投稿画像

25

投稿者:とら
穴銭初心者様 T様がお手すきに成られたらたら、回答があると思われるので、ちょっと間に書き込ませて下さい。 関西のT様 タジさんと同年代とは驚きでした。 不知銭みたいな地味な物に造詣が深く、てっきり自分と同年代か、その上と思っていました。 師の一人が、子供たちより若いとは世の中分らぬものです。 タジさんにご慶次があったようで、おめでとうございます。 このような地味なことやってて大丈夫かと心配していましたが、一安心です。 早速、同様なもの無いか調べてみました。 今回はB級品なので沢山あるかなと思いましたが、思いのほか少ないようです。 1枚目など所有していないかと思ったら、天上刔輪・背刔輪不整輪とタグにあり、英泉譜1161番現品でした。高頭通と気づいていませんでした。 2枚目は、2題目の4番目の姉妹のようです。これはよく見ればもっと所有していそうです。肉眼ではわからないが、スキャンして比較すると玉の2画目が斜めになっていました。 サイズは 左・長径48.14mm、短径31.58mm、銭文径40.9mm、内径44.0mm、量目19.61g。 右   48.81mm、  32.80mm、   40.5mm、  43.2mm、  21.90g。 3題目は膨大な山をあされば出てくる可能性もありますが、火中品と思い無視してしまっていそうです。 鋳造地ですが、これが単なる火中品でなく、あえて鋳造したものであるとすると、水戸を除く茨城、千葉はありえないと思います。 江戸周辺は、上方ほどではないにせよ、貨幣経済の先進地です。 また、19世紀初頭には、関東取締出役(八州廻り)が創設され、御領、私領、寺社領の区別なく取り締まりが行われていました。 千葉などは、天領、小大名、旗本、相給地など混在し、現在で言ったら町内に殿様が何人もいるところもあったのです。 水戸領も斉昭公など健在なら、贋金など作れなかったでしょうが、維新前後は大混乱で、何があったか分かりません。明治になりさらに混乱していました。 インフレが進んだ時代、小規模の天保銭の鋳造など採算が合うはずがありません。地域経済がめちゃくちゃにされた、東北、水戸ぐらいだったら? 天保銭の製造は儲かったなどの説がありますが、それは誤りです。 現在の貨幣でも、1円5円は赤字、10円でチャラぐらい、500円なら大儲け。 でも、日本政府は500円玉で大儲けというでしょうか、1万円札はさらに大儲け。 でも限界を超えて発行したら価値がなくなります。 通貨の発行は公儀の専管業務です。発行できぬと経済が回りません。 赤字でも鉄1文銭・4文銭の発行が必要です。 水戸の当百銭も1・4文銭鋳造の赤字の補填の許可になったと記憶しています。 当初の薩摩などは公儀に対する対抗もあったかも知れないが、基本は転戦する末端兵士の手当の為ではないでしょうか。女郎屋やはたごは偽物の2分金では払えないし、藩札など受け取ってもらえないでしょう。 何れにしても、儲けようと思ったら、高額通貨や紙幣です。 ですから、高額通貨や紙幣が使えるなら、当百銭などいらぬのですが、当百銭が発行されているところは、紙幣が乱発されその価値が著しく低い地域なのです。 また、経済が破綻し、収入が少ないが、原材料を確保できる地域なら、明治になっても1枚8厘になるなら、鋳造したはずです。 ただ、水戸の当百銭を請け負っていた川崎八右衛門は八大財閥の一つ、川崎金融財閥と成長しました。
投稿記事
画像を拡大