近畿植物同好会 掲示板
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矢田部教授は8月9日に石鎚山に行かなかった
相良真佐美 投稿日:2023年08月18日 20:32 No.795
NHKドラマ「らんまん」で、「山元虎鉄」(寺田心)という少年の実在モデルは2人いるとされています。
 1人目「山本一」  中学教師で、引率した生徒がヤッコソウを見つけ、採集品を牧野富太郎に送り検定を依頼。
 2人目「吉永虎馬」 教師で若い時から牧野富太郎の植物採集に従事。牧野の9歳年下。キレンゲショウマを発見。
2人の名前を合成してドラマでは「山元虎鉄」となりました。

キレンゲショウマは矢田部良吉教授(ドラマ:田邊教授)が発見しましたが、吉永虎馬は記載に誤りがあるとしました。

  吉永虎馬は「キレンゲショウマ発見当時の話」として植物研究雑誌 7 巻 2 号 に掲載 発行日: 1930/10/23。
  以下が原記載です。タイトルは43ページ。本文は44~53ページです。
  https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjapbot/7/2/7_7_2_907/_pdf/-char/ja

 吉永虎馬は上記の本文に詳しく書いていますが、簡単にまとめると
 
1888 年
 8月3日 吉永虎馬が伊予国石槌山北側で宿泊した小屋から水くみのため100m下った渓間で本種を発見、採集した。
 8月7日 ちょうど土佐経由で石槌山に採集旅行に来ている矢田部博士に検定してもらうため、宿泊先に行き採集品を見てもらった。
     博士は「黄花でレンゲショウマに似ているのでキレンゲショウマとでもしておくが、東京へ持ち帰り調べる」となった。
 8月9日 一行は石槌山に向かったが、途中の名野川山国有林路傍で同種が見つかり採集し、石槌山には誰も行かなかった。
1890年
 10月   虎馬の兄が博士から果実採集を頼まれ、石槌山産のつもりで果実を送ったが、黒瀧山産と気づき、博士に産地訂正を依頼した。
 12月10日 矢田部博士は「植物学雑誌 4巻46号発行」
     
ということで、吉永虎馬は「キレンゲショウマ発見当時の話」の48ページに
 (1)矢田部博士が、1888年8月9日に石槌山(現・石鎚山)で自分が新種を発見したと発表。名野川山産を石槌山産と偽って標本にした。
 (2)論文用に兄に果実送付の依頼あり、間違えて石鎚山から40kmほど離れた黒瀧山産を送り、すぐに訂正をしたが石槌山産と同一場所と記述。
と書いています。
後編は牧野富太郎の話として、矢田部良吉博士は強情で、見栄っ張りで、権威に傷をつけられるのを心配する人と、半分愚痴がつづられています。
矢田部博士が亡くなってから30年経っても、牧野富太郎と吉永虎馬の二人は、矢田部博士の相当つらい思い出が消えないようです。


《添付画像》
 先日、藤井先生からも紹介がありましたが、吉永虎馬が異議を唱えている矢田部教授の新属発見の記載は以下です。
 植物学雑誌 4巻46号 1890 年(明治23年)12月10日発行 A New Genus of the Order Saxifragaceæ. Ryokichi Yatabe 
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/4/46/4_46_433/_pdf/-char/ja
 
 添付画像は、その中の矢田部教授が発見した場所と果実の入手についての、434ページの英文の抜粋と拙訳です。

確かに矢田部教授が中心となって検定したので、発見者は矢田部良吉としてもいいと思いますが、
その時は行かなかった石鎚山に行ったとしたり、採集品や果実を石鎚山産と偽る必要はなかったと思います。




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