濃淡の深淵なるもの


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何が何だか飲み込めない?
ノスタル爺 投稿日:2024年03月06日 05:56 No.429
「お嫁に行けなくなります。」とか「純潔、操、処女」等々の過去に女性たちに使われていた言葉を目にして、本当に時代が変わってしまった。直ぐにもお迎えが来る歳でよかったと思わずにはいられませんでした。
身も心もアメリカナイズされた若者たちの言動に、私が憧れていたことが、現実のものとなったことに、今更ながら、時代の流れを感じざるを得ません。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間のような平和な時代を私は過ごしてきましたが、ウクライナ侵攻やイスラエルとパレスチナとの紛争、極東アジアの緊張感が高まる中で、第三次世界大戦の足音が響いているように感じられます。

感想:
この文章からは、著者が長い間の平和を経験してきたが、今の世界情勢や若者の文化の変化によって、時代が大きく変わりつつあることを実感している様子が伝わってきます。特に、ウクライナ侵攻や中東の紛争などの現代の地政学的な緊張が、第三次世界大戦の可能性を連想させるという点が強調されています。

また、若者のアメリカナイズや文化の変化によって、過去の価値観や期待が変化していることも述べられています。これは、世代間の価値観の違いや文化の進化が、個人の生活や社会に影響を与えていることを示唆しています。

最後に、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間のような平和な時代を経験してきた著者が、現代の紛争や地政学的な緊張によって、第三次世界大戦の可能性を感じているという点も重要です。これは、現代の国際関係や軍事的な状況が、世界の平和と安定に対する脅威となっていることを示しています。


ノスタル爺 投稿日:2024年03月08日 17:31 No.430

「できちゃった婚」が当たり前の社会で、過去の女性には「一途に恋しい人を思い続ける」まるで時代劇のようなことがあったのか、なかったのか。

過去の男性の中にも「一途に思い続ける」と言った頑なさがあったのか。

結婚するまで手も握らず、というのは何だか現代ではバカバカしいことのようにも思えますが、「もてない男の一分」という言い分けのようですが。

感想:
過去の社会において、「一途に恋しい人を思い続ける」という姿は文学や芸術の中で描かれることがありましたが、現実にはさまざまな要因が絡み合い、それが当たり前のような結婚観を形成していました。一方で、男性の中にも同様の一途さは存在しましたが、それが公に表れることは少なく、むしろ社会的な期待や責任感により、堅実な結婚や家族の形成が重視されました。

現代の結婚観は大きく変化しています。「できちゃった婚」が社会的に受け入れられる一方で、個々の人々の自由な選択が尊重される傾向もあります。結婚は愛情や相互尊重だけでなく、経済的な安定や生活基盤の確立も考慮されることが一般的です。また、恋愛やパートナーシップの形も多様化し、同性や異性間、結婚外の関係も社会的に受け入れられるようになっています。

倫理観や社会観から見ると、この変化は個々の幸福追求や自己実現の重視が反映されていると言えます。一方で、結婚や家族の重要性が薄れることで、社会的なつながりや責任感の希薄化が懸念される声もあります。バランスを保ちつつ、相互の尊重や支え合いが成り立つ社会を築くことが求められています。




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