸いなことでした。
ところが、昨今のヨーロッパで吹き荒れる宗教改革による社会の動揺は、小生が現在最も憂えるものです。
今こそ忘れ去られている本当のキリスト教精神を呼び戻す時です。
それには、原始キリスト教の祭司、ドルイドに学ぶところが大きいと言えます。

ドルイドはストーンヘンジの中で、宗教儀式を執り行いました。http://densetsu-uk.com/custom3.html
小生は、測量はもちろんのこと、現地調査を入念におこないましたところ、客観的な観察の必要上、遺跡の主だった巨石に名称を与える必要を感じ、僭越ながら以下のように名を与えました。
円形土塁ヘンジの入り口にある4柱の石は、「門柱石」(Portal Stones)、中央輪の中の馬蹄形を成す一連の鳥居状のユニットを「トリリソン(三つ組み石)」(Trillithon)、そのトリリソンの中央
外側にポツンと一つある石は「主祭壇」(Altar Stone)、また、出入り口近くの横倒しになった傷の多い石は、犠牲となる人・動物を屠殺する台と考えられるので、「屠殺石」(Slaughter Stone)と呼ぶことにしました。
ついでながら、土塁の円周に近い所で、オーブリー先生が発見した一対2個の穴の跡 (現在、Aubrey Holes とよばれるもの)はソロモン神殿の例にもあるように、恐らく聖水を容れる大きな瓶を埋め込んだ跡でありましょう。
このように、名称を与えることで、ドルイドの祭儀の様子がさらに明確に伝わることでありましょう。

ウィッカーマン(wicker man)とは、古代ガリアで信仰されていたドルイド教における供犠・
人身御供の一種で、巨大な人型の檻の中に犠牲に捧げる家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀の英語名称である。
現代の文化としてのウィッカーマン https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィッカーマン
1973年にはイギリスでスコットランドの孤島を舞台とする『ウィッカーマン』として映画化され、
2006年にはニコラス・ケイジがアメリカ西海岸の孤島を舞台とする同名の『ウィッカーマン』としてリメイクした。
現在、スコットランドでは「ウィッカーマン・フェスティバル」(Wickerman Festival)という音楽祭が催され、巨像が造られている。
また、類似の催しとして、アメリカ・ネバダ州の砂漠で巨大な木製人形を燃やす「バーニングマン」がある。もちろん、これらのいずれにおいても人間や家畜などの生き物が燃やされることはない。

海賊となって海を渡り、石工職人となって身を隠した…
多くの犠牲者を出したテンプル騎士団は、スコットランドに 海賊となって海を渡り、石工職人となって身を隠した。
そして世界を裏で操る時を静かに待っていたのだ。 それこそ、フリーメイソンの始まりだと言われている。
フリーメイソンは海賊の始まり https://ameblo.jp/sukattostaff/entry-11008173952.html
…それこそ、フリーメイソンの始まりだと言われている。
海賊とフリーメイソンの繋がりをしめすものとして、墓石の表には海賊を表すドクロとクロスした骨が、墓石の裏にはフリーメイソンを表す石工の道具が刻まれている。

冒険商人が、東インド会社やレヴァント会社の設立に奔走した…
略奪で富み、貿易で栄えた大英帝国。躍進の立役者は海賊だった! 『世界史をつくった海賊』より
スパイス、コーヒー、紅茶、砂糖、奴隷……これら世界史キーワードの陰には、常に暴力装置としての海賊がいた。
彼らは私的な略奪にとどまらず、国家へ利益を還流し、スパイとして各国情報を収集・報告し、海軍の中心となって戦争に参加するなど、覇権国家誕生の原動力になった。
さらに、国際貿易・金融、多国籍企業といった現代に通じるシステムの成り立ちに深く関与していた。
厄介な、ならず者集団であるいっぽう、冒険に漕ぎ出す英雄だった海賊たちの真実から世界の歴史をとらえ直す『世界史をつくった海賊』より一部を紹介します。
…エリザベス女王は金儲けに目がなかった。https://book.asahi.com/jinbun/article/13219460
王室の財政を潤沢にし、イギリスを豊かな国家に成長させるためには、どうしても豊富な資金が必要であった。
第一の、そして最大の資金源は、海賊に盗ませた略奪品を転売することであり、第二の資金源は、大物の海賊とタイアップした黒人奴隷の密輸であった。
いずれもりっぱな犯罪行為であり、これら大型犯罪の言わば黒幕がエリザベス女王であったということになる。
「冒険商人」という名の海賊
 女王に海外情報を提供し、女王らを説得して海外貿易の強化と貿易会社設立を声高に主張していたのが、「冒険商人」と呼ばれる一群の貿易商人であった。
ハイリスクを覚悟して、遠洋航海に出掛けていった貿易商人の総称だが、単なる貿易商人ではない。なぜなら「海賊」という、もうひとつの顔を持ち合わせていたからである。
海賊と貿易商人の二足のわらじを履いていた人々──これが「冒険商人」の正体であった。
 冒険商人は洋上でスペイン船やポルトガル船に遭遇すると、襲撃や略奪を行う海賊でもあり、この意味で冒険商人と海賊は一体化していた。
ただ、ほぼすべての冒険商人は海賊になることはあっても、逆にすべての海賊が冒険商人であったわけではなく、両者を同義語として捉えることはできない。
ひとくちに海賊といっても、その正体は一様ではないからだ。
極端に単純化すれば、海賊には上流階級の社交界に出入りする富裕層もいれば、ロンドンの路地裏やプリマス港などで、その日暮らしをしていた下層階級の労働者もいたからである。
上流階級に属していた冒険商人が、東インド会社やレヴァント会社の設立に奔走したのであり、航海に出てスペイン船やポルトガル船に遭遇すれば、状況に応じて海賊へと変身を遂げた。

…シンジケート方式は、女王がみずから発案して採用したビジネス・モデルではない。
もともとジョン・ホーキンズらの大物海賊たちが、大西洋やカリブ海で海賊船団を編成するときに、こぞって採用してきた海賊のビジネス・モデルであった。
海賊のビジネス・モデルを企業経営に取り入れたのが東インド会社である。




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