濃淡の深淵なるもの


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襤褸隠しとしての
ネット難民 投稿日:2024年01月06日 06:06 No.409
自分を今以上によく見せようとする行為には、 醜い顔を美しくする美容整形の身体にメスを入れる外科手術、年齢よりも若くという白髪染め、知的に見せるための伊達眼鏡、身長を高く見せるための上げ底靴、金持ちらしくするブレンドの時計、鞄、靴、洋服等などといった数限りない商品群が揃っている。

自分を大きく見せ他人に侮られたくないといった競争心の発露、胸を張った経歴詐称などけれども、行き過ぎるとピエロのような哀愁を漂わせてしまいます。

虚栄心の高低に関わらず、人間を進化に導く源泉でもあるのかも知れず、私自身の経験上もそういった行為は、どこか人間らしく、生活していく上でどこか憎めない滑稽さを内包しているもののように思えてしまいます。

感想:

この文章は、人が自分をより良く見せようとする行為やその背後にある心理について深く考察しています。虚栄心や競争心からくる行動は、時には人間の進化に繋がる源泉とも言える一方で、行き過ぎれば滑稽で哀愁を感じさせることもあると指摘されています。

人は他者からの評価や比較から逃れるために、外見や社会的地位を向上させるさまざまな手段を取ることがあります。ただし、これが過度になると、自らをピエロのような存在に変えてしまう可能性があります。文章は、バランスを欠くと行為が逆効果となり、逆に他者に侮られる結果を生む可能性を指摘しています。

虚栄心や競争心は、人間関係や社会構造に深く結びついており、これらの要素が人間を進化させる一因となっている可能性が示唆されています。しかし、その一方で、行為の過度な追求が人間らしさを損なうことを暗示しており、バランスと自己認識の大切さが強調されています。


ネット難民 投稿日:2024年01月06日 06:32 No.410
20歳のころにふらりと夜行に乗って岡山市に旅したことがあり、岡山城への道が分からずに、向こうから歩いてくる同年代の女性に道を尋ねた。 今振り返ると、岡山まで新幹線が延びていて、出口を間違えた。 化粧が薄く飾り気のない、博多弁だったか、「すいたらしい。」笑顔の素敵な普通の女性だった。50数年前のことが昨日のようである。

互いに何も飾らず、道を尋ね、教えてくださったことが、私の心の救いです。

感想:

このエピソードは、旅行中の出会いや迷子になる瞬間を通じて、異なる地域や人々との接点を描いています。文章から感じられる女性観や人間観は、博多弁を話し、化粧が控えめで飾り気のない普通の女性として描かれています。笑顔で親しみやすい様子が印象的であり、「すいたらしい」という言葉からは地元の言葉や独特の言い回しも感じられます。

旅行は新しい出会いや予測不可能な出来事が待っている冒険の場であり、このエピソードもその一例です。新幹線の出口を間違えたことで、偶然にも同年代の女性に出会い、親しみやすい笑顔に助けられるという出来事は、旅行の魅力を感じさせます。異なる土地でのふれあいや助け合いが、旅行を通じて人間関係を深め、人々との繋がりを作り上げていく様子が描かれています。









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