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協調ブロック情報管理室のオリエンテーション(フィンランド史編)
協調情報管理室長アンナ・アルフベン 投稿日:2019年08月29日 20:49 No.2119
さて皆様お疲れ様です。
第二回オリエンテーションを開催しますねぇ。
本当はスカンディナヴィア左派の歴史についてオリエンテーションを行う予定でしたが
プログラムを変更させていただきます。
今回はフィンランド史についてオリエンテーションを行いますよぉ。

正直訳が分からないという方が多いと思いますので私なりにまとめてみました。
よろしくお願いします


一般進歩党系職員 投稿日:2019年08月29日 20:51 No.2120
(ついに始まった二度目のオリエンテーション……今度はついうっかり騒がないようにしなきゃ……)

一般太陽教系職員 投稿日:2019年08月29日 20:52 No.2121
(フィンランドの状況ほんと意味不明だからな……)

一般北欧党系職員 投稿日:2019年08月29日 20:53 No.2122
(がんばえー)

情報分析課主任メランダル 投稿日:2019年08月29日 20:57 No.2123
さて、まずは年表を配布する

まず着目するべきはフィンランドの成り立ちだ。
ロシア内戦介入の結果としてドイツとロシア白軍勢力の妥協で独立した国である事に注目して欲しい。

それに対して反乱を起こしたのがクーシネン達社民党左派‥‥現フィンランド共産党を構成する連中だ。
だが左派の若手議員だったヴィロライネンはこれに反対して社民党右派と行動を共にしている。

スウェーデン系の王党派が中心の議会はヘッセン=カッセル方伯家のフリードリヒ・カールの戴冠を決定し、ドイツもこれに応えて戦艦と陸軍師団を送って白軍を支援したことで赤衛軍は崩壊し、内乱は終結した。

そして、フリードリヒ・カールは「カールレ一世」としてフィンランド国王に即位したわけだ。…ところで、カールレ一世の妻はヴィルヘルム皇帝の妹。フィンランドの王党派はドイツの支援を当初から当て込んでいたわけだな。
ドイツはこれでフィンランドの内外にカールレ一世の戴冠を認めさせ、結果としてドイツ勢力圏の壁としてフィンランド王国が作られたのさ。
この内戦時に赤軍支配地だったカレリア南部とイングリア地域の軍政顧問になったのがこの地域の生まれであるヴィロライネンだ。そして奴はクーシネンら赤軍首脳部の亡命を手助けしている。
‥‥一方で既にドイツはグレーナー将軍指揮下で白軍支援を本格化させていた。翌年の白軍によるペテルブルグ奪還に向けた布石として何か取引があったことは間違いない。


協調情報管理室長アンナ・アルフベン 投稿日:2019年08月29日 21:01 No.2124
当時の情勢はこのような形ですねぇ。
元々フィンランドは「フィンランド大公国」としてロシア帝国から自治権を認められており、議会はロシア時代から存在していました。
ですが国内事情は非常に苦しい状況です。
国王・カールレは顧問団としてドイツ帝国の官僚をつれてきてドイツ帝国衛星国として実権を奪おうと画策しています。

議会有力政党である社民党は左派が地主と敵対してボルシェビキの支援を受けて大規模な内乱を起こしたばかり

経済もまた、自国の内乱とロシア内戦によってボロボロ。

そしてなによりロシアは内戦の真っ最中、独立後の国境もはっきりしないままでした。

対外強硬派と軍部は大フィンランド達成とそれによる主導権確保のために行動を起こします。


情報分析課主任メランダル 投稿日:2019年08月29日 21:09 No.2125
対外拡張を進める連中は、同じくロシアから独立したバルト連合公国と組んで
フィンランド系が住まう地域を独立させようとフィンランドは軍事的な干渉を続けた。

その中で最終的な勝利を飾ったのが1921年の東カレリア大反乱だ。


軍部が反乱扇動と支援によりロシア共和政府軍に対し勝利を得た事。
ドイツ帝国への外交支援を勝ち取ったカールレ王ら親独派とロシアへの交渉を主導したマンネルヘイム将軍によってトゥルク条約を締結した。
条約の結果、フィンランドは広大な東カレリアの一部を編入しただけでなく、バレンツ海への重要な拠点であるペッツァモ州を獲得したのだ。
これによりバルト海航路を使わなくても資源の確保が可能になった。
また、このトゥルク条約により瑞芬の係争地であったオーランド諸島の支配権もドイツの圧力でスウェーデンに対して獲得する事ができた。

これによって初代国王であるカールレ一世は軍部と右派の支持を盤石なものにすることができたんだ。

一方、内政面ではドイツからの支援に支えられている事からフィンランド議会は指導力を発揮することができず、対外政策で領土拡張に成功したカールレ王以下親独派と軍部に主導権を奪われつつあった。
…まぁ、議会で主導権を握っていたスウェーデン系は王党派がほとんどだったわけだがだからといって側近の官僚に権限を奪われたくはないという事さ。

