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投稿者:協調情報管理室長アンナ・アルフベン
さて、問題になるのが次ですね。そう、1940年5月に起きた北極戦争です。 これのそもそもの契機はフィンランドが突然インターナショナルに宣戦布告をした事です。 ‥‥スカンディナヴィア側の宣戦布告の理由はオーランド諸島のトゥルク条約における自治協定違反等、在外スウェーデン民族の保護というのが表向きの理由です。 実際はインターナショナルに占領される前に、という事は誰にでもわかっていたことでしょうがね。 さて、対インターナショナル宣戦布告の実態ですがようやくある程度の実像が見えていきました。 まず一つ、ドイツ帝国は39年夏の大攻勢で事実上崩壊し帝国全土をフランスが掌握、ドイツは沿岸部をかろうじて占領しているのみです。既に帝国政府は皇帝の義弟たるカールレ一世を頼りヘルシンキに亡命しています。 ‥‥そして、北極戦争後に勃発した露仏戦争の契機になったのはプロイセンにおける旧帝国軍によるクーデターです。 しかし軍備が不足したことで瞬く間に制圧されてしまいました。 不思議なことにそうでありながら、彼らは即座にロシアと同盟を組んでいる。 独露双方に強いパイプのあるフィンランドを経由して事前交渉があったのだと推察されます。 早期の占領を受けた裏で地下組織を作成したのは、紛れもなく世界帝国の手際を発揮したというべきでしょう‥‥ 私の見通しでは、まず占領下のドイツ帝国全土で武装蜂起が発生し、それに呼応する形で露芬両国がインターナショナルに対して宣戦、協商等の介入も合わせてインターに逆襲する…。そんな絵を描いていたのではないでしょうか。 何にせよ、デニーキン政府との間で対仏宣戦の交渉を行っていたことはまず間違いないでしょう。 しかし、本土の地下組織の準備を待たずにフィンランドは何故か宣戦布告をしました。 ‥‥恐らくカールレ王と亡命政府間の交渉でなにかがあったのでしょうが現時点では不明です。 結果としてロシアは呼応せずフィンランドは孤立、スカンディナヴィアはボスニア海の対岸‥‥ストックホルムの目と鼻の先にワーカーズネイビーと海兵隊が進駐する悪夢を避ける為に宣戦布告を行いました。 おおよそ4ヶ月でフィンランド全土を制圧し構成国として外交主権を連合政府に移管する事が決定されました。 英仏も対露戦に備える為にこれを承認し、一時的に北欧はスカンディナヴィア主権のもとに平和を得ることになりました。 [/大]
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