近畿植物同好会 掲示板
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台湾の植物研究に関する日本の貢献
藤井俊夫 投稿日:2023年09月01日 13:05 No.822
台湾の植物研究に関する日本の貢献

●台湾の日本統治期間
日清戦争の結果、下関条約によって台湾が当時中国大陸を支配していた清朝から日本に割譲された1895年(明治28年、光緒21年)4月17日から、第二次世界大戦が終結して日本の降伏後、中華民国政府の出先機関である台湾省行政長官公署によって台湾の管轄権行使が開始される1945年(昭和20年、民国34年)10月25日までの時代である。
1895年(明治28年、光緒21年)4月17日から、1945年(昭和20年、民国34年)10月25日までの時代(約:50年間)。

牧野富太郎が1896年(明治29年)台湾の資源植物を調査した。
島田弥市が、1904年(明治37年)台湾総督府:農事試験場(雇)となる。
早田文藏が、1905年に東京帝大助手をしながら台湾総督府の嘱託となり、台湾産植物の研究を行う。
      『台湾植物図説(全10巻)』を刊行する(1911-1921)
       上記、書籍の中で、1500種以上の新種を記載している。
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●島田弥市。1969。島田弥市自伝。植物分類地理。24(3):90-104.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunruichiri/24/3/24_KJ00002992854/_pdf
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早田文藏(はやた・ぶんぞう)
●日本語版Wikipediaを参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/

1903年(同36年)に東京帝大理科大学動植物学科を卒業。学生時代の1900年に初めて台湾を訪れて台湾植物の研究をはじめた。
1905年には東京帝大助手をしながら台湾総督府の嘱託となり、台湾産植物の分類を研究。
台湾植物についてタイワンスギ(台湾杉:Taiwania cryptomerioides Hayata 1908)をはじめ1,636種を命名したことにより、「台湾植物の父」とも呼ばれる。
 日本李登輝友の会(since2002)
http://www.ritouki.jp/index.php/info/20171006/
●国際協力
東京大学総合研究博物館と台湾との学術協力
東京大学教授であった早田文蔵(1874-1934) は台湾産維管束植物を精力的に研究し、『台湾植物図説(全10巻)』(1911-1921)をまとめた。
 東京大学総合研究博物館ニュース(Vol.15.: No.01)
https://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v15n1/v15n1_ikeda.html

●早田の記載した植物の例
例:
アリマウマノスズクサ(ホソバウマノスズクサ)
Aristolochia shimadae Hayata(1916)
(Synonym: Aristolochia onoei Franch. et Sav. ex Koidz.)
日本の統治時代に台湾の植物を研究した早田文蔵が島田弥市の採集した標本をもとに『台湾植物図説(全10巻)』の中で、学名を命名記載した(1916)。
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蛇足:
アリマウマノスズクサのsynonym(同物異名:A.onoei)の標本は、フランスのパリ国立自然史博に収蔵されている。
この標本を研究したフランチェとサヴァチエリが「A.onoei」の学名を記載発表している。
(フランス語の発表なので、正式な発表とは認められず「裸名:nomen nudum または nom. nud.」となる。

Enumeratio Plantarum in Japonia Sponte Crescentium....(1875-)

京大の小泉源一が、正式な発表を行っている。Acta Phytotax. Geobot. 8: 50 1939.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunruichiri/8/1/8_KJ00002594532/_pdf/-char/ja
 Nom. Jap.: Mitsude-umanosuzukusa
 Hab. Japonia: leg. M. Ono! Herb. Mus・ Paris,(Savatier no.2920.)
 Prov. Settsu,Takedawo (leg.Inumaru,23 Juni 1935)
●藤井注:1935年に武田尾で採集されている!

種小名のonoeiは、江戸時代の本草学者、小野蘭山を記念したといわれる。
この標本は明治時代に宣教師として来日した、U.Faurie(1847-1915)が日本滞在中の2年間(1873年ー1874年)に採集した標本で、1セットを神戸の岡崎忠雄(1884-1917)が買い上げ、京都大学に寄付した。
日本に残った1セットの標本の買い上げに京都大学の郡場寛、小泉源一もかかわっている。
Faurieは、1913年に台湾にも行っている。
Faurie Collectionは、現在の京大標本庫(KYO)のcollectionの母体となっています。

日本語版Wikipediaの「ユルバン・ジャン・フォーリー」(1847-1915)
白岩卓巳。2008.牧野富太郎と神戸。神戸新聞総合出版センター。1600円。絶版か?
(ちっちゃいけど、牧野が描いたヤッコソウの彩色画【植物学雑誌25巻299号】の図が載っている。
 併せて、ツチトリモチ、コオロギラン、ノジギクも)

Franch. et Sav.の、U.faurie Collecitonを用いた研究の著作。
Enumeratio plantarum : in Japonia sponte crescentium hucusque rite cognitarum, adjectis descriptionibus specierum pro regione novarum, quibus accedit determinatio herbarum in libris japonicis So mokou zoussetz xylographice delineatarum
(1875-)

渡邉-東馬 加奈, 大井-東馬 哲雄。2016.調査報告:日本産オオバウマノスズクサ群の分類学史およびオオバウマノスズクサとアリマウマノスズクサの混同について。
分類。16巻: 2号: p. 131-151。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunrui/16/2/16_01602-06/_pdf/-char/ja




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