そして1925年にイギリス連合政府の確立により英仏の協調関係が生まれた事で亡命していたクーネシンらが帰国し、フィンランド共産党を結党。
かつての反乱軍の恐怖が再来したことで国内の断裂と混乱はさらに深まっていく事になる。


協調情報管理室長アンナ・アルフベン 投稿日:2019年08月29日 21:14 No.2126
さて、ここまでがカールレ一世の権力確立についてですねぇ。
次に登場するのがラプア運動です。


1930年にドイツは戦後の経済復興を推進したティルピッツ首相が在職中に死亡した事により一時的な混乱に陥りました。
ベルリンの株価は36年ほどでないにせよ急落し、ドイツの勢力圏諸国は不況に突入しています。
その影響もあったのでしょうね。
議会制への不信感が高まったポフヤンマーの農村部の自警団と保守的な富裕層はコソラを旗頭に大集会を開き、これをラプア運動と称しました。
彼らは左派勢力の一掃とそれに手をこまねく”惰弱な議会”の解散を国王へと求めました。

カールレ一世はこれを好機としてアカ狩り‥‥【法秩序回復の王令】を発令しました。
現在んは国民軍政府首相であるヴィロライネンもこの時に国外へと逃れています。

そしてその2年後。
勢力を拡大したラプア運動は農村の自警団を糾合してヘルシンキへ行軍。
国王はこれを受け入れて組閣の大命をコソラに下し、国民議会を解散させました。

これにより国王とその側近のドイツ官僚団。ロシア・ドイツへ渡航経験のある者たちが首脳部を為す軍部ラプア運動とそれを支持する地主達。
この3頭体制によるラプア運動独裁政権が樹立されました。

‥‥現大統領のリュティ閣下は国民進歩党の議員でしたが議会を構成する都市富裕層との妥協の為、フィンランド銀行総裁に就任しています。


協調情報管理室長アンナ・アルフベン 投稿日:2019年08月29日 21:24 No.2127
さて、問題になるのが次ですね。そう、1940年5月に起きた北極戦争です。

これのそもそもの契機はフィンランドが突然インターナショナルに宣戦布告をした事です。
‥‥スカンディナヴィア側の宣戦布告の理由はオーランド諸島のトゥルク条約における自治協定違反等、在外スウェーデン民族の保護というのが表向きの理由です。
実際はインターナショナルに占領される前に、という事は誰にでもわかっていたことでしょうがね。

さて、対インターナショナル宣戦布告の実態ですがようやくある程度の実像が見えていきました。
まず一つ、ドイツ帝国は39年夏の大攻勢で事実上崩壊し帝国全土をフランスが掌握、ドイツは沿岸部をかろうじて占領しているのみです。既に帝国政府は皇帝の義弟たるカールレ一世を頼りヘルシンキに亡命しています。
‥‥そして、北極戦争後に勃発した露仏戦争の契機になったのはプロイセンにおける旧帝国軍によるクーデターです。
しかし軍備が不足したことで瞬く間に制圧されてしまいました。
不思議なことにそうでありながら、彼らは即座にロシアと同盟を組んでいる。
独露双方に強いパイプのあるフィンランドを経由して事前交渉があったのだと推察されます。
早期の占領を受けた裏で地下組織を作成したのは、紛れもなく世界帝国の手際を発揮したというべきでしょう‥‥
私の見通しでは、まず占領下のドイツ帝国全土で武装蜂起が発生し、それに呼応する形で露芬両国がインターナショナルに対して宣戦、協商等の介入も合わせてインターに逆襲する…。そんな絵を描いていたのではないでしょうか。
何にせよ、デニーキン政府との間で対仏宣戦の交渉を行っていたことはまず間違いないでしょう。
しかし、本土の地下組織の準備を待たずにフィンランドは何故か宣戦布告をしました。
‥‥恐らくカールレ王と亡命政府間の交渉でなにかがあったのでしょうが現時点では不明です。
結果としてロシアは呼応せずフィンランドは孤立、スカンディナヴィアはボスニア海の対岸‥‥ストックホルムの目と鼻の先にワーカーズネイビーと海兵隊が進駐する悪夢を避ける為に宣戦布告を行いました。
おおよそ4ヶ月でフィンランド全土を制圧し構成国として外交主権を連合政府に移管する事が決定されました。
英仏も対露戦に備える為にこれを承認し、一時的に北欧はスカンディナヴィア主権のもとに平和を得ることになりました。
[
/大]


協調情報管理室長アンナ・アルフベン 投稿日:2019年08月29日 21:46 No.2129
さて‥‥戦後、三党連合政権は中道政党を支持する政治亡命者の復帰支援など民主主義体制の再建に動きました。
44年までは国王のすべての政治的権力を剥奪しながらも暫定的に王制を続け、
連合政府公安局は地方に根差した白色テロ組織としてラプア運動の撲滅に動きました。
ラプア運動シンパによって形成された政治警察や自警団から編入された将校団も当然ながら捜査対象となります

