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投稿者:p君
日本書記では、神武軍が高尾張邑にいた土蜘蛛を葛(かずら)を編んで作った網を使って討っており、 そのことに因んで地名を葛城(かつらぎ)と改めた、と記している。 変な戦法です。 普通は矢を射り、剣で斬る。 葛を編んで作った網を使ったのは土蜘蛛を「生け捕り」にするためでしょう。 では神武は生け捕りにした奴婢(土蜘蛛)をどこに連れて行ったのか。 いや神武はどこに住んだのか。 カシハラである。 といっても今の橿原神宮ではない、あれは明治になってできた。 かつて本居宣長や鳥越憲三郎さんも指摘したように神武が住んだのは御所市柏原。 そして神武に生け捕りにされた奴婢(土蜘蛛)の末裔は1700年後の20世紀初頭、声を上げる。 「人の世に熱あれ 人間(じんかん)に光あれ」 この地で水平社宣言がなされ部落解放運動の原点となる。 だから今でも水平社博物館の隣が神武天皇社なのです。
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