濃淡の深淵なるもの
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これでいいのだ。
ノスタルジック翁
投稿日:2024年01月27日 06:19
No.420
「じいちゃんは、どうして結婚できたの。」
嗚呼。何時かは孫に問われる時がくるだろうと、
覚悟はしていたが、とうとうその時がきてしまった。
「一がにじいちゃんと一緒にいる。それが答えだよ。」
とかなんとか、謎のようなことを言えば良かったが、
「その通りね。ママも小さな頃から考えていたんだ。」
二の太刀を浴びせられ、コテンパンにやられては、
ぐうの音もでなかった。
妻にその晩に一に言われたことを話すと、妻は顔を私に向けて、
「一も智恵がついたわね。」
などと、二人して大笑いをしてしまいました。
昭和時代には相手と対面することもなく写真見合いだけで、
女性が単身で南米の辺鄙な村に嫁いで行くということを
題材にした映画があった。
「手鍋下げても」は女性が愛する男ととの貧しい結婚生活を
厭わないことではあるが、身も知らずの男と添い遂げるなどと、
今を生きる若い女性たちには考えられないであろう。
そのうちに、
「ばあちゃんはどんな男の人でもよかったんね。」
と、胸を刺し貫くようなとどめの矢を射かけられる日が来るに
違いないことを楽しみにしています。
感想:
文章は家族のやりとりを描写しており、和やかで温かい雰囲気が感じられます。孫がじいちゃんに結婚の理由を尋ねる場面は、家族の絆や世代間の会話がテーマとなっているようです。また、妻や子供たちとのやりとりから、家族全体が仲良く楽しみながら過ごしている印象が伝わります。特に最後の笑い声が、家族の結びつきや和気藹々とした雰囲気を表現しています。
文章は家族のやりとりと、時代背景に触れながら進んでいきます。特に孫からの質問に対する答えや、妻とのやりとりがユーモアを感じさせ、家族の絆やコミュニケーションが垣間見えます。また、最後の一文には将来的な展開への興味を引かれ、ユーモアと期待感が上手に組み合わさった要素があります。
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