‥‥御存知の方もいるでしょうが私は当時から捜査本部付きとして捜査に関わっています。

さて、44年に国民投票によりカールレ一世の子のモーリッツ一世を廃し、共和政府として中央政府が正式に再編されました。
この際に我々もまた、捜査本部を顧問団へと再編。現地警察の指導という形で摘発作戦を続けました。
ですが潜伏した連中の抵抗により現場の死傷者が増えたことで摘発は滞ってしまいます。
私もその死傷者の一人ですが、まぁ運が良い方ですよ‥‥。

さて、ヴィロライネンもいくつか国を経由して政治亡命者として帰還。
合法政党としてのフィンランド共産党再建を行いました‥‥この時点で資金面などでインターナショナルの支援を受けていたようですね。


協調情報管理室長アンナ・アルフベン 投稿日:2019年08月29日 21:47 No.2130
さて‥‥そして現在の状況につながります。
現陛下の戴冠式にて武装集団の襲撃があった事はみなさんも記憶に新しいでしょう。
そしてストックホルムでは連続爆弾テロが同時に発生しています。

えぇ、この協調ブロック本部も爆弾の被害を受け……進歩党員の事務局の子が亡くなっています。
…………我々は忘れてはならない。

失礼、さてこの同時多発テロと同時にカレリア・イングリア両公国で共産党書記長のヴィロライネンとラプア運動派の退役軍人達によるクーデターが発生。
更にペッツァモ及びヘルシンキを電撃的に占領されたことにより東部方面軍は混乱に陥り雪崩を打って壊乱。
更にポフヤンマーではスウェーデン系の自警団がフィンランド軍に対しても排除を開始したため、トゥルクと北部で分断される事態に陥りました。しかもトゥルクの連合王国軍は退役していたフィンランド軍のタルヴェラ中将に指揮権を強奪される始末…。
まあ、彼がラプアに与しなかったのは不幸中の幸いでしたがね。

現在は共和政府軍とトゥルク駐留スカンジナビア軍の連携によりトゥルク条約との連絡線を奪還しており平定に向けて動いています。

……さて、現状ややこしいのはフィンランドに三つの武装勢力がある事です。
まず一つはスカンジナビア軍東部方面軍・フィンランド共和国軍・義勇軍による部隊です
フィンランド共和国はリュティ暫定大統領率いるフィンランドの正統政府ですが…。皆さんも知っているとおり、戴冠式でのテロの際に近衛師団の大佐となっていたモーリッツ一世が戦死しています。
それでモーリッツ一世への同情が深まったことを利用して、その兄のヘッセン方伯フィリップが国王を自称して騒ぎを起こし、政府と交渉の末に首相の座を取っていきました。
彼はマンネルヘイム元帥らフィンランド旧軍のみならず故ウメオ子爵やらハンソンやらを懐柔して急速に勢力を伸ばし、オウルに居を構えてフィンランドの北部から中部を掌握しています。フィリップ方伯はリュティ大統領を蔑ろにして国王然として振舞っているようですが…それでも、「味方」であることには変わりありません。
こちらは間もなくスウェーデン国王グスタフ6世陛下の下でフィンランド派遣総軍として再編されます。
‥‥エプレボリ候が何とかしてくれると良いのですがねぇ。

二つ目、ポフヤンマー地方はグスタフ・ベックスという元ヴァーサ運動私兵隊幹部の支配下にあり、彼の扇動により、民族主義によって先鋭化しています。
今では、支配地において虐殺行為を公然と行っています。
連合政府はこれを早期に排除する予定です。

‥‥そして最後、これが一番厄介ですね。
フィンランド国民軍政府‥‥ラプア=共産連合による政権です。
大統領はラプア運動指導者ヴィフトリ・コソラ、
首相はフィンランド共産党書記長ハンネス・ヴィロライネン。
ヴィロライネンはフィンランド共産党中央委員議長であったクーネシンに対しクーデターを行い、実権を掌握しています。
彼らはソビエト連邦から支援を受けておりラプア系の元軍人と赤衛隊を武装化しています。
また、ソビエト連邦と相互不可侵を締結したことで政府にゆさぶりをかけていますね。
スカンディナヴィア軍と交戦状態ですが戦力の差は圧倒的であり実質的には【中立の壁】となっています。


協調情報管理室長アンナ・アルフベン 投稿日:2019年08月29日 21:52 No.2131
今後、フィンランド問題の見通しについては沿岸共和国を称するポフヤンマー武装勢力を鎮圧後、国民軍政府を挟んで向かい合うソビエト連邦
‥‥インターナショナルとのパワーバランスを見極めながら解決へと進めることになるでしょう。

そして我々協調ブロック議員、職員の仕事はこの戦時体制に人々が耐えられるよう、民生を護る事。
そして戦後の復興を速やかに進めこの内戦による傷を乗り越えて、この国に住まう人々が勝利を手にスカンディナヴィアという国家への帰属意識を強められるよう、戦後を作っていく事です。


皆様ご清聴ありがとうございました


一般進歩党系職員 投稿日:2019年08月29日 21:55 No.2132
(確かに、私たちは忘れてはいけないわね……あの、痛ましいことを……そして確か、北ローマ帝国党の精鋭二個大隊がフィンランドの義勇軍として派遣されてるのよね
私一人でもう少し掘り下げて学ぼうかしら……)