近畿植物同好会 掲示板
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「らんまん」の南方熊楠
相良真佐美 投稿日:2023年09月12日 09:46 No.855
今日の放送では、南方熊楠から新種かどうか検定してほしいとハチクの花の標本が届きました。万太郎は南方熊楠とも交流をもちたいと強く思いました。

史実では、南方熊楠は1906年の勅令「神社合祀令」に、神社林は伐採され、自然景観の破壊や貴重な生物が絶滅するなどの理由で神社合祀の反対運動をしました。
https://www.minakata.org/minakatakumagusu/lifetime6/

万太郎が、熊楠から手紙をもらったことがあると徳永教授(モデル:松村任三教授)に伝えると、徳永教授も手紙をもらっていました。
「国が推し進める神社合祀令に反対している熊楠に深入りするな」と、くぎを刺されます。また、教授と対立が勃発です。

原本翻刻「南方二書」 南方熊楠が松村任三教授へ宛てた手紙
https://www.minakata.org/guidancepublications/minakatanisho/

10月28日、東京大学本郷キャンパスで『南方熊楠フォーラムin本郷「南方熊楠の植物学を語る」』があります。
https://www.minakata.org/news_20230901/
【申込期間】2023年9月15日~10月5日
抽選で150名ですから、あわてなくてもと思いますが、「らんまん」で人気が出るかも分かりません。



熊楠(ハチク)、大上(コヤスノキ) 藤井俊夫 投稿日:2023年09月12日 13:17 No.856
●南方熊楠のハチク標本
朝日新聞デジタル(有料記事)に、ハチクのことが記事になっていました(2023年5月12日)。
https://www.asahi.com/articles/ASR5C4DQYR58PLBJ00C.html

ハチクの標本は1903年9月27日の新聞に包まれており、那智勝浦町周辺で採集したものと考えられています。
竹の開花は、珍しいので標本を採集して送ったと考えられます。
1911年(8年後)に牧野からの返答があります。

*********●同時期に、兵庫でコヤスノキ発見●*********************************
●大上宇一
同じころ、兵庫県姫路市北部の新宮町(現在は、たつの市)の大上宇一も、トベラ科の標本を牧野に送り、牧野がコヤスノキとして新種記載しています。
B. M. T. 14: (31) & 32 (1900)
Makino,T. 1900.Plantæ Japonenses novæ vel minus cognitæ. (Continued from p. 12.). Bot.Mag.Tokyo. 14(157):en32-en34.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/14/157/14_157_32/_pdf/-char/ja

B. M. T. 18: 122 (1904)
Makino,T. 1904. Observations on the Flora of Japan. (Continued from p. 115.).Bot.Mag.Tokyo. 18(211):en117-122.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/18/211/18_211_117/_article/-char/ja

●自費出版の本が出てきた●
橋本光政。2013.兵庫県・花の歴史短報。自費出版。姫路。12000円。
カラー写真が多く、全項目をアート紙で制作したため、1冊、2.6kgと、重い。
 前半:200ページは、写真を掲載(カラー写真:約2000枚)。
 後半:350ページは、兵庫県の植物相解明に貢献した人物:ケンペルに始まって、頌栄短大の兵庫県維管束植物目録作成まで。
●兵庫県と牧野富太郎のかかわりも解説されています。


コヤスノキ 相良真佐美 投稿日:2023年09月12日 15:06 No.857
姫路市立手柄山温室植物園の5月の絶滅危惧種展でコヤスノキが展示してありました。
牧野富太郎は新種発表の21年後に大上宇一の自宅を訪ねていました。




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