投稿者:5期生 ひろせ
10月6日から4日間、関東方面へ出かけていました。
お盆と正月の中間に東京の孫と会うのが主な目的でした。
せっかく高い交通費をかけるので、ついでに周辺を見て回ろうと、
5日夜 日が変わった0:33に大阪からサンライズ出雲に乗車
6日朝 東京→高崎→富岡→軽井沢(泊)
7日 軽井沢→安中→高崎→吉祥寺(懇親会)→川崎(泊)
8日 築地→銀座→品川区の孫に会う・ラグビー観戦→川崎(泊)
9日 川崎→桜木町→横浜→品川区の次男宅→新横浜→京都
さて、第二の目的は、群馬県安中市にある新島先生ゆかりの地を訪れること。
10月7日土曜日、午前中に軽井沢の観光を終え、前日に高崎で借りたレンタカーで碓氷峠を越えて安中市へ。
まずは、碓氷郡役所跡へ。古き安中の展示がありましたが、中には新島八重子の書簡も展示されていました。襄がなくなってからの書簡でした。
ひととおり見てから、お向かいの
安中教会へ。1919年に新島襄没後30周年として建設された教会堂です。初代牧師は、熊本バンドの海老名弾正。
2週間前に予約の電話を入れていたものの、御都合がつかないとのことで、鍵がかかった門の外から外観の写真を撮ろうとしていたら、「入りたいの?」とのお声?
コンサートの準備に来られたオルガニストの女性が門の鍵を開け、教会の中に招き入れてくださいました。
教会は、今出川のチャペルを少し小さくしたような感じ。
そのうちに、朝日牧師もおいでになって、建物のことを詳しく説明してくださいました。厚かましくも2階や鐘楼にも登らせていただきました。
御説明で聴きましたが、床は節目のない木材で張られ、壇の両側の石柱は真っ白な大理石。これらもステンドグラスも建設当時のままだそうです。外壁は大谷石。ロマネスク様式の会堂です。
新島襄の肖像画、今出川のチャペルとは少し違います。
気持ちばかりの寄付をして、
湯浅治郎が経営していた有田屋と、
新島旧宅へ。
時間が押してるっ!