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[747] ここは何処?11(答え合わせ) 投稿者: 快速つくばね 投稿日:2021年11月19日(金)22時03分10秒 通報 返信・引用 編集済 西邑 宏 様  解答ありがとうございます。自問自答?やむなしと思っていましたが、全問正解していただきました。  写真1は、東海道本線瀬田駅の開業直後の光景です。当時の平均国鉄駅間距離が4kmに対し草津-石山間が7.7kmであることなどから、地元からの瀬田駅開設の請願と東海道本線の草津-京都間の複々線化工事関連から1969年8月12日に 複々線化に先行して瀬田駅が新設されました。その後、草津-瀬田の間に1994年9月4日に南草津駅が開業しました。この駅の乗車人数は滋賀県第1となり、新快速も停まりますが、先輩の瀬田駅は現在も通過しています。  写真2は、社会人になり関東に居住することになり、初めて横浜を訪れた時のものです。まだ市電網が張り巡らされていましたが、それほど興味もなく通りがかりに撮ったものです。写真を拡大するとピンボケですが信号機の標識に「高島町」と表示されています。東急東横線の向こう側は、5年前の1964年に桜木町-磯子間 7.5kmが延伸開業して根岸線となった国鉄のガードがあり、道路を隔ててその向こう側に国鉄の横浜機関区(高島機関区)がありました。この機関区には最終期にはポートトレイン用の8620形と都会には珍しくC56形が配置されていました。配置の最後の2両となったのが、C56139とC56160です。139号機は、1965年に廃車後、中央鉄道学園で教習用となりましたが、1986年に同学園が閉鎖されたため、神奈川臨海鉄道が引き取り、修復の上故郷の横浜本牧駅機関庫内で保管・維持されています。160号機は、ご存知の通りC56形のラストナンバー機として完成し、主にSL北びわこ号の牽引機関車として活動していましたが、JR西日本の京都鉄道博物館構内で動態保存されています。  写真3は、1969年3月3日西邑さんと同行して立野で途中下車をし、高森線のC12を撮影した時のものです。その時の行程は、[354] Re: 『和気あいあい・ホームページ合宿ミーティング』を参照してください。 *写真1:横浜機関区前を走る横浜市電。機関区の跡地は、現在「横浜みなとみらい21」地区の一部となっている。 *写真2:立野駅構内 *写真3:高森線のオハフ33212。オハフの前の小丸印は、横川-軽井沢間の通過対策済みの表示。通常碓氷峠を走行することは考えにくいが、多客期に熊本客車区から貸し出され、信越本線の臨時急行に使用される可能性があったのであろうか。
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