投稿者:情報分析課主任メランダル
対外拡張を進める連中は、同じくロシアから独立したバルト連合公国と組んで
フィンランド系が住まう地域を独立させようとフィンランドは軍事的な干渉を続けた。
その中で最終的な勝利を飾ったのが1921年の東カレリア大反乱だ。
軍部が反乱扇動と支援によりロシア共和政府軍に対し勝利を得た事。
ドイツ帝国への外交支援を勝ち取ったカールレ王ら親独派とロシアへの交渉を主導したマンネルヘイム将軍によってトゥルク条約を締結した。
条約の結果、フィンランドは広大な東カレリアの一部を編入しただけでなく、バレンツ海への重要な拠点であるペッツァモ州を獲得したのだ。
これによりバルト海航路を使わなくても資源の確保が可能になった。
また、このトゥルク条約により瑞芬の係争地であったオーランド諸島の支配権もドイツの圧力でスウェーデンに対して獲得する事ができた。
これによって初代国王であるカールレ一世は軍部と右派の支持を盤石なものにすることができたんだ。
一方、内政面ではドイツからの支援に支えられている事からフィンランド議会は指導力を発揮することができず、対外政策で領土拡張に成功したカールレ王以下親独派と軍部に主導権を奪われつつあった。
…まぁ、議会で主導権を握っていたスウェーデン系は王党派がほとんどだったわけだがだからといって側近の官僚に権限を奪われたくはないという事さ。
そして1925年にイギリス連合政府の確立により英仏の協調関係が生まれた事で亡命していたクーネシンらが帰国し、フィンランド共産党を結党。
かつての反乱軍の恐怖が再来したことで国内の断裂と混乱はさらに深まっていく事になる。