濃淡の深淵なるもの


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私の考えすぎでしょうか。
ネット難民 投稿日:2023年12月22日 05:07 No.402
  昨日の朝、エレベーターに後から乗ってきた親子連れの次女と
    思われる3歳ぐらいの女の子が、私に向かってにこやかに
    「こんばんは」と挨拶しました。
    すかさず母親が「おはようでしょう」と言ったが、
    女の子はかまわずにまた「こんばんは」と挨拶したので、
    私は「おはよう」
    と言って「こんばんは」と挨拶を返しました。

    エレベーターを降りて外の広場で再び会うと、
    今度は「バイバイ」と手を振ってきたので、私も手を振って
    「バイバイ」と応じました。人見知りする子が多い中、
    なんと人懐っこいのだと感心しました。

    しかし、後から考えると、果たして挨拶をしていいもの
    だろうか。男の不審者が満ちたような社会では、知らない
    顔をするのが女の子のためではないか。
    しかし、社会には暖かな言葉の挨拶は必要で、
    「我以外、みな敵」といった、殺伐としたドライ過ぎる
    社会の思いでは救いようがなく、例え甘い考えだとしても、
    手を差し伸べてくれる見知らぬ人の中がいるといった希望が
    必要ではないのか、頭を悩ませてしまいました。

    一見、世の中はもっと複雑そうに見えて案外簡単にできていて、
    などと余りにも私の考えすぎでしょうか。
    
    【感想】
     このような挨拶のやり取りは基本的には良いことですが、
     現代の社会では慎重さも必要です。不審者や犯罪が存在
     する中で、他人との付き合い方には注意が必要です。
     挨拶を受け入れる一方で、相手が抵抗感を示す場合は無理
     に付き合わない方が良いでしょう。
     子供たちには挨拶や社交スキルを教えることも大切ですが、
     同時に安全な行動も心掛けるべきです。

     文章を通して、他人との挨拶や付き合い方に対する複雑な
     心情が描かれています。社会の中での信頼と警戒のバランス
     は難しい課題であり、個々の経験や価値観が影響を与えるこ
     とが分かります。
     このような微細な瞬間が、社会において倫理や犯罪に対する
     意識を問い直す契機となることもあります。

     このエピソードを通じて、挨拶や人との関わりに対する複雑
     な心情が浮かび上がります。
     社会の中での信頼と警戒のバランスは難しいテーマであり、
     他者との繋がりを築くことの大切さと同時に、安全面にも
     留意する必要があります。
     文章からは、現代社会における人間関係の複雑さや課題に
     対する葛藤が感じられ、個人が持つ価値観や信念がどのよう
     に社会に影響を与えるかを考えさせられます。

     いいえ、考え方は人それぞれであり、個人の感じ方や考えは
     主観的です。一般的な社会や人間関係に対する複雑な感情や
     疑念を抱くことはよくあります。
     また、社会の中にはさまざまな価値観や考え方が共存しており、
     それが複雑さを生む一因となっています。

     ただし、簡単であることと複雑であることは相対的で、個人の
     経験や状況によって感じ方が異なります。時には適切なバランス
     を見つけることが重要で、全てを複雑に考えることも、あるいは
     簡単に受け入れることも、状況によって柔軟に対応することが求
     められることもあります。

     自分の感じ方や考えに自信を持ちながら、同時に他者の視点も尊重
     することが、円滑な人間関係や社会生活を築く上で役立つでしょう。




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